連添い
生唾を呑みこむ音が、居間に響いた。 何故。それが、本人達以外の、誰もが思い浮かべている疑念だろう。ひょっとすれば、彼ら自身そう思っているのかもしれない。 「えー……本日は、あー。お日柄もよく」 沈黙に耐え切れず、士郎は、思いつくままに言セリフを吐くが、足しにもならない言葉である。 依然、平和の象徴でもある筈の衛宮家居間は、微妙な緊張感と違和感、そして圧迫感に包まれていた。 士郎は、軽く咳を払った。 どうしてこうなったか。それは、後で幾らでも考えられる。今は、とにかく何かを言わなければならない。それが何かはわからないが、黙っていても、事態が好転するとは、到底思えないのだ。 意を決して、声を絞り出そうとする。まずは、言わなければならない事が、ある筈だ。 「えーっと……いらっしゃいませ。葛木先生。あと、キャスターも」 「うむ」 「……」 冬の寒気も遠のき、次第に春の息吹が芽生え始めた冬木町。 そのほぼ中に、堂々と居を構えた衛宮邸。その玄関。 午後の麗らかな陽光を背に、いつも通り無表情な葛木と、苦虫を噛み潰したような顔をしたキャスターは、並んで衛宮低に来訪を告げたのである。 【連添い】 「なんでさ?」 「お客に対して、閉口一番にそれはないでしょう」 キャスターを廊下へ引っ張り出して早一秒。当然のように、士郎の口からは疑問の言葉が出てきた。 何気ない、至って平凡な一日の筈だった。 朝起きて、桜と一緒に朝食を作り、食後は少し運動した後に、家の掃除をする。そこまでは、何ら変わりない平時の一コマだった。しかしそんな時、来訪者を告げる鐘が鳴ったのた。 応待せんと、士郎が向かった玄関先にいた人物。それこそが、柳洞寺食客にして、冬木市初であろう、教師と英霊との主従の夫婦、葛木夫妻だったのだ。 「……キャスターはまだしも、何で先生が」 「私にも、事の次第がよくわからないのよ」 居間をそっと覗き見る。そこには、困ったように葛木をもてなしている桜と遠坂の姿があった。セイバーとライダーは、どこか警戒したような視線を、葛木に向けている。 そして葛木は、それを平然と受けていた。 茫洋としている、とは少し違うが、何を考えているのか、よくわからない表情だった。それはいつもの事だが、こういう時はそれが困る。 「よし、じゃあ、まずは整理していこう。そもそも、何で二人がここに?」 「どの辺りから、話そうかしら」 「長いのか?」 「初めからなら、跳んだり跳ねたりの、宗一郎様の武勇伝から始まるけど」 「気にはなるけど、そこらへんは飛ばして」 キャスターは不満気な顔をした。想い人の話をしたいというのはわかるが、それを長々とは聞きたくない。 「貴方に料理、習ってるじゃない」 「だれが」 「この状況で、私以外にいるっていうなら、逆に聞きたいわ」 そうなのである。キャスターは週に二度、料理を士郎に習いに、この衛宮邸まで通っているのだ。 料理の腕はというと、お世辞にも誉められたものではない。包丁捌きはともかく、味が濃かったり薄かったり、焦がしたり水気が多かったりと、初歩的な部分で慣れていないのだ。 だが、士郎は、失敗を繰り返すキャスターに対して、苛立った事は一度も無い。学ぼうという気概はしっかりしていて、教えて貰った事は確実に身に刻み込もうとしているので、こちらとしても教え甲斐はあるのだ。 「すまん。それで?」 「今日、宗一郎様と買い物に行ったの。荷物を持ってくれるって。私は、そんな事はいいって言ったんだけど、月一の特売で、荷物は重いだろうって、宗一郎様が」 「ああ、わかったわかった。それで?」 耳を上げ下げしながら身をよじるキャスターを止める。延々と聞いていたら、時間がかかりそうだったからだ。 「……話がずれたわね。それで、この近くを通りかかったの。その時、料理の話をしていてね。その話に、宗一郎様が興味を持ったみたいで」 「ふんふん。それで、先生は何て?」 「一度、坊やの所に挨拶に行きたいって。自分が薦めた事だし、坊やには私が世話になってるからって。私は、そんな事気にする事はないと思ったんだけどね」 キャスターに気にするなと思われる事は釈然としないが、それよりも、葛木がそう言った事に、士郎は驚きを感じていた。 寡黙を常としているような男だ。自分から、何かを人に提案する姿など、見かけた事がない。 「で、夫婦揃って挨拶に来たのか」 「あらやだ。夫婦揃ってだなんて、そんな」 頬を赤らめ、キャスターは再び陶酔したような表情を浮かべた。 「来ても、二人とも黙ってるし、何事かと思った」 「それは、坊やが私を急にこんな所へ連れ出すからでしょう。挨拶をする相手がいなくちゃ、宗一郎様も何も言えないわ」 呆れたような目をして、キャスターは溜息をついた。 言われてみれば、その通りだった。葛木とキャスターが揃って家に来たという事で、少し混乱していたのかもしれない。 「うん、とにかく、わかった。そういう事なら持て成すよ。……あ」 「……どうしたの?」 脳裏に、ある光景が一つ浮かんだ。 キャスターが料理を習いに来ているのは、水曜日と土曜日である。そして、今日は金曜日。 明日、キャスターは士郎から教えを乞いに、この家までくる。しかし、別に今日が駄目だという訳ではない。それならば、一日早く教えても、いいのではないだろうか。 「キャスター、この後予定ある?」 「特にないけど」 「なあ、俺ちょっと考えついたんだけど」 「何、そんな楽しそうな顔をして。気色悪いわね」 「明日、アンタ家に来るだろ。それを、一日早くしないか?」 「今日に? 別に、それでもいいけど。じゃあ、一度帰ったら、またここに」 「いや、そうじゃなくて。今すぐに。先生の前で」 キャスターの言葉を遮り、そう言った。キャスターは、それを聞きニ、三度を目をしたたかせた。 「……今? 宗一郎様の前で?」 「うん」 一瞬、キャスターは首を傾げていたかと思うと、その顔はみるみると赤く染まっていった。 「む、無理よ。無理無理。だって、私まだ上手くない」 「そりゃ、練習中なんだから、上手かったら何も教えられない」 「そ、そりゃそうだけど。何も練習している所を、宗一郎様に見せなくても」 慌てふためきながら、キャスターは手を振った。 夫には、自分の良い部分を見てもらいたい。多分、キャスターはそう思っているのだろう。その気持ちが、わからない訳ではない。誰だって、好きな人には、良い所を見せたいのだ。 しかし、夫婦ともなれば、話は別ではないだろうか。人には、必ず良い面と悪い面がある。その両面は、他人にはなかなか見せないものだ。 しかし、それらを知っていてこそ、対等な立場になれるのではないか。友人に、恋人に、あるいは夫婦に。 今から自分が行おうとしている事は、ただのお節介で、余計な事なのかもしれない。それでも、やりたいという気持ちが、士郎にはあった。 この二人を、見届けたい。そういう考えが、あるのかもしれない。誰の為でもなく、士郎はただ、このサーヴァントとマスターの行く末を見たかったのだ。そして、それが幸せな結末だったとしたら、それ以上に喜ばしい事などない。 「無理に言うつもりはないけど、キャスターの一面を、先生に見てもらう良い機会なんじゃないかな。そもそも、葛木先生がここに来る事自体、珍しい事なんだし」 「でも」 そう言って、キャスターは言葉を詰まらせた。多分、迷っているのだろう。自分を、見てもらいたい。その気持ちは、ある筈だ。 「……宗一郎様を、落胆させたくないわ」 「落胆は、しないと思う。何となくだけど、それはわかるんだ」 それは、本当の事だ。葛木本人の事について、士郎が及び知る事などは、ほぼ皆無である。 それでも、心の何処かで、葛木とは何かが通じている気がしていた。 その正体は、正直掴めない。だが、他人事とは思えないような何かを、共感できるのだ。理屈ではない。士郎は、そう思っていた。 「でも、桜さんもいるし」 「桜は、この後すぐ出るよ。実家の方に、飯作りと掃除に行くんだって。そろそろ出ようとしてた所に、あんたらが来たんだ」 意外な事に、桜とキャスターは仲が良い。 キャスターは、桜に自分が料理下手である事を知られたくないらしく、料理を習っている事も、秘密にしていた。なので、この家で二人が会う事は少ない。 しかし、商店街や新都の方で、時折二人が並んで歩く所を見た事が、何度かある。どうやら、待ち合わせて、一緒に行動する事があるようだった。 二人とも、気が合うのだろう。それは珍しい事だった。キャスターは人を受容れない所がある。また、桜は、意外と人見知りをするのだ。なので、表面上だけならともかく、本当に気が合う人物は、極限られている。 「でも、うーん……だ、大丈夫かしら」 「大丈夫だって。今日は、少し難易度の低い料理にするつもりだし」 「うう、うーん。うー……じゃあ、ちょっとだけ」 「よし、決まりだな」 早速その旨を葛木に伝えようと、居間に戻ろうとした所で、目の前の襖が、向こうから開いた。中から出てきたのは、桜だった。 「あの、先輩」 「おう、どうした?」 「ご飯はまだかって、兄さんから催促のメールが来て」 「あ、悪い。すっかり引き止めちゃったな。いいよ、慎二に、飯与えてやってきて。あいつ、腹減ってるとすぐ拗ねるから」 「すみません、先輩。キャスターさんも、何のお構いも出来なくて」 「いいのよ、桜さん。突然押し掛けたこっちが悪いのだもの。それより、用事があるなら急いだ方がいいわ」 「はい。本当、すみませんでした」 そう言って、小走りで桜は玄関の方へ去って行った。途中、何度か携帯が呼び出しのコールを知らせていた。慎二は、よほど腹を減らしているのだろう。 「あんた、先生と桜にだけは優しいんだよなあ」 「男に優しくするのは、宗一郎様だけよ。それ以外で優しくして欲しかったら、可愛い女の子になってごらんなさい」 「無茶を言うな。……まあいいや。とにかく、先生にアンタを見てもらわなきゃな」 そう言って、襖を勢いよく開け放つ。 「ちょ、ちょっと、坊や!? まだ心の準備が……!」 「先生」 仁王立ちのような格好で、葛木の前に立つ。八対の目が、同時にこちらへ向いた。セイバー、遠坂、ライダー、そして葛木だ。葛木以外は、皆何事かと、こちらを見ている。当の葛木だけは、落ち着いた様子だった。 「実は今日、キャスターは料理を習いに来る日なんです。それで、丁度いい機会ですし、先生も見ていきませんか? キャスターが料理を練習する所を」 葛木は、それを聞き、珍しく考えるような素振りを見せた。逡巡しているのだろう。僅かに、視線が士郎から外れた。 しかし、それも束の間の事だった。やがて、葛木は士郎の背後、恐らくはキャスターの方へと目を向け、再び士郎へと目線を戻す。 「……迷惑でなければ、見させて貰おう」 「だって。決まりだな、キャスター」 キャスターに顔を寄せ、囁くようにそう言った。キャスターは、渋い顔をしている。 「今日は、いつに無く強引ね」 キャスターもまた、小さな声で囁いた。顔には、諦めの色がでている。 「たまにはいいだろ。いつも、アンタにゃ振り回されてるんだから」 「……はぁ。もう。なんでこんな事に」 午後一時二十分。キャスターは、調理の準備をせんと一足先に台所へ。葛木は、本当に始めから全部見るつもりなのか、キャスターを凝視していた。それを感じ取ってか、キャスターの動きもどこか硬い。 「衛宮君。ちょっと」 士郎も、台所へ行こうとした所で、呼び止められた。 遠坂である。その背後には、セイバーとライダーもいる。三人によって、有無を言わさず廊下へ連れて行かれた。 「どういう事です、シロウ」 厳しい目をしたセイバーが、そう言った。問いただすような言い方である。あまり、いい雰囲気ではない。 「どうって、キャスターに料理を教えるんだけど。毎週の事だし、珍しくもないだろ?」 キャスターが来る時は、セイバーがいる事も多い。 それは、試食するという名目で、完成品を摘む為であり、そのため、キャスターが家へ来る事は、黙認している感じだった。 「今回ばかりは、セイバーに賛同です。キャスターだけならともかく、そのマスターが一緒にこの家にいるのは、警戒に値するのでは」 セイバーを援護するように、ライダーはそう言った。 「警戒って……別にいいんじゃないか? 争っている訳じゃないんだし」 「甘いですシロウ。キャスターが単身で来るならば幾らでも対応はできますが、あのマスターが加わると、少々厄介です。マスターとサーヴァントという意味で、あの二人はバランスが良すぎる」 「大丈夫だって。今回は、本当に、料理を教えるだけだし、あの二人も変な事はしないよ」 「まあ、衛宮君らしいというか、楽天的というか……」 それまで口を閉じていた遠坂が、呟いた。セイバーやライダーと違って、あまり士郎を問い詰めるという感じではない。 「私も、多分何もないとは思うけど、でもそれなりの準備だけはしておいた方がいいんじゃないかしら。万が一って事もあるわ。そうね、セイバーとライダーが居間にいるだけで、かなりマシになるんじゃない?」 「うーん……まあ、それなら。じゃあ二人とも、居間でテレビでも見ててくれるか?」 「……シロウがそう言うなら」 「わかりました」 二人が、そう言って居間へと入っていく。遠坂は、それを苦笑気味に見送っていた。 「何も、あんなに構える事ないのに」 「あの二人が、警戒するのは、まあ当然ね。まかりなりにも、この家ってあの女に一度奇襲されてるんだし」 「そんなの、昔の話だろ?」 「衛宮君。人ってものはね、昔の話であるほど、拘るものなのよ」 遠坂は、それだけ言って踵を返した。そのまま、居間とは反対の方向へと歩いていく。 「遠坂、どこ行くんだ?」 「部屋よ。何か、居間はちょっと息苦しそうだし」 そう言って、遠坂は去って行った。 昔の話だから、気にしないのではない。昔の事だから、人は拘る。遠坂は、そう言った。それが、どこか、士郎の胸中に残った。 居間へ入った。 セイバーとライダーは、二人揃ってテレビを見ていた。お昼のニュースである。葛木は、相変わらず台所の方へ意識を集中させている。 士郎も、台所へと入った。 「どう、準備できた?」 「ええ。包丁、まな板、ボウルにフライパンにお鍋、その他諸々。完璧よ」 「よしよし。……さて、今日は何を教えるかな」 冷蔵庫を開く。 中には、幾つかの野菜が入っていた。肉や魚はない。キャスターの練習用の具材は、今日買おうと思っていたので、今はありあわせで作るしかない。 「んー、何作る、キャスター? 揚げ物とかどうかな」 「う、まだそれはちょっと」 「まだ難しいかな。うーん……お、切干大根がある。そうだな、じゃあ、一番慣れてる煮物にしようか」 「煮物? 何を作るの?」 「人参、玉ねぎ、じゃがいも。一昨日カレーだったから、全部あるな。よし、切干大根の味噌煮にしよう」 作るものは決めたので、野菜類を取り出す。後は、調味料を使うだけの、お手軽料理だ。 「じゃあ、キャスター、これを戻して」 キャスターに乾燥した切干大根を渡し、調味料を棚から取り出す。 「……戻す?」 「どうした、キャスター」 「え、ええ。そうね、戻すのね。えーっと……」 「あ、悪い。ひょっとして、切干大根扱うの初めてか」 「う……そう、ね」 「それな、調理に使うには、もっとふやふやした状態にしなきゃいけないんだ。だから、ボウルに入れて、流し水で洗ってくれ。で、ほどよく洗ったら、十分ぐらい水にひたす」 「わかったわ」 キャスターは、それを聞いて手際よく作業をはじめた。手先は器用なので、これぐらいの事は何でもなくこなすのだ。 ふと、居間の方へと眼を向けた。 葛木は、相変わらず静かに座っている。セイバーとライダーはというと、テレビを見ながらも、時々葛木の方を横目を向けている。まだ、警戒をしているようだ。 「……うーん、大丈夫なんだけどなあ」 「何か言った? 坊や」 「ん? いや……あ、そうだ」 作業をしているキャスターは置いておき、居間へと向かう。 葛木は、眼だけを士郎へ向けた。 「先生、良かったら、台所の方へ来ませんか? もっと間近で見た方がいいでしょう」 『ちょっ、坊や!?』 「ほら、キャスターは丹精込めて洗う」 『わ、わかってるわよっ』 「で、どうですか、先生」 聞かれて、葛木は台所の方へと目を向けた。やはり、逡巡している。 最近気付いた事だが、葛木は、物事を話すとき、全てに置いて深く考えている。それが、表情には出ないだけなのである。 「邪魔になるのではないのか」 「うち、台所は結構広いんで、三、四人入っても余裕あります。だから、大丈夫ですよ」 「……ならば、そちらへ行かせて貰おう」 「シロウ」 立ち上がろうとするセイバーを、手で制する。少し強引な手段だが、できれば二人にも納得してほしかったからだ。 葛木を連れ、台所へ入る。 キャスターは、ちょうど切干大根を洗い終わった所だった。布巾で、濡れた手を拭っている。 「ちょっと、坊や」 「まあまあ」 小声で抗議をしようとするキャスターをなだめ、人参と玉ねぎ、そしてジャガイモを取り出した。 「じゃ、続きだ。玉ねぎは半分に切って一口ほどに。ジャガイモも、同じく一口ほど。人参は乱切りでいってみよう」 「……もう」 頬を膨らませながら、キャスターは器用に野菜を切っていく。やはり、包丁の扱いは手馴れたものである。これに関して、士郎が教える事は、切り方の種類程度であった。 「……」 「?」 葛木は、キャスターの手元を視線を注いでいた。包丁を見ているのか、切っている野菜を見ているのか。それは、よくわからなかった。 「……衛宮」 「はい?」 「これは、私にもできるだろうか」 「「え」」 キャスターと声が重なった。 できるだろうか。そう、葛木は言った。一体、何を。察するに、恐らく野菜を切る事だろう。では、誰が。勿論、士郎はできる。キャスターは、今やっている。ならば、残るは。 「ええと、先生が、ですか?」 「ああ」 衝撃に似たようなものを、士郎は感じた。葛木の、料理をする姿を思い浮かべたからだ。 結果、よくわからない想像をしてしまい、立眩みのような症状に襲われたのだ。 しかし、思ってみれば、それも悪くはない気がする。想像できない分、見てみたいという思いが高まるのだ。 「ちょっと、やってみますか?」 「……何か不備があれば、教えてくれ」 「はい、わかりました。じゃあ、えっと、ジャイガモの皮むきなどを」 「うむ」 拳より一回り小さなじゃがいもと、包丁を手渡す。 葛木が包丁を持った瞬間、士郎の背中に、冷や汗が吹き出した。 家庭を支える料理人としての、警鐘が鳴っているのだ。いけない。アレは、包丁を知らない持ち方だ。 「そ、宗一郎様っ! 少しお待ちを!」 「す、ストップです! 先生!」 「?」 怪訝な顔……という訳ではないが、少し眉を動かし、葛木は包丁から手を放した。 幾らなんでも、ジャガイモの皮むきに、包丁を逆手で持つのはどうだろうか。士郎の脳裏を過ぎったのものは、出刃を持った押し込み強盗であった。 「あの、先生。料理の経験とかは?」 「ない」 「あ、なるほど。道理で……いや、道理か?」 「坊や、皮むきは貴方がやってちょうだい」 「了解」 葛木からジャガイモを受け取り、手早く皮を剥く。 人間はどれだけ細く、長くジャガイモの皮を剥く事ができるか。そんな事を、桜と競った事が何度もある。なので、ただ皮を剥くだけなど、容易な事だった。 あっという間に、ジャガイモの皮は剥けて、綺麗な栗色をした中身が顔を覗かせる。それを、葛木に手渡した。 「じゃあ、先生。これを切ってください」 「うむ」 葛木は、再び包丁に手を伸ばす。 「先生、ちょっと待った。包丁は、掴むんじゃなくて、持ってください。こうです」 そう言って、包丁の持ち方を、葛木に見せる。葛木は、それを見て一度頷いた。 「こうか」 「ちょっと強く握りすぎです。なんかミシミシ鳴っています。もっと、支えるような感じで」 何とか、包丁を持たせる。教えても、やはり手つきが危うい。 「坊や、人参と玉ねぎ、切り終わったわ」 「はいよ。じゃあ、後はキャスターが先生に教えてやって」 「えっ、わ、私が?」 「俺に教えてもらうより、奥さんに教えてもらった方がいいだろ」 「ええと……じゃあ、その、宗一郎様。僭越ながら私が」 「頼む、キャスター」 キャスターと場所を変わり、士郎は切った野菜をチェックした。どれも、ほぼ完璧に切られている。 そのキャスターはというと、懸命に葛木に包丁の扱いを教えていた。だが、葛木は要領がわからないらしく、作業は難航しているようだ。 その間に、水につけておいた切干大根の具合を見る。それは、ほどよく戻り、瑞々しくなっていた。頃合いである。 「キャスター、そのままでいいから見てくれ。ある程度切干大根が戻ったら、こうやってざく切りにする」 「ええ、わかったわ」 「ところで、そっちはどう?」 「……ジャガイモが、半分に切れたわ」 確かに、ジャガイモが半分に切れている。注意深く見ると、まな板も少し切れていたが、今はそれを気にしないようにした。 「よし、じゃあ調理に移ろう。葛木先生は、そのジャガイモをもう半分に切ってもらえますか」 「うむ」 「あの宗一郎様、さっき言ったように、本当に、指だけは気をつけて。猫の手ですよ? 猫の手。にゃーです」 「丸めるのだな。わかった」 先ほどの一瞬で、この二人にどんなやり取りがあったのか。非常に気にはなるが、まずは調理である。 「じゃ、この油を鍋に引いて、温める」 「その油は?」 「菜種油。癖のない油だから、煮物とかには相性がいいんだ」 鍋を手渡し、キャスターは作業を開始した。うっすらと油をひいて、火にかける。しばらくすると、鍋から少し白い煙が見えてきた。 「次。玉ねぎを入れて、塩を振りながら、しんなりするまで炒める。塩加減は、自分でやってみてくれ。多すぎたり少なすぎたりしたら、言うから」 「え、ええ」 ここからが、キャスターの苦手な分野だった。 物量に関しては、何事も計算を尽くして行うキャスターだが、それに反して、料理は感覚でやるものだ。見目や手分量、そしてタイミング。それが味を左右する。 塩を加えるべき一瞬。そんなものが、料理にはある。立会いと同じである。その感覚が、魔術師でもあるキャスターには、掴めないのだろう。 油の弾ける音と共に、香ばしい匂いが立ち上ってきた。鍋の中の玉ねぎは、次第にキツネ色へと変色していく。 「よし、人参を入れるんだ。なるべく、全体に散らばるように」 「ええ」 さっと人参を入れ、軽快にかき混ぜる。 鉄の擦れる音は、大概が嫌な音だが、鍋が擦れる音だけは、士郎は好きだった。何か、聞いていると安心するのだ。 「葛木先生、ジャガイモは……」 「すまない」 葛木の方を見ると、ちょうどジャガイモを手から滑り落とした所だった。それを、空中で捕まえる辺りが、さすがと言うべきだろうか。 「ええと。ああ、十分です」 ジャガイモ数個は、少々よれた形で切られていたが、概ね問題はなかった。四等分され、一口の大きさに切られている。 「キャスター、次に、切干大根とジャガイモを加えて。で、ほどほどに炒め続けて。切干大根は、あんまり崩さないように」 「え? あ、ええ」 キャスターは必死だった。ほどほどに炒める。そんな、曖昧な表現が、何よりも苦手なのだ。 「そろそろいいかな。じゃあ、この出汁をひたひたになるまで加えて。これ、市販の出汁だけど、本当は自分で出汁は取った方がいい。わりと難しいから、今度教える」 キャスターは、慎重に、少しずつ出汁を加えていった。 「で、五分ぐらい煮たら、もう一度出汁を加える。後は野菜が柔らかくなった頃に、味噌を加える。その後醤油を加えて、混ぜて火からおろす。それで味をなじませたら完成だ。どう、そこまで出来そう?」 「や、やってみるわ」 手惑いながらも、キャスターは確かめるように調理を進める。 葛木は、立ち尽くすような格好で、それを見ていた。その瞳に、キャスターはどのように映っているのか。士郎は、聞いてみたい衝動を押さえ込んだ。 不意に、居間が静かである事に気がついた。台所から、密かに居間を覗き見る。 「あれ」 居間には、誰もいなかった。 テレビは消してあり、一旦離籍をしたといった感じでもない。という事は、二人とも部屋に戻ったという事なのだろうか。士郎は、それが少し嬉しかった。 「坊……衛宮君、これでどうかしら」 それから十分ほどして、キャスターは、改まった言い方でそう言った。料理が、完成したのだ。 「……うん」 士郎は、鍋の中を見た。 出汁を吸った切干大根や、根菜類は、どれも濃いキツネ色に変わっていた。その中で、乱切りにされた人参は、鮮やかな色合いを見せている。 火加減は、丁度いいらしく、崩れた具材は見受けられない。どれも、柔らかそうに煮込んである。 鍋の底にある、汁の表面には、滲み出た野菜の汁などが油に交じり、薄く揺らめいていた。それは、陽光に反射し、てらてらと光っている。 鍋から立ち上る白い湯気は、いかにも旨そうな匂いがした。ほのかに甘い香りだ。味噌の香りである。 「まずは、試食かな。じゃあこれ、食卓に運んでくれ。皿は、六人分な。多めに作ってあるから余裕だろ」 「ええ、お皿は、何でもいいのね」 「ああ。棚にあるやつは、何でも使っていいから。俺は、セイバー達を呼んでくる」 居間から出た。 出る間際、葛木は皿運びの手伝いを申し出ていた。それを見て、士郎の口元には、自然と笑みが浮かんでいた。 「へぇ」 「ほう、これは」 「なるほど」 三人は、来るだろうかと心配したが、それは杞憂に終わった。呼びかけると、意外なくらいあっさりと出てきたのだ。 衛宮家の居間である。 皿に盛られた料理は、六人分出されていた。一同が、座してそれを眺めている。三人共に、悪い反応ではない。 「じゃ、キャスター」 「え、ええ。それじゃあ、どうぞ」 キャスターの言葉に、全員が箸をつける。無論、葛木も同様だった。キャスターは、自分の分には手をつけず、それを心配した面持ちで見ている。 一口、料理を口に入れた。 旨い。士郎は、そう思った。切干大根の甘味と、出汁の風味が、舌に滑らかに広がる。上品な味だった。 ふと、三人の顔を見た。 「どうかな?」 士郎がそう言うと、三人は微笑を浮かべた。 「ちょっと塩味が薄いかな。でも、これなら上等じゃない」 「とても美味しい。見直しました、キャスター」 「……さすがに士郎には及びませんが、悪くはありません」 三者三様の返事を返す。それを聞き、キャスターもどこかくすぐったそうな顔をしていた。 しかし、まだ、肝心の人物の評価は聞いていない。 「あ、あの、どうでしょうか。宗一郎様」 「……」 葛木は、ゆっくりと咀嚼している。その表情からは、何も伺えない。自然に、場が固唾を呑むような雰囲気になる。 「……うむ」 少しだけそう声に出し、二口目を口に入れた。噛み締めるような、食べ方だ。キャスターは、それを不安気な感じで見ている。 「旨い」 「えっ」 呟くように、葛木はそう言った。それを聞き、キャスターは僅かに身を震わせた。 「旨いぞ」 確かめるように、葛木はそう言った。そして、三口、四口と続けて食べ始める。 「え、あ……あ、はい」 かくりと頷き、キャスターが息を吐いた。安堵の吐息か。それとも歓喜のものか。そのどちらともであると、士郎は思った。 「あ、宗一郎様。お代わりは、いりますか?」 「ああ」 いつの間に全部食べたのか、皿の中は綺麗に片付けられていた。キャスターは、葛木の皿を受け取り、台所へと向かって行った。 「……あの人」 遠坂が、ちょっと驚いたように、そう言った。その視線は、キャスターの後ろ姿に注がれている。 「うん」 返事をする訳でもなく、士郎はただ頷いた。 料理を褒めてもらい、泣く事だってある。血の通った、人なのだ。それは例え英霊だろうと何だろうと、尊いものである。 士郎は、料理をもう一口食べた。遠坂の言うとおり、少し塩が少ないと思った。それでも士郎には、その料理が、とても得がたいものである、という事がわかった。 旨い。その言葉を、心中でもう一度呟いた。 食後は、皆別々の行動をとっていた。ライダーとセイバーはテレビを見ている。遠坂は居間で雑誌を眺め、キャスターは洗い物だった。 士郎と葛木はというと、何故か二人揃って、屋敷の縁側に座っていた。どこか、居間の女性陣から、弾き出されたような格好だ。 時刻は、四時を過ぎている。朱色のまじった西日が、屋敷の庭を赤く染めていた。夕刻である。 「先生、お茶です」 「済まない」 そうやって、二人で茶を啜る。暖かな茶が、ゆるりと喉を通る。士郎は、一息ついた。 「……」 葛木は、手に持った湯呑みを見ていた。いや、もっと、別のものを見ているのかもしれない。表情は、一切読み取れないが、士郎には、そう思えた。 「私は、何もできない。今日、改めてそれがわかった」 「え?」 唐突に、葛木はそう呟いた。独白のような、一言だった。自分に言ったのか。士郎は、そう思った。 「葛木先生が何も出来ないって、それは違うんじゃないですか?」 「……」 葛木は、士郎へと視線を注いだ。 士郎は、葛木を深く知っている訳ではない。クラスの担任でもなく、あくまで、受け持ちの倫理の教師にすぎないのだ。それでも、先生の一人や二人の評判ぐらいは、耳にする。 「何も出来ない人なら、生徒に頼られないと思いますけど」 「頼られている、か。だが、私には、生徒にしてやれる事は限られている。どれも、大した事ではない」 「先生は、生徒の話をよく聞いてくれます」 「それしか、出来ないだけだ」 「それが出来るから、頼られるんです」 言葉は、それ以上続かなかった。何を言えばいいのか、わからなかったのだ。葛木もまた、同様のようであった。 「私は」 葛木は、そこで短く言葉を切った。少しだけ、沈黙を守り、再び口を開く。 「私は、妻に何がしてやれるだろうか」 「え……」 「キャスターは、私に料理を作る。私を思っての事だろう。だが、私には、あいつにしてやれる事が、あまりに少ない」 「それは」 何だと言うのか。葛木に助言をする。それは、あまりに愚かだと思えた。 結婚の経験のない士郎にとって、葛木に何を言おうと、それは憶測にすぎない。いい加減な事だけは、言いたくなかった。 「あいつに、何かをしてやりたい。そして、何かをしてやる事で、私は変われるのではないかと、常に考えている。だが、何をすれば良いのか、見当もつかない」 「先生は」 つい、言葉が出た。何を言うつもりなのか。士郎は、自身に問い掛けた。 「完璧じゃなきゃ、嫌なんですか?」 「……どういう事だ」 「何かをしてやれなければ、嫌なのかなって。結果は、例え無駄になるような事でも、何でやらないのかなって」 「……」 「先生に出来ない事でも、して貰えば、キャスターは嬉しいですよ。今日、先生が手伝うって言った時、キャスターは凄く嬉しそうでした」 「だが、結局役にはたてなかった」 「役に立てなきゃ、駄目なんでしょうか。足を引っ張っちゃ、いけないんですか?」 「……」 「あ、いや」 言って、士郎は後悔した。何で、こんな事を言ったのか。自分でも理解が出来なかったのだ。何故か、葛木には、言わずにいれなかったのだ。 「宗一郎様」 キャスターの声がした。後ろを振り向く。そこには、居間の方から顔を出した、キャスターの姿があった。 「そろそろ時間も時間ですし、お暇しませんか?」 「……うむ」 葛木は、腰を上げた。士郎もまた、葛木に続く。 居間に入る間際、葛木は、一瞬だけ士郎を見た。 「衛宮。世話をかけた」 「いえ、そんな事は」 そう言って、葛木は玄関の方へと歩いていった。 外に出た。すっかり辺りは夕暮れで、家に帰宅せんと、足を速める人の姿も、ちらほらと見かける。 葛木とキャスターは、並んで門の前にいた。遠坂達は、既に玄関で二人を見送り、それぞれが部屋へと戻っている。 「それじゃあ坊や。今日はお世話になったわ」 「いいさ、これぐらい。それより、忘れない内に、何度か練習しろよ」 「わかってるわよ。料理に関しては、口うるさいわね」 眉を顰めながらも、キャスターは笑みを浮かべていた。綺麗な笑みだった。それが、夕焼けに交じり、より美しいものに、士郎は見えた。 「それじゃあね。坊や」 「ああ、それじゃあ。葛木先生も」 「……」 葛木は、何も言わない。神妙そうに、士郎を見ていた。 そう思っていると、葛木は突然頭を下げた。 「先生?」 「宗一郎様?」 「……衛宮。これからも、妻を頼む」 そう言って、葛木は、顔を上げた。 「……ええ。はい、勿論」 「?」 キャスターは、不思議そうに、士郎と葛木を見比べていた。キャスターに、少しぐらいの内緒があってもいい。士郎は、そう思った。 二人は、そのまま、夕陽を背負って帰路へとついた。段々と姿が遠ざかる。士郎は、何か眩しいものを見る気持ちで、二人を見送った。 「さてと」 振り返り、士郎は我が家を顧みた。日常だった筈の一日が、少し特別な一日になった。だが、それも、これでお終いだ。今から、再び日常へと戻るのである。 「よし、今日は、ちょっと気合をいれて、作るかな」 誰に言うともなしに、士郎はそう言って、腕まくりをした。 もうすぐ、宵の口である。これから、衛宮家の家族達を、満足させる夕食を作らなければならない。 それは、大変な事だが、同時に嬉しくもある。士郎は、上機嫌で家へと戻っていった。 【エピローグ】 宗一郎は、柳洞寺への帰路を、辿っていた。 隣には、キャスターがいる。歩幅を合わす為に、少しだけ足を遅めて、並んで歩いていた。 「宗一郎様。私、色々な料理、覚えますね」 「ああ」 キャスターが話し掛け、宗一郎はそれに頷く。それ以上、言う事が見つからない自分が、少し嫌だった。 小さな、ともすれば、聞き逃してしまうような鼻歌が、耳に届いた。キャスターである。それは、聞いた事のない曲だった。しかし、どこか懐かしい響きがある。故郷の歌なのだろうか。 「キャスター」 「え、はい」 宗一郎は、話し掛けた。しかし、何を言えばいいのか、わからなかった。突き動かされたように、声が出てしまったのだ。 「……」 「あの?」 「私は、お前が料理をする時、手伝った方がいいだろうか」 「えっ」 驚いたように、キャスターが眼を見開いた。 驚く気持ちは、宗一郎も同じだった。今日、失態を見せたばかりではないか。なぜ、そんな事を言ったのか。宗一郎にはわからなかった。 「宗一郎様が、私を?」 そう言われて、思わず頷いた。 普通に考えれば、受けるべきではない。手伝いといっても、大した事はできはしない。今日の事を省みれば、むしろ足手纏いになるだろう。 ならば、何故そんな申し入れをしたのか。それは、宗一郎の理解の範疇を越えていた。 キャスターは、しばらく宗一郎を見つめていたが、不意に、微笑を浮かべた。それが、宗一郎をますます混乱させた。 「いいえ。それは、お断りします」 やはりか。宗一郎は、そう思った。当然の事なのだ。むしろ、断られて、宗一郎は安堵したような気持ちになった。 しかし、キャスターは、そんな宗一郎の気持ちを見透かしたかのように、言葉を続けた。 「宗一郎様に料理を作るのは、私の楽しみでもあり、幸せでもあります。だから、それは、いくら宗一郎様の頼みでも、受け入れられません」 「そうか」 口ではそう言ったが、本当にそれで良いのだろうかと、宗一郎は考えた。 今のままでは、ただその好意を受容するだけなのだ。自分から、何かをしてやれる事は無い。 「だから、あの」 キャスターが口篭もる。頬は、僅かに上気していた。 「私のご飯を食べて、美味しければ美味しいと。不味ければ不味いと言って欲しいです。そのどちらを聞いても、私はもっと頑張れます。それで、あなたには、更に美味しいご飯を食べてもらいたい」 「……そうか」 もう一度、そう呟いた。このままでいいのかという疑念は、変わらず根付いている。しかし、キャスターは、それを望むと言った。 何がしてやれるか。それは、詭弁だった。そうではない。 何をしてやりたいのか。それが、本当に望んでいる事ではないのか。キャスターの為に。それ以上に、自分の為に。 宗一郎は、キャスターを見た。笑っている。その笑顔は、自分に向けられたものだった。 不意に、宗一郎は、その女が自分にとって、何か、かけがえの無い存在のように思えた。間違いではない。その気持ちが、間違いであると、宗一郎は認めなかった。 「そうか」 もう一度だけ、呟いた。キャスターは、変わらず笑みを向けている。 夕暮れである。 遠目に見える御山は、陽を背にしながら、町へと陰を灯す。山々を駆ける風は、柔らかな山気を、麓に運ぶ。全ては、同じだ。人の営み、自然の生。全てが、同じである。 これが、命だ。宗一郎は、そう思った。 私は、生きている。それだけを思い、宗一郎はキャスターの手を握り締めた。暖かい。これが、人の生なのだ。 「えっ、あの」 「帰るぞ、キャスター」 「え、あ……はい」 連添い、歩く。 相変わらず、宗一郎にとって、人とは不思議なものだった。理解ができない自分を、不甲斐なくも思う。それでも、人は生きている。それが、正しい事なのだ。 キャスターに、何をしてやりたいか。それはわからない。ただ一つだけ、宗一郎は心から願った事がある。 この女と、共に存在(あり)たい。それが、宗一郎の、希望だった。 風が、頬を掠める。緩やかな風だった。 春風。宗一郎は、その言葉を口にした。
by 早志信介
葛木は、誰よりも自身を変えたいと思っているのでは。 hollowをしていて、そう感じました。
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