冬の終わりに
--/ 『わたしはシロウのお姉ちゃんなんだから』 少年は、そんな言葉を思い返していた。 視線の先には、紺碧に凍りついた硝子のような冬の空がある―― 01/ だからもうお別れだね、と。 明日の天気のことでも口にするように少女は言った。 晴れのち曇り、午後から天気は崩れるでしょう。降水確率は40%。 まるで、そんな風に。 わたしは今日を限り、この世界には存在しないでしょう。存在確率は0%。 「イリ、ヤ」 どうしてだとか何故だとか、放ちかかった言葉をけれど放てずに、少年はただ立ち尽くしていた。 いつかそんなときが来ることは知っていた。 分かっていた。 ――つもりだった。 つもりだったのに、いざその場に立った自分の手があまりにも短すぎることに打ちのめされる。 出来る限り一緒にいた。 不可避と言われた現実を穿つために奔走した。 ――だから? ――それが? 世界は改竄を許さずに、制限時間は訪れて、そして白雪の少女は静かに微笑んでいる。 「もう、ダメだねシロウは。お兄ちゃんが妹の前で泣いたりしちゃいけないんだよ?」 くすくすと可笑しそうに、本当に可笑しそうに少女の笑い声が響く。 「でもいいわ、許してあげる。ちょっと格好悪いけど、それだけわたしのことを想ってくれてるんだものね」 そして少年の手からは、紡ぎかけた言葉が形にならずこぼれ落ちていく。 何故なら。 「それにわたしは」 優しく微笑む少女の目尻からは、大粒の―― 02/ すべては、ただ少年の記憶の中にのみ。 03/ 分厚い鉄扉が静かに閉じた。 此方と彼方を違う世界と隔てるように。 だからもう、なにも見えないしなにも聞こえない。 たとえ、その向こうで少女が己が生の短さを呪っていても、生きたいと泣き叫んでいても、小さな身体を掻き抱いて踞っているとしても。 なにも見えない。 なにも聞こえない。 ただ、淡雪のような儚く美しいあの表情だけが、少年の心に遺っている。 ――かくして。 天国への扉は閉ざされた。 04/ 「お嬢様は」 侍女が問う。いかがでしたかと。 「泣いてたよ」 少年は答えた。誠実に。 「ダメな兄貴だな、俺」 けれど。 「そうですか」 ふ、と。小さな笑みで彼女は表情を崩す。 「――お嬢様が本当に泣いたところなど、私は見たことがありません」 感謝します。短い言葉と。 最初で最後の、優雅な一礼。 --/ ――そうして。 少年はもう訪れることのない城を出る。黙々と歩を進め、世界を隔てる森の入り口で一度だけ振り返る。 一人は小さく手を振り続け、普段であればそれを咎めるもう一人は、ただ真っ直ぐに彼を見据えている。 『わたしはシロウのお姉ちゃんなんだから』 視線の先、二人の背後には古城、その更に向こうには空がある。紺碧に凍りつく硝子のような冬の空だ。 けれど、その端は溶け出して既に淡く霞んでいる。冬の終わりを告げるその色は、春の色だ。 『だから許してあげる。大好きよ、シロウ』 そう言った少女はもうどこにもいない。 冬の少女はその季節と共に去り、厳しかった冬は淡雪のように溶け出して。 ――やがて、穏やかな季節がやってくる。
by 空音
白雪淡雪牡丹雪。 いつかいなくなる冬の少女は、そんな風に空へと溶けて。 けれど、『幸せ』という言葉の意味は、違えることなくその胸に刻んで。
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