"”軽い”手合わせ" by まるを

道場から物音が聞こえた。
床を踏みしめる音、勢いよく風を切る音が連続している。
「おかしいな、セイバーは桜のお供で買い物に行ったはずだけど」
気になって確かめに道場へと向かった。
･･･思えばこのとき既に悲劇の幕は上がっていたのかもしれない。

道場を見て納得した。二日前に来訪した押し掛け居候のバゼットが、
一人シャドーボクシングを行っていたのだ。
実力は相当なものだとは感じていたが、実際に目にして息を呑んだ。
軽快なステップワークから、一気に繰り出される左右の連打、予備動作の
一切ない神速の蹴り。全てが途切れなく、どの一撃にも必殺の気合と威力
がこもっていた。風に舞う落ち葉の映像を早送りで見るような印象だった。
伝わってくる緊迫感のあまり、声がかけられなかった。

バゼットがこちらへ視線を移し、動作を止めた。あれほど動いた直後でも
息を小さく吐いただけで呼吸に一切の乱れがないのは見事だった。

「士郎君、勝手をして申し訳ない。一言お断りしてから場所を借りるべき
でしたが、調子が出たのでつい続けてしまいました」

「別にいいよ。トレーニングは欠かせないだろうから、うちに居る間は
好きに使ってもらって構わない。」

「感謝します」

ふと気になって尋ねてみた。

「セイバーとここで顔を合わせたことは？」

「まだありません。彼女もここで剣技を磨くのですか？」

「いや、主に俺が稽古をつけてもらうんだけど･･･」

もし顔を合わせていたら間違いなく勝負に発展しそうで、ちょっと心配に
なったが、二人とも並みの腕じゃないし、宝具を使うわけでなし、大怪我
するようなことはないだろうから、別に釘をさす必要もないか、と思い
なおしたところ、予想外な反応が返ってきた。

「セイバーに剣のトレーニングをしてもらっているのですか？彼女に師事
しているなら、あなたの腕もかなりのものなのでしょうね」

「大したことないよ。トレーニングというか、ほとんど俺が打ち込まれて
ばっかりだし」

バゼットが不思議な顔をして尋ねる。

「打ち込まれても平気なのですか？刀（どうぐ）は何を使っているのです」

「ああ、模擬刀っていうか、竹刀っていうんだ。これだよ」

道場の壁に並んだ一本を取って渡す。
バゼットは竹刀をしげしげと眺めた後、片手で軽く振り、言った。

「なるほど、これなら打ち込まれても大怪我はしないですみそうです」

自分でも竹刀を取り、無意識に上段に構え、軽く振り下ろした。その瞬間、
バゼットの目が光ったように感じたのは錯覚だっただろうか。

「士郎君、『軽く』手合わせしてみませんか」

「え、手合わせって」

「お互いの得意のスタイルでいいでしょう。あなたはそれを、私はこれで」

そういって拳をかざす人間凶器。
猛烈に嫌な予感がし、あわてて答える。

「待った、そりゃバゼットが強いといっても素手の相手とはやりにくいよ。
いくら竹刀でも当たり所が悪いと怪我するかもしれない。セイバーと違って
俺は瞬時に力加減できるような腕前はないよ」

「ほう、私に怪我をさせるくらいに打ち込めると言うのですね。これは期待
できる。セイバー直伝の腕前なら、彼女との前哨戦にはもってこいです。」

「いや、そういう意味で言ったんじゃ･･･」

まずい。なにか急激にまずい方向に事態が推移している。
すでに軽いフットワークを始めていらっしゃる。
ていうか、後でセイバーとやる気満々だし。
ゼロかイチしかない封印指定と真剣勝負というのは危険すぎる。腕前は向こう
がはるかに上だし、さっき見たような威力で殴られたり蹴られたりしたら
冗談抜きで骨とか内臓とか破壊されかねない。
と言って、今からシャドーを再開してもらうのは至難の業のようだ。
考えた末、提案をしてみることにした。

「わかったよ。ただし一勝負だけ。そのかわりお互い寸止めすること」

「･･･スンドメとは何です」

「実際に攻撃を当てないことだよ。当てる寸前で止める。寸止めされたら負けを
認めるんだ」

不満そうに口をへの字に曲げるバゼット。

「ほとんど俺のためのルールだけど、この条件でないと受けられないよ」

バゼットはしばらく口の中でなにか呟いていた。意味がないだの、腑抜け、だの
聞こえた気がしたが、聞こえないフリをしていると、やがて頷いて言った。

「最初から止めるつもりの攻撃など出せる道理がありません。やるからには
当てます。ただし十分に手加減するという条件でどうです」

一瞬考えたが、この程度の譲歩でよしとしなければならないだろう。

「オーケー、それならセイバーとの稽古とあまり変わらない。ああ、念のため
言っておくけど、道場内では魔術は使用禁止だぞ」

じゃんけんですら必殺技を使ってくる相手だ。釘をしっかり刺しておかないと。
やがて道場の中央で向き合った。正直、勝てるとは思わないが、竹刀のアドバン
テージがある以上、間合いを簡単に詰めさせなければ多少はやりあえるかもしれない
気がしてきた。こうしてみると、滅多にない相手といい修練ができることになる
かもしれない。

「よし、いいぞ」

言った瞬間、バゼットの輪郭がかすんだ。
一気に踏み込まれたと気づいた時には身をかがめたバゼットの額が眼の前にあった。
反射的に飛びのいたが、そのまま額がついてきた。同じ速度で前に出られたと思った
時にはレバーに強烈な左フックが叩き込まれていた。

「ごっ」

視界が閉ざされる。呼吸が止まる。ちょっとちょっとバゼットさん、あなた全然
手加減してない！と思ったときには右ストレートが左頬を貫き、意識を刈り取られて
いた。

「････････････」

「･･･ひどすぎます。部屋を貸してくれた先輩に何てことするんですか！」
「合意の上です。彼もセイバーとのトレーニングと変わらない言っていました」
「ほう、シロウは貴方にも稽古をつけてくれと言ったのですか」

･･･騒がしさで意識が引き戻される。朦朧とした意識で目を開ける。

「あっ先輩、気がつきました？」
「何でバゼットとなんか勝負したのよ、こうなるってわかりそうなものでしょう」
「それよりシロウ、稽古は貴方から申し出たのですか？また新しい師匠が欲しく
なったというのですかっ」

気遣う桜、突き放す遠坂、問い詰めるセイバーの声が重なる。
それぞれに返したい答えはあったが、まずは黙ってこちらを眺めているバゼットに
確かめねばならないと、声を絞り出した。

「手加減･･･してなかったよな？」

「何を言うのです。２発も当てたのにもう元気ではないですか」

･･･そういうことね。当分か、場合によっては永遠に元気にならないクラスの打撃
に比べたら十分に手加減してくれてたんだよね･･･ガクッ

「先輩、せんぱいっ！」
「ほっときなさいよ。いずれ目を覚ますでしょ。それより早くご飯にしましょ」
「む、食事ならば仕方ない、シロウには後でじっくりと問いただします」

非情にも夕餉の支度が進む食卓の傍で、藤ねえに揺さぶられて目を覚ますまで、
士郎に意識が戻ることはなかった･･･