"儚き" by 鍵口　扉

誰も訪れもしない森の中で私はただ一人で生活し続けていた。
城の中に生きているのは私だけ。何十年……いや、何百年もの歳月をただ一人で。

もう記憶にも陰りが見え隠れする私の主人。イリヤスフィールお嬢様がお亡くなりに
なり、共にリーゼリットも限界を迎え自然へと帰ってしまった。
もう、私が使えていたお嬢様のお知り合いの方達も、とうの昔に亡くなり、
その血縁方達との縁が切れ、本当に誰一人としてアインツベルン城に訪れる方はいなくなってしまった。
聖杯戦争は未だに続いているにも関わらず、
アインツベルンからの魔術師は送られて来なくなってしまった。
この城にはもう用などないのだろうか。しかし、この城一帯の山は今でもアインツベルンのものである事は調べてある。
不安を感じている訳ではない。誰とも会話が出来なくて寂しい訳でもない。
でも、何かが足りない気がして止まない。

「さて、今日もお掃除を致しますか……」
私以外住まない広い城の中を掃除する事は、とても辛いけど私にとって唯一の仕事。
城の中を定期的に掃除しないと、すぐに埃だらけになってしまう。
あんなに怖かった地下のワインセラーの管理も、ちょっと怖いけど慣れてしまった。
年月が重なるごとに人は歳を取り老いてゆくが、
私はホムンクルスが故に歳も取らず、老いもしない。
私の躰の構造上、自然界にあるマナがあるかぎり生き続ける。これはある種の拷問と同じだと私は思う。親しき人々が死にゆく姿を私は瞳を通し、脳内に焼き付けなければならないという卑劣な拷問。
お嬢様が亡くなった時の悲しみは今でも忘れはしない。
苦しむ事無く、静かに死にゆく運命の時を待っているかのようにベッドの中で笑いかける姿を衛宮様、遠坂様、間桐様、藤村様など、たくさんの皆様に囲まれながら眠るように息を引き取りになった時、誰もが顔を歪め涙を流した。

その情景を思い出し、目頭が熱くなってゆくのが鮮明に解る。懸命にそれを止めようとしても、その熱さは一方的に増すばかりで、つい手にしていた箒を落としてしまう。袖で涙を勢いよく拭くが、なんの効果も得られずただただ涙の量が増すばかりだった。

「今日は、もうダメね」
床に落とした箒を拾い、掃除を断念することにした。このまま続けていても効率が悪い。
何よりこんな気持ちのまま、お嬢様の城を掃除し続けることが不可能だ。どこを歩いてもお嬢様とリーゼリットとの思い出が溢れる城。

気分を和らげるために私は中庭に向かってゆく。そこには私の唯一の趣味が待っている。
重い扉を開け、目の前に綺麗に広がる花々が私を迎えてくれた。
荒れていた中庭を一から作り直して、丁寧に育て上げた花々は凛とし咲き乱れて、
私の心を少しばかり楽にしてくれるとても大切なもの。
自分で仕掛けた罠の位置を上手くくぐり抜け、花を傷つけないよう注意しながら中心部に向かってゆっくりと歩を進めてゆく。靴の裏の柔らかな土が脚を支えてくれているかのような感触と花の香りが躰を包み込む。
中心部に到達して、足元を眺めると様々な色の花達が鮮やかを強調するかのように力強く咲いている姿を見ると自然と頬が緩んだ。その時……

――――セラ――――

と、不意にそのような声が聞こえた気がして視線を戻して辺りを見回す。
しかし、誰も居なく自分だけが中庭でポツンと立っているだけ。
先ほどの熱さが急速に戻って来るのがわかった。
でも、我慢する事無く小さく嗚咽を漏らしながら、私は泣いた。
涙を拭かず、頬を流れ落ちてゆくのなど気にも留めず空を見上げながら泣き続けた。
その時、ようやく本当の意味での足りないものが解った。

そうか、私に何かが足りなかったのは『悲しみ』だったんだ……。
お嬢様とリーゼリットが亡くなった頃の深い悲しみが年月を重ねるごとに薄らいでしまっていた事に対してだったんだ。足りなかったのは……。

私は誰も訪れない冬の城で、花に囲まれて空を見上げながら泣き続けた……。