"ひとつの結末。" by 能登耕平

しん、と静まりかえった、見慣れたはずの街。
見上げた空には、歪な、異様な月が浮かんでいた。
これは、そんな夜の出来事。

＊

姉貴に頼まれて、遅くからコンビニに買出しに行く。チャリで数分、面倒ってほどじゃない。
普段から横暴なやつだけど、暗闇を怖がるような、か弱い部分はないはずだった。
今年の初め。あの事件があってからだ。
…仕方ないよな。いつもは元気で平気そうで、周りも忘れるくらいだけど
やっぱりトラウマ感じてるんだろう。身内としてフォローはしてやりたい。
……だからって、この頻繁なパシリ扱い、無条件で許せるわけじゃないんだがな。

注文どおり、飲み物と雑誌を購入。少し立ち読みもしとく。
急ぎすぎるのもしゃくだ。遅すぎるとそれはそれでヤバいので制限あり。
しっかし、発売日だからって頼まれたけど、もう少しオンナノコしたもの読めっての。
男に人気があるのは知ってる。クラスでもファンなやつがいるくらいだ。
冗談っぽく生写真を頼まれた。…実は本気くさかったのがイヤになる。
とっとと彼氏でも作ればいいのに、理想がやたらと高いらしい。釣り合いってわけか？
半端なく武道極めるのもいいけどさ。その前に、もちっと女磨いた方がいんじゃねーの？
やっぱさ。おしとやかに、上品に、笑顔が似合って、指導は厳しく的確で、優しいのが……。

思い浮かんだのは一人の女性。
一目ぼれなんてマンガだけだろ、なんて思ってた、大人を気取った以前の自分を。
木っ端微塵に砕いてくれた、あの人のこと。

……それだけならよかったけど。連想して、アイツの事も考えちまった。
ギリっ、と歯を噛み締める。あのとぼけた顔がイライラする。
勝ち誇ってるってわけじゃないのは分かる。それが更にイラつかせる。
あー、やめやめ。気分が悪くなってきた。
そろそろ帰ろう。いい加減にしないと、姉貴のリミットがブレイクしちまう。

コンビニを出る。チャリにまたがり、立ちこぎですっ飛ばす。
……っ、何だよ、あっぶねぇ。おっさんが一人、横道から飛び出してきた。
飛ばし始めに水さされて、気分が余計に悪くなる。
一言いってやるか、なんて思って、ガキくせえよな、なんて苦笑して……。

そのとき。ひどく、耳障りな、音が聞こえた。

「……ぁ、ぐ、な、何だ？」

動物？　ちがう。人間？　そんなわけがない。じゃあ、一体、これは？
頭の中をがりがり引っかいて、不快で不吉な予感いっぱいにする。
おっさんは、ひぃ、って感じの顔で、４つんばいで、はって進んで。

それを追いかけて、横道から現れたのは。
動物でも、人間でもない――冗談みたいな、それは。

「……はぁ？　いや、なん、だよ。それ」

何かの、どっきりか？　ば、っかばかしい。何だよ、おい。
悪趣味じゃねえか。ＴＰＯ考えろよ。こんな夜中に、何やってんだよ。
おっさんもグルってわけか？　ははっ、どこの劇団だよ。真に迫りすぎだ。
あっという間に追いつかれやがって。これからどうするんだ？　ん？
おっさんに向かって、その爪、振り上げて。どこでネタバレするつも……。

振り下ろされたその爪は。
見知らぬ他人を、いとも簡単に引き裂いた。

ぱん、とはじけて。暗い道路の上を、更に昏い何かが飛び散った。
は、あはは、はははは……おいおい、やりすぎ、だろうが。
何だよそれ。チープ過ぎる。Ｃ級映画かよ。そんな風に、人間、脆いわけないだろ？
変な音、出しやがって。変な格好、しやがって。変な、変な目を……。

その目が。オレを捉えた。
おっさんだったモノを、造作なく踏み潰しながら。
口に運び、ぐちゃぐちゃと、味わいながら。
身体ごとオレに向く。新しい餌を見つけて、高らかに鳴く。
ケモノじゃない。ケダモノどころじゃない。
こいつは、こいつは……バケモノ、だ。

身体が勝手に動いてくれた。
その爪が、オレがいたはずの空を裂く。半瞬のブランク。幸運に過ぎない。
かつてない力でペダルを回す。それでも遅い。遅すぎる。もっと早くしろよ！
あの音が、あの鳴き声が、耳元に、すぐ後ろだ、離れない離れない離れない！
イヤだイヤだ止めろもう止めろ嘘だろ嘘だよなばっかみてえ何真剣になってんだよオレそんなわけないだろこんなのありえないだろははおい夢か夢オチってやつかそういや月だっておかしかったよないつから寝てた近づく音が近づくおい覚めろ覚めろよ近い近い近い追いつかれる待てよもうちょっとで目覚めるんだもう少し待てよ待ってくれ待てって言ってんだろ頼む頼むよおい誰か誰か誰かたすけ助けタスケテタスケテたすけ……。

………………っ？　音が、離れ、た？　どうして……っ！？　
後方から、誰かの悲鳴が聞こえた。女の人の、肺から搾り出したような、叫び声。
一瞬の間。すぐに答えが出る。
バケモノは、新しい獲物を見つけたんだ。手頃な、容易な獲物を。
……た、すけ、なきゃ。だって、オレ、だって、そうだろ？
こんな、見捨てる、なんて。そんな、こと、できな……。

あの音が、聞こえた。後ろからじゃない。
横から。前から。そこいら中から。……一匹じゃない、のかよ。
身体が動き始める。後方に？　違う、声の、聞こえない方向に。
何だよ、それ。待てよ。ちょっと待てよ。女の人、いるんだぞ、すぐ、後ろに。
こんなの、最低だろ。最低だよな。ああ最低だ。どうしようもなくさいっていだ！
あぁ、イヤだ。イヤだ、こんな。オレ、何で、だよ。
マンガとか、ドラマとか、そういう奴いるよな。自分のことだけ考える、嫌われ役。
見てて思うだろ？　コイツ、最悪だって、思うよな？　悪口吐いて罵ったよな？
なら、オレは、オレは、オレはオレはオレは……！

決め手は。たぶん、同じ、女の人の声。
どう考えたって、それは、断末魔。
……オレは、その場をすぐに離れた。
安心したんだ。もう、間に合わないって。安心、しちまったんだ。

最低だ。

＊

ぐちゃぐちゃな顔してたと思う。
鼻水も涙も流しっぱなしだ。情けないオレは、情けない面で、情けなく逃げ惑う。
一人を置き去りにした途端、開きなおっちまった。
男の声が聞こえた。ばあさんの声が聞こえた。子供の、声も、聞こえた。
すべてを、なかったことにした。あぁ、そうだ。頭から追い出した。
家に帰ろうと思って。だけど、もう、今、どこを走ってるか分からなくて。
知りたくもない事を思い知る。

この街は、バケモノで、埋め尽くされている。
どこにも、逃げ場なんて、ない。

…………状況への、自分への、失意の中。
気づいた。やっと、そこに思い至った。
街全体が、蹂躙されて、いるんだとしたら。

彼女は、今、どうしているだろうか？

目的が出来た。それにすがりつく。懸命にペダルをこぐ。
オレが行って何になる？　もうどうしようもないんじゃないか？
そこが逃げ場になるとでも？　見たくないもの、見てしまわないか？
自問ばかりが頭の中を埋め尽くす。自答はない。答えなんて見つからない。
オレに出来たのは、今、どこにいるかを、懸命に思い出して。
彼女の家への最短を考えて、あの音を、避けるように、逃げるようにして。
辿りつくこと。全てはそれからだ、と。
自分を、全力で、誤魔化し切ること。

……そんなことすら、不可能だってことも。夢物語だってことも。
分かっていたはずだった。

「……が、ぁ、く、あ……」

弾き飛ばされていた。チャリは半分に折れ曲がり、車輪は片方飛んでいった。
体中が痛い。背中が熱い。身体を転がすと、ぬちゃり、と、何かが纏わりつく。
それが、自分の血だと。認めたくもない現実。
近づく影。一つじゃない。二つ、三つ、四つ……は、はは、はははっ。
人気者、だ。オレ。もう、他は、食い尽くしたって、ことか？

これ以上の悪夢なんてない。そう思った。
……甘かった。甘すぎた。
それすら、ぬるい幻想だったんだ。

走りこんでくる一つの影。
バケモノどもは、一斉にソレに纏わつき……簡単に、手遊びで作られた紙細工のように。
引き裂かれてゆく。引き裂いていたモノが、人間と同じ結末を辿る。
影は息を整えて。オレの存在に気づいて。小走りに、駆け寄って。

「おい、大丈夫か？」

…………なんだよ、それ。
なんだってんだ。このオチは。ふざけんな。ふざけんな、ふざけんな！

「が、ぐ、げが、が…」
「喋る…。じ………て……。い…、傷……」

やめろ。何してんだお前。オレに寄るな。近づくな。触るな。
声をかけるな。心配するな。助けるな。放ってくれ。頼む。頼むよ。なぁ、頼むから！

「………っ？」

「…………！　…………！！」

意識は遠のく。身体が冷たくなる。
最初の一撃で、呆気なく致命傷、ということか。もう、声も聞こえない。
終わるなら、とっとと終われ。こんな悪夢は、止めてくれ。

どうしようもない絶望。
それが、オレの最後の感情だった。

＊

「……何、その顔？　寝起きでも悪かった？　お子様ね～」
「うっせぇ。余計な、お世話だ」

朝。第一声から、遠慮も礼儀もない姉貴の声。
鈍痛に頭を抱えながら、同じテーブルにつく。朝ごはんに手を伸ばす。
嫌な夢だった…そう思う。内容は、まったく覚えていない。
気分は最悪だ。どうしたって払拭できない。

いつもの治療薬も効かない。錠剤でも、粉末でもなく。
彼女の顔を思い浮かべること。……更に、強い不快感が脳を揺さぶる。
自分がよく分からない。今日は、大人しくしたほうがいい、か。

＊

理由は分からないけれど。一つの思いが、心を占めている。
オレは、強くなりたい。
誰よりも。アイツよりも。ずっと、ずっと。

そして。今度こそ。
オレが、絶対に、あの人を……。

［Continue］