ささやかな至福のとき
海風が頬を撫でるように吹き去る中、俺は釣竿を右手に持ち、左手に餌と缶コーヒー入れたバケツがガラゴロと音を鳴らしながら埠頭を目指してダラダラと歩く。 そんなに忙しくもないバイトも終わって、今日の晩飯の調達(趣味)に専念出来る。 しかし、警戒しなくてはならないのが、皮肉吐き屋と金ピカがいるか否かだ。 アイツ達がいると静かで平穏な俺の理想郷が台無しになってしまう。 どうしてアイツ達が釣りをするのか俺の思考回路を全力で行使しても解らない。 いや、あんまり深く考えても意味がないと思うから止めよう。 意外な事にウミネコ以外に生物と言えるものは存在せず、それ以外ものと言ったら無機質なコンクリートで固められた防波堤と鉄製の小さい灯台だけ。 「今日はツイてるなぁー」 思わず笑みが漏れてしまう。あの二人がここ一週間邪魔しに来ているのか、物凄く暇なのか判断できないほどこの場所に入り浸っていたのでウンザリしていた。 ある意味俺の闘いの中で一番難しいとされた理想郷奪還は成功した……と思う。 しかし、そんな考えを払拭させるくらい俺は今の状況が嬉しくてしかたがなかった。 いつもの定位置に座り、釣竿に巻き付けていた糸を解くと釣り針と餌を手早く付けて海に放り投げる。 糸の先の浮きがある水面を暫し見つめながらズボンのポケットに入れていた煙草を取り出し、一本口に銜え、一緒に出したライターで火を点した。 煙を深く吸い込むと肺の中に充満してゆく有害物質を取り込み、ゆっくりと煙を吐き出した。 潮風に流されてゆく煙が目の前から消えて視覚では認知できなくなっていく。 バケツの中に入れておいた缶コーヒーを開け少しだけ口に含み味わうが、ウェーターをしている喫茶店のコーヒーが如何に美味いか良く解る。 防波堤に打ち寄せる波が、ぶつかり戻りぶつかり戻りを繰り返す。 壁にヘバリ付くようにフジツボやらなんやらの周りに小さな小魚が集まり、自身よりか小さな魚を食べているのか、それともプランクトンをパクパクと食べているか、なんてそんな些細な事を考えている時に浮きが少しながら沈んだ。 アタリと言ってもほんの少し魚が突付いた程度の食いつき、もう少し待てば……。 一気に沈む浮きと同時に釣竿を引くと、活きの良いメバルが海中から俺の元へとやってきた。 糸に吊るされながらも、バタバタと暴れる中型のメバルを掴むと口に引っ掛かった釣り針を外してバケツの中に放り込んだ。 口に銜えていたフィルター際まで縮んだ煙草を消しながら、新しい餌を取り付け海に再び投げ入れる。 「今日は調子がいいな。たくさん釣ってもあの元気なねえちゃんが貰いに来るだろう……。よっと! って、子アジかぁー。こりゃー小さ過ぎるな。でかくなってから戻ってこいよ」 釣り針を外して海に戻してやるが、キャッチ&リリースってのも魚にとっては迷惑だろう。餌が食えたと思ったら人間に釣られて、口に釣り針刺されて、じゃあなってまた海に戻される。痛い思いしかしてないだろう。 しかし、喰われるよりか幾分かマシだろう……たぶん。 そんなこんなで太陽が傾き始めた時には、バケツの中はメバルが三匹・アジが五匹・カワハギが一匹・名前の解らないカラフルな魚が二匹。 そろそろ引き上げるか、と思い立ち上がると左に顔を向けると勢い良くカブ独特の音鳴り響かせながらこっちに向かってくる威勢の良いねえちゃん。俺は防波堤の上から降りて出迎える。 「お兄ぃーさぁーん!! 今日の釣果はどうだったのぉー?」 「まぁまぁだな。こんだけありゃいいだろうと思ってな。今日は終了だ」 エンジンを止めて、陽気な足取りで歩いてくるが途中で俊敏な動きで周りをキョロキョロするねえちゃんは、俺の目を見て不思議そうに言葉を発した。 「あれぇ〜? 今日はお仲間さん居ないの?」 思わず、俺の理想郷を破壊した二人の顔が過ぎった。ねえちゃんからこんな発言が出るくらいだ。いつも邪魔されているんだろう、と再確認してしまった。 「おいおい、アイツ等と一緒にすんなよ。ねえちゃんよ、そんな事言うと魚やらないぜ」 そう意地悪げに言うと、顔から軽く汗を出しながら両腕を躰の前でバタバタと交差させながら慌て始めた。 「えっ、えっ! それは困るよぉ〜!! 今日は士郎にお魚持って行くって言っちゃったもん」 ホント、なんでも態度に出る面白い姉ちゃんだ。こんなんだから俺は結構気に入っている。 前に二匹しか釣れてなかった時に「今日はやらない」なんて言った時は、半泣きで「食べ物の怨みは酷いんだからねぇー!!」と叫びながらビゥーンとカブを飛ばして帰って行った時なんて最高に笑えた。しかも、次の日平然と貰いに来たのが爆笑だった。 ホント、憎めないねえちゃんだよ。 「冗談だよ。何匹持っていくんだ?」 その言葉を聞いた瞬間には、もうバケツの中を見ている。感情表現の変わり速さはいつ見ても驚く。 「ええぇーっとねぇー。メバルを二匹とアジを三匹。おまけでこの綺麗な色の魚二匹共頂戴」 「相変わらず遠慮がねぇーな。こっちの事も考えてくれよな」 「だって、こっちはたくさん人居るんだからぁー。これでも足りないくらいよ。はぁーセイバーちゃん遠慮無しに食べちゃうんだもの。うちの食卓なんて宛ら戦場よ?」 「こっちだって、性悪シスターがいるんだぜ? 少なきゃ文句どころか存在否定までしてきやがる」 お互い大変だなぁー、という重い溜息を吐き出す。 少し肌寒い風が頬を撫で、髪を揺らめかせる。夕日に包まれているかのように錯覚してしまう雲一つ無い空を何気なく見上げた。 いつまでもこのままで居られる訳ではないが、今を生きて行く。そんな事をふと思った。 そんな思いにふけていると、どうしたの、と言いたげな表情で姉ちゃんが俺の顔を見ていた。 どうしてそんな考えが浮かんだのか俺には解らないが、その内解る時が来るだろう。 「ま、今はどうでもいいか」 「???。え、何言っているか解らないけど」 「いや……、こっちの話だ。ねえちゃん持って行っていいぜ、全部」 間の抜けた表情でこちらを見上げるねえちゃんが、言葉の意味を理解したのか、すぐにうろたえ始めた。 「えぇー!! いいの? だけど、お兄さん達の分なくなっちゃうじゃないの。悪いよぉ」 「まだ餌残ってるから釣ればいい話だ。あと、たまには夜釣りもいいからな」 でもでも、と言い続けるねえちゃんを言い包めて、全部渡して俺は釣りに戻った。 もう沈みきった太陽の変わりに神々しくも欠けている月が夜空に昇り、既に中身が無くなった缶コーヒーに吸殻だらけの煙草の残骸を傍らに俺は釣竿を握り締め続けた。
by 鍵口 扉
今回の大本命であるランサーの兄貴。 さぁ、皆も投票しようぜ。
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