"カレン・Ⅹ……くらい" by 五泉　昌（黄昏）

目が覚める。
　私にとってそれは、単に眠りから覚めるという意味よりも重要な事。今日も命が繋がっている。それを私は神に感謝する。
　私はもう長くない。私の身体は度重なる“霊障”により既に限界に来ている。以前は見えていた左目も光を感じる程度にしか機能していないし、右目に至っては完全に光を無くして久しい。だからと言うわけでは無いが、私は人の気配に敏感だ。だから、そこに彼がいることに程なく気づいた。

「帰っていたのですか？」
                                      
「ああ、昨日の飛行機でこっちについた。家にはさっきついたばかりさ」

私の寝室の一角から、声が聞こえる。とても涼やかな、それでいて意志の強い、私の好きな声が。

「身体の方は大丈夫か？」

「ええ、大事には至っていません。こうしてまた貴方に逢えたことを神に感謝しなくては」

私と彼は三年前から、彼の故郷である日本を離れ、私の故郷に身を寄せていた。もっとも彼は事あるごとに世界各地を渡り歩いており、二月に一度帰ってくれば良い方なのだが。

「今度はどちらまで行かれたのですか？」

「ああ……ちょっとアフリカの方で内戦があってさ。そっちの方に二週間程」

「また無理をしてきたのでしょう。少しご自愛なさいな」

「無茶はしてるけど無理はしてないよ。それに俺が無茶するのは今に始まったことじゃないだろ？」

「そういう問題ではありません。まったく、いつまで経っても子供なんだから」

この人は三年前の冬木の頃から殆ど変わっていない。魔術の技量はあの頃とはくらべものにならないほど上がったというのに、根本的なところはまったく変わっていない。凛や桜が心配するのも解るというものだ。

「そういえば、いままで聞きたくて聞けなかったことがあるんですけど」

「ん？」

私は以前から思っていた疑問を口にすることにした。聞かなくても生きていく上で支障など無かったはずだが、何故か今気になった。冬木の事を思い出した所為かもしれない。

「貴方は何故、私を選んだのですか？　貴方なら凛と共に魔術の高みを目指すことも、桜と共に平穏な日々を過ごすことも思いのままだったでしょうに。わざわざ私の様な女を選んで、面倒な道を進む必要は無かったはずです」

私と彼は冬木の街でも殆ど接点は無かった。私と接するのは彼ではなく彼の別のカタチであり、それも彼の無想の中でのストレスの捌け口でしか無かったはず。

「やはり、同情からですか？　確かに私は他人の同情を買うにそう境遇だとは思いますが……むぐ」

突然、彼は私の口を噤むと、静かに……しかし強く云う。

「俺は同情なんかで人を好きにならないよ」

彼は真剣な面もちで言葉を紡ぐ。しかし次の瞬間、表情を和らげる。

「でもま、何でかっていわれてもちゃんと答えられる訳じゃないんだけどさ。ほら、昔から良く言うじゃないか。好きになるのに理由は要らないってヤツ」

「それで何でも許されると思っているのですか、貴方は」

「そういうわけじゃ無いけど。でも同情云々ってのはまったく違うと思う。たしかにアンタは同情してしまう境遇だったかもしんないけど、その性格と言動で帳消しだろ」

カチン

「ほほー。そういうことを云うのですか、貴方は」

「あ、厭、何だ、ホラ、蓼食う虫も好きずきっていうしさ……」

カチン

「そうですか、私は蓼程度と云うわけですか」

「あ、悪い。いや、悪かった。オレが悪かったから、聖骸布はやめろー！」

「まったく、自分一人の身体じゃないんだから、もう少し自重してくれ」

彼は散々暴れまくったあとの私に一言、告げる。私の中には今、新たなる生命が宿っていた。もちろん、彼と私の子だ。

「誰の所為ですか。まったく、折角気分のいい朝を迎えたと思ったのに。貴方は」

「だから謝ってるだろ」

「まぁ、いいです。期待以上の答えは頂けましたから」

『好きになるのに理由は要らない』

なんて嬉しい一言だったのだろう。使い古された陳腐な言葉だが、云われれば嬉しい。成る程、この言葉は効果があるから多用されるのだろう。多用されるからこそ陳腐にもなるというものだ。
　今、私の中にはあの人との子か息づいている。この子が無事生まれてくるまで私が生きていられるか定かではないけれど、私は出来うる限り生を全うしよう。あの人とこの子の為に。

－◇－◇－◇－

「アルトリア、お母さんにさよならを云いなさい」

曇り空の下、霊園の中、小さな墓標を前に俺は、傍らに立つ小さな少女にそう促す。

「お父さん、お母さんにはもう逢えないの？」

「ああ。お母さんにはもう逢えないんだよ。だからさよならを云わなくちゃね」

彼女は最期に笑っていた。彼女の身体を考えれば、存外生きたのかもしれない。本来なら娘を産んだ際にその生命を散らしてもおかしくは無かったはずだ。

「いやだよ、お母さんにもう逢えないなんて」

だが、彼女は生きた。娘が三つ目の年を数えた翌日、笑顔で息を引き取った。たった三年とはいえ、母として生きることができた彼女は存外幸せだったのかもしれない。

「アルトリア、お前がそんな顔をしていたら、お母さんは喜ばないぞ。さぁ、涙を拭いてしっかりお別れを云うんだ」

「生きることに執着はない」と、かつて彼女は云った。だが、母としての彼女は毎日が幸せだった様に見えた。少なくとも俺にはそう見えた。

「うん……お母さん、さようなら……」

俺は空を見上げる。空は今にも泣き出しそうだった。だから、これは雨なんだ。俺の頬を伝うこの熱い液体はきっと雨に違いない。

「お父さん、泣いてるの？」

「まさか。お父さんは正義の味方なんだぞ。正義の味方が涙なんか流すはず無いじゃないか。これは雨だよ、アルトリア」

「でも、雨なんか降ってないよ……？」

いいじゃないか。雨ということにしておいてくれ。そうでなければ俺は先には進めそうに無い。

「行こうか、アルトリア。世界には正義の味方を待っている人たちが沢山いる」

「うん、じゃあ、さよなら、お母さん……」

二つの人影が消えた墓標にはこう刻まれていた。
『KAREN・O・EMIYA　ここに眠る』