"curious chime" by ktr(けーたろー）

英国の諺に曰く『 Curiosity killed the cat. ～好奇心は猫をも殺す』

***

氷室鐘は周囲の様子に少なからず違和感を感じていた。
　最近この冬木市では事件が相次いでいる。
　残忍な強盗殺人事件。
　遂に被害者５０人という規模のものまで発生した、新都で連続するガス漏れ事件。

強盗殺人事件は私利私欲で同類を殺すことが出来る人間の性。
　――突発的に起こるものであり、いつ起こってもおかしくはない。
　ガス漏れは、文明の利器の代償として起こりうる事故。
　――連続するのは同じ業者の手抜き工事とでも考えれば説明が付く。

よって、ガス漏れも強盗殺人事件もこの世に起こりえない事象ではない。どちらもこの世界の枠内で起こりうる事象なのだ。
　確かに、当事者にしてみれば大事であるが、発生について冷徹に見るのであれば『運が悪かった』というだけのこと。起こったところで部外者がどうこう言うものではない。

学校の門限が早くなり、
　部活動が停止され、
　夜に出歩く人間が減り、
　パトカーを目撃する頻度が上がる。

……だが、それだけの話。

そう、ここまでであれば特に気にすることもなかったのだ。

しかし、今朝になって噂になった美綴嬢の事件。
　身近な事件が俄然興味を掻き立ててしまった。
　昨日時点では今まで無遅刻無欠席の人間が風邪でダウンしただけ。せいぜいが『皆勤記録がご破算になる』そんなありきたりな日常的事件であった。
　それが一夜にして『クスリをやっていた』だの『暴行を受けた』だの非常に不愉快で性質の悪い話になっている。
　噂の発信源があの間桐というのが胡散臭くも感じるのだが『火のないところに煙は立たず』。風邪で休んでいたという隠蔽工作があったのは確かである故、何かそこに隠された事件があったのは確かなのであろう。

「事件が多過ぎる……」

一つ一つの事件は、先の考察の通りこの世に起こりえない事象ではない。
　だが、事象が連続する際、その発生確率は単純計算で指数関数的に減少する。
　１％の確率が２回連続で起こる確率は、

1/100 × 1/100 = 1/10000

実に、１００００分の１まで一気に減少する。それが更に続くと、分母はあっと言う間に天文学的な数字になる。薄っぺらい紙を、たった４３回折り曲げただけで月に届く厚さに到達するように。

勿論、どんなに可能性が小さくとも起こるときは起こる。
　可能性が０で無い限りは発生し得る。
　だからこそ『奇跡』という言葉を人は信じることが出来るのだから。

それでも、安易に『奇跡』的な確率で片付けるには抵抗がある。
　一連の事件の発生確率を飛躍的に上昇させる説明を求める。

その説明とは……

「全てに関連性があるならば、可能性は比較的大きくなる」

全体で一つの事件であれば、累乗による分母の肥大は起こらない。お手軽であるが可能性だけを追求すれば合理的でもある一つの解。
　ご都合主義の小説でも無い限りそんなことは無いだろうと思う。
　だが一方で『事実は小説よりも奇なり』とも言う。
　この際、別に真実かどうかなどいいのだ。説明が欲しいだけ。この妙に座りの悪い状況をどうにかするために、荒唐無稽な説を信じてみるのも一興であろう。

そんな牽強付会も甚だしい一つの仮説を導き出したところで、直近のもう一つの事件に意識を切り替える。

「あの遠坂嬢と衛宮が逢い引きとは……」

そう、正に美綴嬢の事件があった日、遠坂凛と衛宮士郎が放課後遅くに肩を並べて下校していたというのである。それも、嘘か誠かそのまま遠坂の家の方面に向かったという。
　そこに男女の仲を想像して何の飛躍があろうか？

正直なところ、このツーショットは氷室鐘の美意識に反する。
　男女問わず人気があり、高嶺の花として全校生徒にアイドル視さえされる遠坂嬢と、生徒会付の便利屋衛宮士郎である。率直な感想としてあの衛宮の彼女に遠坂では役不足に過ぎる。正に『月とすっぽん』。

「だが、このタイミングというのは偶然なのか？」

遠坂と衛宮の逢い引きまで他の事件に関連付けるなど、牽強付会も通り越した単なる短絡思考。だが、この組み合わせ自体に対する違和感を考慮すると、不思議と氷室鐘にはしっくりきたのだった。

さて、これは氷室鐘が自分を取り巻く状況に対して自身を納得させるための思考実験に過ぎない。真実かどうかはともかく、曖昧な状況に説明を与えることだけが目的だ。
　だから、ここで終わりにしても何ら問題は無い。

仮説を立て、それを吟味する。
　何の危険も無い他愛ないお遊びで済む。

だが、思考実験で終わらせてしまう前に、その知的好奇心は求めてしまった。

「『好奇心は猫をも殺す』というが……他の事件ならいざ知らず、遠坂嬢の件であればまだ関与する余地はありそうだ」

レンズの奥の瞳がキラリと不敵な光を宿す。
　他の事件に対しては役者不足であろう。
　だが、この事件であれば、まだ登場人物として関与することが可能ではなかろうか？
　そもそも『色恋沙汰の話』というだけでも、氷室鐘にとっては充分に興味深いもの。そこを追求することに吝かではない。
　
「不確定なら、確かめて見ればいい」

そう決めた。

……決めてしまった。

氷室鐘は、このときまだ気付いていなかった。
　正に自身が口にした格言のように。
　好奇心で足を踏み入れてはいけない世界へと、
　本来関わることの無かった物語へと、
　このとき、踏み入れる決心を固めてしまっていたことに。

to be continued anothor route \"curious chime\"