学校帰りの夕暮の中 家事の当番の日じゃなかったからだろうか ふと、普段と違うことをしたくなった。 士郎は教会の前に立っていた。 特に目的があるわけじゃなかった。 なんとなく、歩いている時に理由もなく、最近、屋敷に間借りのような形で一時住んでいた女の子のことが頭に浮かんだだけである。 まぁ『女の子』などと可愛らしく表記されているが、あの赤い悪魔をもってして『知恵の強敵』などと言わしめる怪人でとんでもない毒舌家ではあるのだが ……それはそれとして、教会の改装が終わり、しばらく会っていなかったので、ここに立ち寄るのも悪くはないだろうと士郎は考える。 そんな思考と共に、教会の扉は開かれた。 とたんに、辺りに響く荘厳な音の波 白いシスターの弾くオルガンの音色が、辺りの音の全てを支配する。 教会に、オルガンが持ち込まれていた事に少しでも驚いていいはずなのに 士郎はそのことを当然のように受け入れて 何の思考もなく、なんとなく『定位置』に座っていた。 演奏者は、彼の存在を感じ取る。 彼がその場所に、腰を下ろした瞬間に 色もなく、祈りでもなく、ただの日課で趣味だった彼女の演奏に熱がこもる。 カレン自身気づいていないことだろう。 しかし、対象のなかったその音は、その瞬間から、たった一人の観客のために紡がれる。 何故、そんなことになったのだろう？ 彼女のこれはただの日課だ。 『誰かのために』なんて余分は普段はないはずなのに そんなことは、関係ないとでも言うように、音は変わらず、響いていた―――。 その音の中に士郎はいて 彼は音楽なんて分からないけれど 何故か酷く懐かしくて、何かとても大切なもののような気がした。 目を閉じる。 思考が酷く落ち着いていた。 それで思う。 これを聴いて『落ち着く』だなんて、珍しいこともあるものだと そこで士郎は不思議に思う。 彼女の音をはじめて聴いたはずなのに どうしてこんな事を思うのだろう。 しばらく、考える。 しかし、彼女の音を聴いていたら、そんなことは忘れてしまった。 この不思議なデシャブは初めてでないような気がしたから、慣れてしまったのかもしれない。 まぁ、今の衛宮士郎にはそれすらもどうでもよいことではあるのだが 今はただ、少女は少年の存在を感じ、音を紡ぎ 少年は少女の音に身を委ねる。 そんな時間がずっと続いた。 演奏が止まる。 士郎はカレンに視線を向けたまま カレンは意識だけでなく、金色の瞳も士郎に向ける。 「長かったな」 「開口一番がそれですか？貴方は」 カレンの半眼が士郎を射抜く。 「いや、実際さ、そうだろ？」 その仕草に、カレンの気分を害する事を言ってしまったかと、慌てたように士郎は言い訳をする。 「帰りに少し寄るだけだったのに、すっかり遅くなっちゃったからさ…つい」 バツが悪そうに言って 「ほら、夕飯とかあるしさ、俺」 と、続ける。 「それならば、途中で帰ってもよかったのでは？」 拗ねたように、カレンは言う。 士郎は、彼女と過ごした屋敷での一時から、そんな様子のカレンを珍しく感じて 『ここ』でそんな彼女を何度か見た気がして そんなことないかと思い直した。 「いや、途中退席しようなんて気は起きなかったんだよ。俺は、音楽なんて分からないけど、あんたの音はなんか、よかった」 士郎は、カレンを見据えて真顔で、本気でそう言った。 その言葉に、カレンは目を丸くした後、瞳を閉じて 「そういうことは、初めに言ってください。空気が読めませんね、貴方は」 その言葉に士郎は苦笑する。 「いや、確かによけいな事言ったかも知れないけど、まがりなりも誉め言葉にそう来るか……」 『相変わらず、辛辣だな』と溜息をつく。 「そうですか？」 「そうだよ、よけいなお世話かもしれないけど…シスターとしてそれでいいのか？」 「恐らく、大丈夫でしょう。私が辛辣と感じるような態度を取るのは貴方のような人だけだと思いますから」 「どういう意味だよ。それ」 「救いを求めてくるものの悩みは真摯に受け止め癒します」 カレンは祈るように手を組み、当然のようにそう言う。 「……」 そんなカレンに士郎は一瞬、何を言っていいか分からず ただ、表情を固くした。 会話が途切れて、静寂が辺りを支配する。 「俺、そろそろ帰らなきゃ…桜が夕飯を用意して、皆が待ってるから……」 しばらく後、静寂に耐えかねたように士郎がそう言って 「あ、そうですか」 何でもないことのように、カレンがそう呟いた。 士郎は教会の出口に足を向けようとして 「……なぁ、カレンも来るか？」 振り向いて、カレンに手を差し出した。 「―――！？」 カレンはその申し出に言葉を失うほど驚いた後 「どうして、ですか？」 その急な申し出の真意を問うた。 「どうして……だろうな。俺もなんとなくなんだ…ただ、カレンの演奏を聴いて、話していたら、あんたとここで別れるのが惜しくなったというか ……来て欲しいと思ったんだ……独りでいないで」 士郎はそう言って『可笑しいよな』なんて苦笑する。 その言葉に、カレンはまたも言葉を失って そして、わずかに…しかし影なく微笑んだ。 「遠慮しておくわ、私が急にそちらに行ってはお邪魔でしょうし」 「そんなこと」 「そんなこと、あると思いますよ。衛宮士郎、大体先ほどの言葉からすると、今日は貴方の当番ではないのでしょう？」 その言葉の意味するところに気づき、士郎は言葉を止める。 「だったら、私がそちらに行ってどうなるかは、今の貴方に分かる事ではないのだから……」 「……そうだな、悪いよけいな気を使わせた」 そう言って、士郎は再び教会から出ようと、体を翻す。 わずかに、後ろ髪を引かれたまま、扉を見る。 そんな士郎の背に、鈴のような声がかけられる。 「今度は、もっと余裕があるときに誘ってください。誘われる身で勝手を言うけど、貴方が当番の時は特に好ましいわ」 受け入れるだけだった修道女は手を伸ばす。 まがりなりにも、気に入ったこの街の、一つの情景に それは今日、誰のためでもない音色が少年に語りかけた程度の、些細な事 でも、それは普段の彼女からしたら、確かに破格なことで その街のなんでもないことを知りたいと、その情景の中で自分も何かを織りたいと、そう思ったのだ。 一方、少年は、少女のその申し出に、一瞬だけ足を止めると 「分かった、近いうちに必ず招待するよ。……またな、カレン」 と明るい声で言って、教会の扉を開け、去っていった。 後ろ髪は、もう引かれていなかった。 士郎が去った後も、カレンはその場でしばらく佇んでいた。 そして、思い返す…今日という一日を 特に、何か劇的なことがあったわけじゃない。 一見、なんでもないようなことがそこにあって しかし、それらの積み重ねで日常は、先に続く未来はできている。 カレンは、自然、微笑んでいた。 それらを思うことも不快ではなかったし 自身の嗜虐という、趣味を存分に満たしてくれる、一見なんでもないように見えて、その実、病的なほどお人よしで 傷だらけの彼の招待が何時くるのかと、それを思うだけでも楽しみだった。 それを思いながら、今日を思い返していたら 一つ、彼に言い忘れていたことがあったことに思い立った。 彼の賛辞を『空気が読めていない』と言ったが 言葉の失敗と言う意味では、自分も彼の事は言えなかったかもしれないとカレンは苦笑する。 まぁ、それは今日の出来事と同じく、そう大きなことではないかもしれないし 彼は、もうここにはいないのだけど それでも、一言 自分の音色を聴いてくれた事、評価してくれた事と、願いを受け入れてくれた事に 「感謝します。衛宮士郎」

by 水谷由司

カレンさん、大好きです。
私は、好きなキャラはカップリングというか、恋愛感情に限らず、他キャラと面白い絡みをしてくれそうなキャラを好きになる傾向があるのですが、カレンさんはかなりヒットしました。
掲示板にも書いたのですが、士郎君に絡むといろいろよくも悪くも影響を与えそうな方だなあと…まぁ、そこをまとめると恐ろしく長くなりそうだし、上記SSではそこら辺のことには触れず『後日談』afterです。
カレンさんの魅力的なキャラを忠実に書けてるか激しく不明（ぉ
作品としてもうまく書けてるか激しく不明（ぉ
まぁ、私の未熟さはさておいて、カレンさんには善戦を期待＆希望します。

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