"嘘つきをつかまえて。" by 久保田イオリ

オレは目と耳をとじ（られ）、口をしめ（られ）た人間になった。
　聾で唖な、キチガイみたいな人間に。
　ただ、人間じゃなければ容認されるんじゃないか、とか。そう思った。
　いいや。逆だね、オレ。
　人間じゃなくなれば、容認されるんだ。

てくてく、と道を歩いてみる。どっかの誰かが歩きなれた道。それをなぞる真似は、もうヤメだ。出てくる結末はもう見飽きてしまっているのだから、絶対に、誰も行かない道を進んでみる。

この道でさえ、行けるのなら誰かが行く可能性はある。低いというだけ。絶対に誰も通らない道なんて、この世界にありはしないだろう。ただ、そこを通り、何を見て何を感じるかは様々。何一つとして同じ空想が無いのなら、目も耳も口も無い男の空想を幻視する人間はいない。

要するに。なんにもわかんねえのである。

てくてく、と道を歩き続ける。どっかの誰かが歩きなれた道。そうしないと、風景が見えないのだ。景色は心象のみ。想像するだけでは、歩けない。想像に記憶を追加して、追想の世界をオレは歩いている。

人真似しか出来ない、なんて。まるでどっかの誰かだ。そんな部分さえなぞってしまっている。ここを曲がると、港がある。曲がってみる。潮騒の音を幻聴で感じ、そよ風を感じる真似をする。

誰もいないらしい。釣り好きな奴隷たちも姿がない。誰も話しかけてこない。まぁそりゃ、透明人間に話しかけるヤツなんぞいないけど。

まったくもって、笑い話だ。なんにもねえのにどうしろと。これじゃ、あの四十秒も待てない女に会っても仕方がない。彼女がオレを見つけても、こっちは見えないし聞こえないし喋れない。

それは、世界への干渉を遮断している。この世全ての悪とかいう最強最弱の悪魔は、誰一人として殺せなかったりするのである。

オレという人間(ｾｶｲ)は、それこそ、猥雑な記憶だけで組みあがっていた。

鼻歌で明るい雰囲気を演出しつつ、気休め程度に欠伸をしながら、街を行く。港から駅前、商店街とどこだって行ける。行ったところで、何の価値も無かったりする。記憶を辿っているだけ。すでに経験したことしか、出来ない。だったら、価値などあるはずがなかった。

ん、あれ。じゃあ何で、歩いてんだろ、オレ。

アンティークな喫茶店で、そんな不思議を感じた。カラに閉じこもって、次の目覚めを待てばいいだけなのに。

一本杉みたいなヤツである。どーん、と気高い女であった。ただ、樹齢がヤバすぎて、欠陥構造なワケだ。いや、元から強度偽装なんだけども。

あれー、おっかしいなー、と思った理由は。槍のお兄さんのいた場所だけを巡ってる自分に気がついたからだ。そんなことをするヤツに心当たりは二人ほど。だけども。やっぱり付き合いの長い一本杉なアイツを思うのだ。

「気に留めることもナシ、思い返すこともいらねえ。ただ、アンタの持ってる宝箱は煌きが見えないからさ。思い出っつーのは宝箱にしまっとくと風化して、しかもアンタはロクでもねえモノしか持ってないし。クソ神父と一緒にアンタの宝箱を彩るだけ、ってコトで」

いい別れだった。だから、わざわざ言わずともいいのだけど。念押ししとかなければ、このお人はしょっちゅう宝箱を開けてしまうのだ。それも、いずれ。抱いた願いを逃さなければ、無くなるだろう。

口も耳も目も無い。だから、それは自分自身を満足させるだけの言葉に過ぎなかった。

「それは、杞憂。お前は身勝手で狡知だが、自分を愛せるといいのに。残念ながら――――今の私は幸せのようだ」

なんて、自分自身を好きになれたセンパイから声が聞こえた。自己満足への回答なら、それが幻聴だとしても、一種の救いになるだろう。きっと、本音の言葉だから本音が返ってきたのだ。

意識が少しずつ、少しずつ削られていく。もしも、あの時間がまだ続いたのなら、「今」は作れなかった。今を作るため、嘘つきは嘘をついて、分からず屋は本音を言った。

それは、夢のお話。めでたしめでたし、で終われたから素晴らしい。余韻に浸るのは、ここまで。アンタが笑顔で終われるなら、もう本を閉じなければ。

偏在した意識は統合。殻(ｳﾃﾞ)を破り、オレはまた中身だけに戻るわけで。一秒を永遠と感じる、長い長い、退屈が幕を開く。それでさえ時間の中では、ごくごく、一部。また次があるのなら、意志さえ無いオレにとっちゃ瞬間、刹那の出来事に過ぎず。次に目と耳を開け、言葉を発するようになる時をすぐに迎えるだろう。

嘘つきは、ここで退場。もし捕まえたかったなら、オマエも嘘を言えばよかったのに。

―――――The Catcher in the Lie