メモリー
気がつけば、台所は大変な事になっていた。 「……あー、また、やっちまった」 言葉どおり、初めてのことじゃない。 その独白さえも、言い慣れた同じ繰り返し。自然と口から出てしまう。 「仕方ない。藤ねぇに持って帰ってもらって…」 ぶつぶつと、妥当な対処法を呟きながら、慣れた手つきで片付ける。 それは、作り過ぎたにも程がある、今日の夕食の数々。 品数も。量も。ゆうに10人前以上。計算違いも甚だしい。 人数だけじゃなく。よほどの健啖家な誰かが、同じテーブルに、いる、ような……。 「……っ」 手が止まってしまう。 瞼を閉じてしまう。 意識がイマを離れ、ソノトキへと帰っていく。 ――――だけど、それは。ほんのひととき、立ち止まっただけのこと 「…ははっ。よしっ。さっさと済ませちまおう」 種類ごとにタッパにつめ、持ち運びやすさに気を配る。 一人で持たすには厳しいだろう。荷物もちの騎士を気取れば、藤ねぇの小言も減るはずだ。 手を動かす。軽快に。リズム良く。気づかず、鼻歌を奏でている。 その作業は、家計にも時間にも優しくない、明らかな失敗事のはずなのに。 傍から見られたら、文句を言われるに違いない。もう少し、反省の色を見せろって。 残念ながら、それは無理な話だ。 ソノトキは過ぎ去って。いつかきっと、どうしようもなく色あせて。 心の中、奥深くにだけ残る、御伽噺と変わるだろう。 だけど、まだ、イマこのときは。 身体が覚えてしまってる。 変わらず再現し続ける。 細胞の一つ一つが、あの日を、あの時間を、忘れないでいてくれる。 そのことが、俺には、とても……。 * ほとんど病気かな、なんて、自嘲も自覚も持ち合わせて。 終わる今日と、続く明日と、繋がる先へと進んでいく。 未練はある。拭い去れぬ悔恨も。叶わぬ夢への切望も。 それに足をとられない。歩みに枷はつけられない。そんなこと、彼女が望むはずもない。 でも、さ。たまには、瞼を閉じるのも、いいんじゃないかな。 そうやって、刹那に訪れる暗闇の中で。 光を浴びて。あの日の彼女が。 しかたないですね、なんてそぶりを見せながら。でも、やっぱり、最後には。 俺に、あの日の笑顔をくれる。 [了]
by 能登耕平
いやっほぅ!
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