"双極の螺旋" by 犬

―――また、この道か。

景色は無い。
　上下左右、空間への認識がずれている。そこに光は無く、足元を見る事も覚束無い。本当に道を歩いているのかも定かではなく、だが自身の姿だけは視認する事が出来る。そんな、ただ黒のみの世界を男は一人歩いていた。
　己に分かっている事は、この道は一本道であり、選択する事が出来る行動は前進のみである、と言う事だけ。

そこは、敗者が通る道。
　聖なる杯を巡る戦いに敗れた者が、本来ある場所へと向かう回廊。
　どのくらい歩いているかは分からない。永遠に歩いているような気もするが、まだ歩み始めたばかりな気もしていた。
　この道を通り終えた者は、その役割を終え無に帰す。正確には、自分に戻ると言った表現が当て嵌まるのだろうか。この先の位置に座している『本体』は、己の経験してきた事を『情報』として読み込む。それはあくまで情報であるため、自身の事ながらどうしても客観視にならざるを得ない事だった。そもそも、時間軸が無いのだ。『情報を得る』と言う事ですら、時間的には全ては零であり、無限。故に、英霊は変わらない。
　だが、この男は違う。
　見てきたモノ全て、聞いたモノ全て、触れたモノ、感じたコト、考えたコト、全て一人で継続し続けている。知識は重ねられ、思考は磨耗し、経験はソレを憐憫する。
　無限の牢獄は時に迷宮と化し、男はヒトのままその世界に居続けるのだ。

―――あの男は、もう『私』になる事はあるまい。

男は現界に於いて、何時しか心に抱いていた一つの目的を叶える機会を得ていた。それも、覚えているだけで二度。
　しかし、それは叶う事はなかった。一度目は自身の甘さ故か。二度目は敗北の為に。だが、男に後悔は無い。そもそもその願い自体が歪んでいるモノだったのだ。本来向けられるべき他者への敵意、それを自分以外に向けるすべを持たない彼だからこその願い。願いと言うよりかは迷いと言うべきか。
　覚めてしまえば、そこには初志から徹底して貫いた、一つの言葉が残っていた。

―――『正義の味方』…か。

そう、何てことはない。
　大きな時間をかけてたどり着いた、更にその先にあったのは、最初に持っていたモノだった。
　少女と共に過ごした数日の過去、そこで得た答えを彼は再び握り締めていた。

「よぉ」
　声が聞こえた。
　それは、有り得ない事であり、何度も経験した中で一度も無かった事だ。
「なんだ、ココ。何にもねぇじゃねぇか。ありえねぇな、ホント。…ま、手前ぇらしいっちゃらしいがな」
　姿は見えない。だが、その声には少なからず覚えはある。
　何せ、記憶の一番新しい層に於いて、殺し合いをした仲だ。
　自分の対極にいるような存在だった槍兵。
「何の用だ、ランサー」
　見えぬ相手に問いかける。
「はっ、俺を認識しきれてねぇくせに良く分かるもんだな。見えてねぇだろ」
「……何を言っているのか良く分からないな。どんな術を使っているのか知らんが、私の座にまで干渉しようと言うのだ。話があるのだろう？ならば手短に済ませ」
「あー、お前マジで真っ当な英霊じゃあねぇんだな。まぁ良いか、河岸変えるぞ」
　槍兵がそう告げた瞬間、黒の世界が消えた。そして、何層もの光が交錯し閃光に視力を奪われる。引きつる顔の筋肉を動かし、閉じた瞼を開いた先には―――景色が存在していた。

広がる青空に、続く地平。遠くには城のような建築物が見え、澄んだ空気と清純な魔力（マナ）に満ちている。風が凪ぎ、名も無いであろう雑草がそっと揺れる草原に、彼らは立っていた。
「……」
　男は一時その景色に心を奪われていた。美しい。そうも感じていた。
「『何だここは』ってツラしてんな」
　振り返ると、そこには先ほどから会話をしていた槍兵がいる。事態が分からぬ自分を軽くからかうような笑みを浮かべて。
　槍兵は、男の反応を待たずに言葉を紡ぐ。
「ここは俺の座だ。っても、『本体』がいる場所は、あの城の向こうだがな。そこまで近づいたら消えちまう。『今の俺』でいられるうちにお前を捕まえたんだよ」
「ここが…英霊の座…だと？」
　俄かには信じられなかった。何故なら、男の『座』は何もないからだ。先ほどまで歩みを重ねていた『道』と同じに。光でもなく闇でもなく、上でもなく下でもない。閉塞していないかわりに何処が何処なのか分からない。ただ、そこに居るだけ。
「手前ぇんトコとは随分違うか？そりゃ、お前自身のせいだ。肉体のある第三世界の住人じゃあ無くなっちまった俺達が住む場所は、自分の心の世界だからな。ココが俺の世界ってわけだ。何てことはねぇ、ただの故郷だよ。俺が疾走り、闘争い、生きた世界だ」
　槍兵は、昔を思い出しながら、だが懐かしむようでもなく、ただ事も無げにそう語った。
「そうか…」

―――ならば、ここはアルスターなのか―――

男は槍兵から視線を外し、再び風景を目に映した。
　どこかで見たような気もする。だが、そこは語り継がれた伝承でのみ聞いた世界のはず。ルーンを操り、槍を手足の如く操る練達の英霊がいた、神話の世界。
　自分の座とは対称だ。こんな所まで、この男とは真逆なのだな。そんな事を考えていると、ふと一つの疑問が浮かんだ。
「驚いてるのか？てか、こっちのが驚きだぜ。自分の心象風景を具現出来るお前の座が、あんなとはねぇ」
　その疑問は、槍兵が先に口にしていた。そして、続いて答えまでも。
「ま、ある意味納得出来なくもないけどな。過去とは言え、自分を否定してちゃあ何も見えないさ、坊主」
　槍兵は、少年を呼ぶ時の口調で男に語った。
「ランサー、貴様…」
「そりゃ、クソ広い城とは言え同じ建物に居たんだ。それに情報収集は得意なんでね。俺の五感を舐めてもらっちゃ困る」
　あの死合を耳にしていたか。
　元の存在を同じにしたモノ。自分の過去である少年との対峙。
「お前が、あの坊主の成れの果てとはねぇ…人間ってのは変わっちまうモンだな」
「真実に気付いただけ、と言って欲しいな。若き頃からの、猪突猛進のままでいられる阿呆などいやしまい」
　男は、皮肉を口にしながらも苛立ちを浮かべた表情となる。過去を知られると言うのは、若干気恥ずかしさを伴うからか。
　槍兵は、そんな男の様子を見、苦笑を隠せない。
「いや、俺は誉めてんだよ。一突きでブっ殺されてたボウヤが、俺とそこそこ互角になるまで成長したのがな。いやはや、頑張ったモンだ」
「ほほぅ、奥の手の『刺し穿つ死翔の槍』まで防がれて『そこそこ』か。流石、アイルランドの英霊様は噂に違わぬ豪傑のようだ」
「あぁ、ソコだよ」
「何？」
　槍兵の表情から、つい先ほどまでの笑みが徐々に消えて行く。そして、それに比例するように、周りの空気が凍てついて行った。
「どうも、俺と手前ぇは縁があるみてぇなのは認めるさ。だが―――決着らしい決着は付けてねぇよな？」
　いつの間にか、槍兵は紅く染まった長柄の獲物を手にしていた。張り詰め冷え切った空気は、闘争のそれに変わろうとしている。
「正直言うとな、俺は嬉しかったんだぜ？坊主。真っ当にやり合ってくれるのは手前ぇだけだったからな」
　そう言って、青い槍兵は、自身の武器を男の正面に突きつけた。しばしの沈黙が流れる。だが、互いの視線は交差したままで。
「ふ…何を言うかと思えば。そんな下らなん事のために人の帰還を邪魔してくれたのか。私は特に何も感じはしなかった。余計な戦闘など好みはしないさ」
「相変わらず素直じゃねぇ野郎だ。細かい事をグダグダ考えすぎるのが悪いトコだな。闘るのか、闘らねぇのか。スパっと応えな。楽しもうぜ、アーチャー」

―――あぁ。

そうだ。思えば、確かにコイツは昔からこう言うヤツだった。
　戦いを楽しむ事の出来る男。
　昨日まで友だった相手でも対峙すれば全力で捻じ伏せるし、昨日まで敵だった相手でも気が合えば酒を酌み交わす。
　男にふと遠い過去の記憶が蘇る。
　初めて『英霊の力』を見せ付けられ、その恐怖と羨望を抱かせた相手。時に、力を貸してくれた事もあった。
「……」
　槍兵は、無言で男の回答を待っていた。

そして男はそっと目を瞑り、精神のスイッチを入れる言葉を口にする。回路に魔力が流れるイメージと共に、左手に弓を、右手に剣を具現する。慣れ親しんだ双刀を出しても良かった。その方が効率は良く戦えるであろう。だが、それはもう一度やっている。それに何故だか、男は弓兵として対峙したくなっていたのだ。
「…いらぬ戦闘は趣味ではない。…が、眼前に武器を突き付けられてそのままでいられる程、私も人は出来てない」
「そうこなくっちゃな―――あぁ、そうだ。死合う前に、一つ教えておいてやる」
　再び―――だが、先程とは違う種の笑みを浮かべて槍兵は語る。
「他人の英霊の座に干渉する、何て事、普通なら出来ねぇ。お前がセイバーに会おうとしても恐らく無駄って事だ」
　男は唐突に出た名に、少し同様する。だが表には出さなかった。
「手前ぇが持ってるその剣…そいつ、ちょっくら見覚えあってな。…俺の知り合いが昔持ってたのに良く似てやがる。もしかすると、俺らは知らねぇ所で縁が繋がってるのかも知れねぇな」
　偽・螺旋剣。
　男の右手の中にある、カラドボルグと名付けられている剣を槍兵は眺めた。
「―――それと。手前ぇは『俺を殺した男』だ。俺の仇、討たせて貰うぜ」
「―――それはお互い様だろ、ランサー。アンタは俺を殺したんだ」
「ははっ、そう言やそうだったな。お前、直ぐ生き返ってたから忘れてたぜ。さて、お喋りはココまでだ」
「あぁ―――手加減しないぞ」

それは。

いつかの少年が応えるような語り草であったと、

男は―――気付いていたのだろうか―――

遠い昔の神話に告げられた唄。

「その槍を我に与えよ。与えねば汝の恥を我は歌わん」
　一人目の詩人はそう言った。
　その為に、クランの猛犬は御者を失った。

「その槍を我に与えよ。与えねばアルスターの恥を我は歌わん」
　二人目の詩人はそう言った。
　その為に、クランの猛犬は愛馬を失った。

「その槍を我に与えよ」
　三人目の詩人もそう言った。

だが、クランの猛犬にはもう御者も愛馬も無い。

「これ以上代わりにやれるモンはねぇよ。俺の名誉の代償も、アルスターの名誉の代償も、とっくに支払いなんて済んでる」
　だから、そう吼えたのだ。

それでも三人目の詩人は歌いかける。

「そうかそうか、では、我は汝の親族と、汝の愛する者全ての恥を歌おうか」

この申し出にクランの猛犬は笑った。
　大いに笑ったのだった。
「･････はっはっは！それじゃあ仕方ねぇよなぁ。そうかそうか、もう守るモンなんざねぇと思ってたけど、アイツの名誉だけは守らないと格好つかねぇもんな。―――ほら、やるよ」
　そう言って、最後の槍を―――師から授かった、ゲイボルクを投げ与えた。

詩人はその槍を持ち、クランの猛犬の腹を貫いた。

そうして、アイルランドの英霊の話は終わる。

その死は、人の手を超えた存在になったが故に。

詩人を名乗った守護者―――自身の事を『掃除屋だ』と語っていた、一人の英霊の手によって。

終