踏み潰された雪の上を、新たな雪が覆う
メリーメリークリスマス。 街は様々な光のイルミネーションに彩られ、街路はカップルで行き交い、寒空の下ジングルベルが鳴り響く。 今日は狙ったようなホワイトクリスマス、クリスマスは、ただ雪が降るだけでかくも幻想的に映えるのだから不思議なもの。 今宵を祝うのは宗教観念が自由気ままになりすぎた日本独自の風習、その名はクリスマス。 大半はイエスを祝う事もなければミサに赴く事も無い。 テーブルの上に七面鳥?、いやいやそんなのより国産牛肉の方が人気さ。 恋人達は高級フレンチのレストランに、夫婦は自宅でテーブルを囲み、子供達はプレゼントを抱えてる。 本当は名前なんてただの飾りつけさ、今日は年に一度のお祭り騒ぎ、実は一週間後にもお祭り騒ぎを控えているのだけど、それはそれ。 今宵はクリスマス、今宵は聖なる夜、恋人たちの甘い時間なのさ。 おっと一人身の男はどうすれば良いのかって? はは、そういう奴らは年中ニ次元美少女に目が眩んでいるだろう。 狂騒的で猟奇的で情緒的で感傷的で神秘的で現実的で刹那的な物語に没頭しているのだから、年中お祭りさ。 何時だってお祭りなら、初めからクリスマスなんていらないのさ。 さっきも言っただろう、本当は名前なんてただの飾り付けだって。 クリスマスって言うのは、単にバカ騒ぎしたい連中がバカ騒ぎする口実をでっち上げただけなんだ、イエスの誕生日だとか、そう言う事は関係無くね。 だから別にイエスの誕生日じゃなくても良い、マホメットの誕生日でもゴーダマの誕生日でもゾロアスターの誕生日でも構わない。 命日でも構わないのさ、皮肉な事にクリスマスにご臨終になられた著名人はなかなかに多い。 そう、きっかけなんて何でも良いのさ、何を祝いたいわけでもない、本音はずっと我侭で、利己的で、そして儚いくらいに美しいのだから。 それでは皆さんご一緒に! メリーメリークリスマス 「・・・はぁ。」 わたしの口から吐息と一緒に這い出た熱は、一瞬だけ白く濁って、すぐに掻き消えた。 今年は記録的な大雪、冬木市も例外ではなく、目に映る光景は真っ白い化粧をしている。 人の寄り付かない雑木林と言う事もある、これがグラウンドなら人の足跡で無様な残骸を晒していると思う。 夕闇は赤く燃え盛っているよう、時間は5時、冬場と言う事もあって日没は早い。 わたしは少しの後悔を胸に抱きながら、じっと床を眺めた。 ―――本当は少しじゃなくて、すごく、なんですけど。 「困ったなぁ。」 独り言を呟きながら、きゅっと雑巾を絞る。 バケツの中に溜められたものはお湯で、触ると熱い。 それを吸収した雑巾は外気に晒された為程よくぬくもっている。 絞った雑巾を広げながら、私は広い弓道場を眺めた。 そうして、自分の請け負った仕事の大きさに少し、頭を悩ませる。 弓道部の主将として、いつもの様に弓道場のお掃除を引き受けてしまった。 だけど今日、手伝ってくれる人は一人もいなくて・・・、そうですよね、今日はクリスマスですから。 「気付けば良かった。」 街はクリスマスムードを漂わせていると言うのに、わたしってば乗り遅れちゃったから。 愚痴を心の中で延々と繰り返しながら、まずは床の端から雑巾をかけてゆく。 別に、掃除をする事が嫌なわけじゃないんです。 元から家事全般は得意だし、これも立派な仕事の一つだし、いつもなら自分から率先して、と言うか、いつもの様にしたからこうなったわけで。 ただ、そう、今日はクリスマスだから、先輩と一緒にいたいなって、それだけで・・・。 話は数時間ほど前にさかのぼる。 今年は大会に力を入れるとの事で、例年になく部員の出入りが多かった。 つまり部室の使用率が高かった事を示す訳で、それは部室が汚れやすい事とイコールで結ばれる。 勿論普段から定期的に掃除はしていたのだけれど、掃除に力を入れてしまうと練習時間を削らなくてはならない。 しかし汚れた弓道場では練習の精度が落ちる。 と言う事なので、冬休みに入る直前、つまり練習に本腰を入れる期間の直前である今日12月25日、 大掃除とは行かないまでも目に見える汚れは取っておきたいと藤村先生が言われたのです。 本来なら複数の人がするべきことなんだけど、みんながみんな逃げてしまって、 請け負った直後に今日がクリスマスだと気付いたわたしが今後悔している訳です。 「先輩と一緒のクリスマスが良かったなぁ。」 本当のところ、デートの予定を立てていたわけではないから単なる我侭なのだけれど。 なまじ普段から一緒にいられる時間が長い分、こういった特別な日に特別な事をしようと言う感覚がないのかもしれない。 ―――多分、毎日が幸せすぎて、特別に幸せな気分になろうと言う考え自体がないんだと思うんです。 頭の中でどうしてこんな大事な事を忘れていたのかの原因を探る討論が繰り返されるけれど、 結論は一向に出ないし、出たところで今更仕事を放り出すわけにも行かない。 「わたしって、どうしていつもこうなんだろう・・・。」 損な役回りばかりしている、けど、自虐が有効な解決にはならない事は百も承知。 ああ、駄目だ、愚痴をこぼし続けてしまう。 うん、ここは前向きに考えます。 さっさとお掃除終わらせて、さっさと先輩のところに行くんです。 それで、二人だけのささやかなパーティーを・・・、って、藤村先生も居ますか。 とにかく、そうと決めたなら黙々と、黙々とお掃除を終わらせちゃいましょう、床を拭けば大体終わりですし。 「・・・ふぅ。」 弓道場の全体を見渡す。 一人が受け持つには到底深夜までかかりそうな広さ、もしかしたら晩御飯さえ用意できないかもしれない。 厭な予感は胸に仕舞って、床を拭き続ける。 そうしてどれくらいの時間を過ごしたのか―――実際の時間は体感時間より少ないと思う、弓道場はいまだ紅い―――時間経過が分からなくなった頃、 かたりと、物音がした。 「だれ?」 今日は休校、運動部の練習なら兎も角弓道部は前述の理由で既に部員が帰宅している。 忘れ物の類は見当たらないから、こんな所に居るのは先輩やわたしみたいに、安請け合いをしてしまったお馬鹿さんぐらいしか思いつかない。 ああ、じゃあ、そのお馬鹿さんとやらを見てみましょうか、と、私は道場の外に目を向けた。 遠くの町では猟奇事件が起きて、生徒には注意が施されているけれど―――生憎と普通でないわたしは普通じゃない人でもへっちゃらです。 「あ・・・。」 一瞬驚く、目の前に映った人が先輩に見えた気がしたから。 でも実際は違った、実際は、弓道部の後輩の男子生徒だった。 「こんばんわ、実典君、忘れ物でも取りに来たの?」 「いや・・・、その。」 実典君はぷいっと顔を背けると、ずかずかと道場に上がりこんでくる。 ああ、そこ掃除しなおさなくちゃ、と思っているうちに、実典君は私の傍まで歩み寄ると、私の手に握られた雑巾を無理矢理奪い取った。 「実典君・・・?」 疑問符を投げかけるけれど、実典君はやはり顔を背けたまま。 そしてかなりの時間―――といっても数分くらい―――、口をもごもごとさせる。 私はその間、何を咎める事もなく、彼の言葉が出てくるまで待ってあげた。 やがて意を決したのか、実典君は啖呵を切るように叫んだ。 「ふ、藤村先生に言っておいたからさ!、代わるって!」 舌足らずで乱暴な口の利き方、到底、年上に、ましてや主将に向ける言葉とは思えない。 その言葉に、わたしが少しむっとすると、実典君は何かに怯えたように後ずさりすると、視線を宙に泳がせる。 わたし、そんなに怖いですか・・・、まぁ、自分でもちょっと自信ありですけど。 そういえば、と気がつく、今まで暗くて見えなかったけれど、実典君は右手を腰の後ろに回していた。 どうも、何かを持っている様子。 「校門のところで・・・、あの、待ってる奴、いるから、そ、それと、これ!」 まくし立てるように、実典君はずずいと「これ」をわたしに手渡す、というよりは、押し付けると言うほうが正しい。 わたしは反論の隙はあったけれど、とりあえず大人しく「これ」という、 ディープグリーンの包装が成された小さな、わたしの掌に納まるサイズの正方形の物体を受け取った。 正体は言わずもがな、ですね。 兎に角、彼が言った待っている奴、と言うのは恐らく、十中八九先輩でしょう。 ええ、ここでどうすべきかなんて、分かってます。 「実典君、わたしを気遣ってくれるのは嬉しいけれど、これは先生から任された仕事だから。」 自分が馬鹿な事を口走っている事を、わたしの中のわたしが嘲笑った。 素直に押し付ければ良いのに―――けれど、そうして人の好意に素直に甘えてはいけない。 大体彼は後輩なんです、先輩が後輩に甘えてはいけません。 そう、これはわたしの見栄です、意地っ張りです、そう言う事にしないと自分を納得させられない。 けれど実典君はむぅ、と唇を尖らせると。 「主将、いつも無理しているじゃないか、何かにつけ頑張ってさ。 正直、傍目から見てふざけんなよ、って思う。」 「え・・・?」 とても意外な、言葉を口にした。 「あんた一人で弓道部の運営をしている訳じゃない、俺たち部員はただ弓を射って上達すれば良いだけの存在じゃない。 俺達の弓道部じゃん、あんた一人に任せられるか。 だから今日に限っては休めよ、少なくとも気にはしなくて良いんだぜ? どうせ俺独り身なんだ、家に帰って寂しく聖夜を過ごすだけって思ったら、ここで掃除してた方が数倍マシだから。」 多分、それは今わの際に思いついた言い訳じみたものだと思う、だってそんな事は、わたし自身が深く自覚している事だから。 でも、非常に的確で、返す言葉一つ見当たらない。 ただ、最後の部分だけは納得できない。 「お姉さんがいるのではないですか?」 少なくとも、彼の家には美綴先輩がいる筈だから。 けれど実典君は冗談じゃない、といわんばかりに。 「マジで勘弁、聖夜にいびられるなんてとんでもない。」 そんな、情け容赦のない言葉を向けてきた、これはこれで仲の良い証拠かもしれない。 「大体これは俺の意志なんだ、それを遠慮されるほうがよっぽど腹が立つ。」 かっと声を荒げる実典君は、失言を口にしたと思ったのか一気にしゅんとなったけれど、意志自体は変わってはいないと思う。 ・・・これじゃ、何言っても無駄みたいですから、素直に好意に甘えておきましょう。 すっと立ち上がり、まずは荷物を取ってきて、元の位置に戻る。 実典君は今度は、わたしを観察するようにじっと見つめている。 「では、明日からの本格的な練習に向けて、綺麗にしておいてください、あと、ここからここまでは既にしていますので。」 「わかったよ。」 実典君は俯き、なるべく顔を見せないようにしながら、今さっきまでわたしが雑巾をかけていたところに座り込む。 「それと、ごめんなさい。」 「・・・・・・。」 実典君は答えない、わたしは答えを聞かない、出る筈のない答えだから、答えを言わせるのは酷だから。 じゃあ、やっぱりわたしって酷い奴じゃないですか、言ってはならない事を、口にしてしまいました。 靴に履き替え、弓道場の外に出る、冷たい風がわたしの頬を撫でた、冷たくて、頬が切り裂かれそう。 校門のところを見たら、人影が一つ、彼に限ってはシルエットだけでも分かる。 ―――胸に籠めた想いは伊達じゃありません。 そう思った瞬間、胸がえぐれるような痛みを感じた。 わたしは彼に酷い言葉を与えたのだ、こんな贈り物をしてくれている彼の心を踏みにじったんだ。 きゅっと唇を噛み締める、背後にいるであろう彼への、申し訳ない気持ちが溢れてくる。 風がもう一度、吹いた。 歌うように、声が聞こえた。 「気にしなくて良いんだぜ?、って、言っただろ。 こう言う事は、自己満足でも嬉しいもんなんだから。」 はっきりとした声だった、嬉しそうな声だった、事実、嬉しいんだと思う。 「折角舞台を作ってやったのに無駄にしないでくれよ、それじゃ、そっちの方がよっぽど浮かばれない。」 それが彼なりのフォローなのか、或いは本心なのか分からない。 ただ、わたしは、言葉を言葉の通りに受け止める事にした。 たっ、たっ、と駆け出す。 すぐに靴が地面に触れた、人の足に踏みにじられた雪が覆う大地に触れた。 けれどこの大地の上には、また新たな雪が降り積もるだろう。 「先輩。」 「ああ、桜、仕事は終わったのか。」 「正しく言うと終わってはいないんですが、まぁ、先輩みたいな人に助けられて。」 「俺みたいな?」 「なんでもないです、それで、どうしてわざわざ学校の前まで? 先輩、今日は先に帰ったはずじゃないですか。」 「いや、それがな、帰った途端遠坂が押しかけてきて、クリスマスにデートの一つもしないのは桜に不憫だとかなんだとか言われて、 映画のチケット押し付けられた。」 「映画?、何の映画ですか?」 「今上映している奴、えっと、タイトルはなんだっけな。 白馬の王子様が神様の力を借りて悪い魔法使いに囚われたお姫様を助け出す話。」 「あ、知ってます!、確か童話にもなってましたっけ?」 「そう、で、その後は高級フレンチを奢れと命令された。」 「姉さん、まさかデートの費用まで・・・?」 「まさか、くれたのはチケットだけ、食費なんて、あの遠坂がくれる筈ないだろ。」 「そ、それもそうですね。 ・・・先輩。」 「さ、さくら?」 「どうせなら、恋人らしくいきましょう。」 「あ、ああ。」 ああ、そうだ、わたし達はこんなに多くの人に祝われたんだ。 だから、幸せにならないと嘘になる、祝福に懺悔と謝罪を返したら、それは嘘になる。 幸せにならないといけないんだ、少なくとも、わたしたちの味方である人たちの為を思うのならば。 踏み潰された雪の上を、新たな雪が覆ってゆく。 それがまた踏み潰される運命ならば、それでも良い。 醜いものが醜いまま無様に晒されるよりは、泡沫であっても清く美しくありますように。 わたしの隣にいる暖かみが永久であるようにと祈り―――そして、この聖夜の夜に祝福を。 そう、きっかけなんて何でも良いのさ。 何を祝いたいわけでもない、本音はずっと我侭で、利己的で、そして儚いくらいに美しいのだから。 清しこの夜は、例えその正体が自己満足であろうとも、幸せを噛み締めたいっていう本音の為のお祭りなのだから。 「お前はつくづく損な役回りだね、実典。 まぁ、あの間桐を相手にしている時点でそうならざるを得ないか。」 「うっせぇなぁ。」 桜が去った後、待ち構えていたとばかりに、実際待ち構えていた綾子が、実典の隣に立った。 どこから調達してきたのか雑巾を握っているが、そこは元主将、勝手知ったる人の家と言う事だろうか。 対して実典は、酷く不機嫌そうだ。 「単なる自己満足でここまでするか?、あと、こういう自己満足は必ずしも喜ばれないぞ。 第一、間桐にしたってお前の本心を汲み取ったかどうか・・・。」 「相手が喜んだかどうかじゃなくて自分が満足するから自己満足って言うんだろ?」 「ったく、屁理屈だけは一人前だな。 まぁいいや、実典、どうせあたしも独り身なんだ、さっきの言葉の意味、手伝いながら聞いてやるよ。」 綾子のにやり、という口元に、実典は戦慄を覚えながら、床拭きを急いだ。 「それとさ、クリスマスプレゼントの中身はなんだったんだ?、掌に収まるサイズだとは分かったが。」 「・・・・・・。」 一瞬、実典は躊躇って。 「・・・クリスマスケーキ、小さい奴で、二人分だけだけど。」 綾子は天井を見上げ、歯を噛み締める。 つくづく損な役回りを自分から演じた馬鹿な弟を、どうやって慰めてやろうか、柄にもなくそんな事を考え出していた。 脚注: 練習に本腰を入れる期間の直前である今日12月25日=去年のクリスマスは日曜日であった、冬休み突入と同時にスパルタをかます予定。 遠くの町の猟奇事件=本作はあくまで間桐桜を応援する為のものです、 一瞬とは言えぬいぐるみとは言え出演出来た弓塚さっちんを応援する為のものではありません。 王子様=王者の心 神様=翼の名前は夢幻泡影 悪い魔法使い=石川県 お姫様=雨
by 来海黒兎
意図は脚注で書いた通り。 前回の不本意な結果だけは避けたい所です。 大絶賛スランプ中の自分にどこまで出来るかは分かりませんが。
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