"侍女と正義の味方" by Ao

「んー、それは確かに。……そうだ。じゃあ今度、俺の家に“お客さん”として来てくれるか？　セラが満足するかどうかは分からないし、お返しにもならないかもしれないけど、俺ができる最大限のもてなしをするからさ」
　そんな誘いとも、挑戦ともとれる言葉を受けたのがつい先日のこと。
そうして今、私は怨敵の巣くう魔境、衛宮邸の玄関前で立ちすくんでいた。

こうなったのには当然訳がある。
聖杯戦争が終わってからというもの、お嬢様はほぼ毎日この屋敷に出かけ、たまに出かけない日があると思うと、エミヤシロウが城に姿を現すのである。
　もちろんアインツベルンの、何よりお嬢様の客である以上、それなりの応対はする。……嫌味つきなのは約束もなく城に訪れる“紳士的な”エミヤ様への相応の処置なのです。
　ともあれ、その日もエミヤシロウは、我が主の城へとやってきた。
　お約束となりつつあるリーゼリットとの間の抜けた挨拶を済ませた後、私に引きつった笑顔で挨拶をしてくる彼に何故かイライラして嫌味をいう。
「いらっしゃいませエミヤ様。今日も浅ましくもお嬢様に会いに、という口実でお茶をたかりにいらしたのですか？」
「ハァ……なんでいきなり機嫌が悪いのさ。それにいつも言ってるだろ、俺は暇つぶしに来させてもらってるんだからお構いなくってさ」
「貴方こそいい加減覚えて下さりませんか。お客様にお茶を出さないなどという無礼、私たちにどうしてできましょう。それがどれだけ“望まないお客様”であろうとも礼儀を尽くすのがメイドの務めなのです」
「うっ、それを言われると、その、困る」
　言葉を詰まらせるエミヤシロウ。それを見て私は心の中で勝利の笑みを―――――――
「シロウ、気にしなくていい。セラ、シロウがお茶飲みに来るの、迷惑だと思ってない。それどころか、お茶を飲んでるシロウの表情で、シロウがどんな好みなのか、一生懸命調べて―――」
「きゃあーーーーーーーー！　な、なんという嘘を吐くのですリーゼリット！　え、エミヤ様もこんなタワゴトを信じぬよう……って、何を顔を赤くしているのです！　忘れなさい、忘れるのです！」
――――――浮かべる暇もなかった。慌ててリーゼリットの妄言を遮り、エミヤシロウに注意をする。が、彼にはこちらの声が聞こえていないようで、顔を熟したトマトのように赤く染めて固まっていた。
「シロウ、照れてる？」
「……そりゃあ、照れる。まさかそんな風に見られてるなんて思いもしなかったからな。……でも、セラも人が悪いな、俺の苦手なもの調べて攻撃しようするなんて。俺をイジメたいんだったら、今のままの口撃でも十分効いてるぞ」
「……はっ？」
　この男の言っていることが理解できず、思わずそんな声を漏らしてしまう。
「いや、だからセラは俺をイジメるために俺の苦手な紅茶を調べてたんだろ？」
「……シロウ、愚鈍？」
「ぐ、愚鈍って……違うのか？　ハッ、まさか俺の予想以上に酷い行為を！？」
「ちがう、セラは―――――――」
「い、いえいえ、その通りです！　まったく、リーゼリット、どうしてくれるのです！　せっかく立てた私の計画が貴方のせいで潰れてしまったではないですか！」
「セラ、嘘吐いて―――――――――」
　ギロ、とリーゼリットを睨みつけ続いて出そうだった言葉をのみ込ませる。
「だ、だいたいエミヤ様もエミヤ様です。いつも約束もなしにいらっしゃって。それが私たちの仕事を中断させていると何故お考えにならないのです！　たまにはもてなす側の苦労を体験してはいかがでしょうか。ええ、そうすれば今のエミヤ様の振る舞いがどれほど無礼なものか分かるでしょうとも」
一気に捲くし立てる。これで完全に先ほどの会話の印象は薄れたはず。
ほっと胸を撫で下ろし、それでは、とその場を離れようとすると―――――――
「んー、それは確かに。……そうだ。じゃあ今度、俺の家に“お客さん”として来てくれるか？　セラが満足するかどうかは分からないし、お返しにもならないかも知れないけど、俺ができる最大限のもてなしをするからさ」
　彼はそんな戯言を吐いたのでした。

「ええいっ、ここで立ち尽くしていても仕方ありません。毒を食らわば皿まで、いざ、尋常に勝負です、エミヤシロウ！」
　玄関前で固まること数分。ようやく気持ちに踏ん切りがついた私は、思い切り呼び鈴に指を突きつけた。
　ピンポーンと間の抜けた音が玄関の向こうから響いたあと、パタパタと駆けてくる音が聞こえてくる。
　そうして、何秒も待たずに引き戸は、屋敷の主によって開かれた。
「―――――――――――――――――――」
　屋敷の主、エミヤシロウはこちらを見て固まっている。
　そちらから誘っておいてこの態度はないと思う。
「エミヤ様、私の顔に何かついているのでしょうか？　それとも日本のもてなしというのは客人の顔を凝視することから始まるのですか？」
「―――――――――あ、ああ。セラ、なのか？」
「？　おかしなことを言う人ですね。貴方が私を招待したのでしょうに、そのような顔をされるのは心外です」
「いや、すまん。セラの普段着なんか初めて見たから、一瞬誰だか分からなかった」
「―――っ！　ふん。なるほど、私たちは必要以上に肌をさらしませんから、礼装を脱いだ今、貴方の低い脳力では認識できなかったというのも当然かもしれませんね。失礼しましたエミヤ様。貴方の力を過大評価していたようです」
「むう、反論できないことが悔しいが……しかし――――――――」
　言葉を切って、再び私を見るエミヤシロウ。
「な、なんですかその目は。文句があるのでしたらどうぞ遠慮なく。あくまで私の誇りは礼装にありますので、私服を貶しても私を動じさせることはかないません」
「なんでさ。こんなに似合ってるんだ、貶しなんかするわけないだろ」
「――――――――は？」
　何を言っているのだこの男は。そして何故私の顔は熱いのか。
「―――――――あ、いや、そうじゃなくて、いやいやそうじゃないわけじゃなくて、だな」
　どうやら彼も先ほどの台詞に何か思うところがあったのか、顔を赤らめてオロオロとし始めた。
「そ、そうだ、リズとイリヤはどうしたんだよ。あいつらも来るんじゃなかったのか？」
「え、ええ。お嬢様とリーゼリットは何やら他の用事があるらしく、こちらには来ません。それで仕方なく私一人が伺うことになりました」
　あからさまな話題そらしだったが、こちらも顔の熱を誤魔化すためにそれに乗る。
「そうか。よし、じゃあ今日は精神誠意セラにつくすぞ。いらっしゃいセラ、今日はゆっくりしていってくれ」
「～～～～っ。え、ええ。いいでしょうともエミヤシロウ、お嬢様を誘惑するその手口、今日はとくと拝見させていただきましょう」
　笑顔でそんなことを言うエミヤシロウ。
　頬が熱い。同時に胸を打つ鼓動も高まっている。
　私は一体どうしてしまったのか、そんな疑問を抱きながらも原因不明のまま、私はエミヤ邸へと討ち入った。

……落ち着かない。
　居間に通されてどのぐらいたっただろう。数分にも思えるし、数時間にも感じる。
　今までもてなす側の者だった私にとって、他人が自分の為にお茶を淹れるなんてことは、この上なく落ち着かないことだった。
「はい、おまたせ。セラの口に合うか分からないけど、紅茶とケーキ」
　コトン、と目の前に並べられる質素な皿に乗せられた見た目安物のケーキとこれまた質素なカップに淹れられた紅茶。
「……い、いただきます」
　最大限のもてなしがこの程度なのかと嫌味のひとつでも言ってやろうかと思ったが、好奇心ありありの目をこちらに向ける彼に、何故か毒気が抜かれカップを口に運ぶ。
「……これは……」
　香り立つ紅茶の匂い、ほんのりと感じる甘さは私の好きなそれにそっくりである。
「どう、かな？」
「わ、悪くはありません。で、ですが、当然です！　これは私が好む茶葉なのですから。エミヤ様にはお教えしていないし、お出ししたこともはずですからリーゼリットにでもお聞きになったのでしょう？」
「いや、自分で選んだぞ。イリヤの城で紅茶飲むとき、セラはだいたいいつも角砂糖半分だけ入れるだろ」
「え、ええ」
　確かにそうだ。お嬢様の厚意で共に紅茶を嗜むことが許された時、私はそのような行為をとる。そんな細かいところを見ていたのかと少し感心する、が、同時に見られていたのかと思うと再び顔に熱がたまった。
「でも混ざり物が無い方が好きなような気がして、砂糖なしでも甘味を感じるやつにしてみたんだ。香りは流石に難しかったから、それは俺が好きなのにしたんだけどな」
　でもドンピシャで好みのやつだったってのは嬉しいな、なんて照れ笑いながら頭を掻く少年。
「～～～～っ！」
　まただ。彼のそんな表情を見たとたん心臓の動悸がおかしくなった。
「？　セラ？」
「け、ケーキもいただきます！」
　こちらの状態を探られないように、ケーキを勢いよく、けれど品性は崩さずに口に運ぶ。
「何、慌ててるのさ？　それにさっきから何か動作が固いぞ。今日はセラはお客さんなんだからくつろいでくれないと困る」
「だ、だまりなさいエミヤシロウ！　敵陣でくつろぐことなどどうしてできましょう。加えて、くつろがせる役割は今日は貴方にあるのです。私が固いというのでしたら貴方のもてなしが不十分であるということではないでしょうか！？」
「……敵陣って……いや、でもセラの言うことには一理あるな。よし、じゃあマッサージをしよう」
「はっ！？　何故そうなるのです！？」
「俺には話で相手の緊張を解くことなんてできないし、面白がらせる芸も特にないからな。でもマッサージは藤ねえ相手に修練を積んだからそれなりに自信はある。セラも肩こってそうだから是非やらせてくれ」
「け、結構です。私と貴方はそのような気安い関係では―――ひゃぁ！」
　断ろうとした瞬間にいきなり肩を揉まれる。
「やっぱりこってるじゃないか。うん、これは揉みがいがありそうだ」
「や、やめなさい、ひゃぅっ！　エミャーしゃま、これ、ひぅ、は、いかなる、ふにゅぅ、責め苦、はふぅ、でしゅか―――ぁん」
　的確にこちらのコリポイントを突いてくるエミヤシロウ。
　危険だ。
　これは、想像以上に、気持ちが、良い。
「はふぅ、ひゃん、あぁ、そこは、くぅぅ、だ、だめ、んんんーーーーー！」
　エミヤシロウの攻撃は続く。揉み上げる指は肩からうなじへと。そのとき、一瞬なぜか動きを止めたその指も、すぐに何かを振り払うかのように再び活動を再開する。
　極楽の中、ふと思う。私は人間嫌いだ。そして、特にエミヤシロウはそれらの中でも、最も憎むべき対象のはずである。
　それがどうだ、彼の家に上がりこんでお茶を馳走になり、今はマッサージまで受けている。いや、そもそもそんな私が一人でこの屋敷に来ようなどと何故思ったりしたのだろうか。
　私は、嫌がらせのためにエミヤシロウの趣味嗜好を調べ、
　私は、エミヤシロウのお世辞にイライラし、
　私は、エミヤシロウの行動に顔が熱くなるほど怒りを覚え、
　私は、エミヤシロウの笑顔に胸がムカムカするほど締め付けられる。
　そのはずなのだ。そうでないと今の、そして今日ここまでの私の異変は説明できない。
　だが、なんだろう、いくら自分にそう言い聞かせてもどこか心に残るこの違和感は。
　そして今も懸命に私の肩を揉む指先から感じるこの暖かさは。
　生まれて二年とはいえ、知能では人間とは一線を画する私が、理解できないこの違和感の正体は――――――――
「って、いつまでイチャついてんのよシローーーーーーーウ！！」
「っ！？　お、お嬢様！？」
「い、イリヤ！？」
　怒声とともに障子をぶち破って登場したお嬢様。その隣には、
「これ、美味しい。シロウ、作ったの？」
　まだ皿の上にあったケーキの残りをもしゃもしゃと頬張るリーゼリットの姿があった。

「……で、最近シロウが城に来たときに限ってセラの様子が変だったから、セラとシロウの様子を確認するために二人っきりにして私とリズで覗き…もとい調査をしてたわけ」
　ふふん、アサシンもびっくりの気配遮断だったでしょ、と不敵に笑うお嬢様。
「さっきおよそお姫様らしからぬ単語が飛び出たような……、でも、そうだったか？　俺は特に違和感、感じなかったんだけど」
「シロウは、愚鈍」
「そうそう、お兄ちゃんは“そういったこと”にはまるでダメ男なんだから。気づこうとしても無理よ」
「……お前らね、人を愚鈍やらダメ男やら、いったい何だと……」
「お、お嬢様は、私の異変について何か知っておられるのですか！？」
「え？　何？　セラ本人も気づいてなかったわけ？」
「――――――――セラも、愚鈍？」
　はぁ？　という顔をするお嬢様と暴言を吐くリーゼリット。
「な―――――――り、リーゼリット！　私をエミヤ様等と一緒にしないように！」
「って、俺は愚鈍決定なんだ、そうなんだ――――」
　床にのの字を書いているエミヤシロウの呟きは華麗にスルー。これも淑女の嗜みです。
「シロウ、ケーキ、おかわり」
「―――――――ムゥ、失敗したわ。まさか、セラ自身が気づいてなかったなんて。これじゃあ余計なライバルを増やしただけじゃない」
　リーゼリットもそんな彼の状況には触れずケーキを頬張り、お嬢様はお嬢様で苦虫を噛み潰したような顔をして何かブツブツと呟いている。
「お嬢様、お教えください。私は一体どうしてしまったのでしょうか……」
「……はぁ、仕方ないか。いいわ、教えてあげる。でも、そうなるとシロウはちょっと邪魔ね。リズッ！」
　お嬢様がパンパン、と手を叩くとリーゼリットはコクンと頷き、
「あちょ～」
「ガッ！？」
　のんびりとした声と反比例するスピードでエミヤシロウに当て身を入れ、その意識を刈り取った。

「イリヤ、ごほーびは？」
「うん、よくやったわリズ。たぶん冷蔵庫に皆の分作ったケーキがあるだろうから食べていいわよ。あ、でも私の分は残しといてね」
「らじゃ」
　お嬢様の言葉を聞いたリーゼリットは目を輝かせながら、てくてくと台所へと姿を消していった。
「さて、と」
「あ、あのお嬢様、エミヤシロウは大丈夫なのでしょうか、何か泡のようなものが口からこぼれていますが……」
「あら、心配なのセラ？　人間嫌いの貴女が、よりにもよって、仇であるはずのエミヤキリツグの息子を心配するんだ？」
　フフ～ン？　と何やら微笑までも湛えてこちらの目を見据えてくるお嬢様。
「そ、それは…………」
　確かにおかしな話である。そしてそれは今日一日通して思ったことでもある。そもそも、いくら礼だとはいえエミヤシロウの元へ一人で行こうなどと何故私は思ったのか？
「つまりはそういうことよ。貴女は怨みや怒りとは違う感情をシロウに対して強く覚えている。それを言葉にして教えるのは簡単だけど、そんな無粋な真似、私はしないから安心なさい」
「怨みや怒り以外の感情、ですか？　ですがお嬢様、私はこのような状況を内包する感情をそれ以外に知りません。アインツベルンのホムンクルスである私がそうなのですから、やはりこの感情はそういったもの以外ではありえないかと……」
「呆れた。融通が利かないとは思ったけどセラってばリズの言うようにホントに愚鈍なのかしら。……そうね、じゃあヒントをあげる。貴女はソレを知識としては知っているの。ただ、ソレの内容（なかみ）は人によって千差万別のものだから、貴女はその一般的な概念を“ただ知っている”だけ。貴女は生まれてまだ二年だからそれの本質なんて知らない。そして今、初めてそれを体感しているわけ」
「……そ、それだとリーゼリットも――――――――」
「リズは私と共感しているもの。私がソレを知っているのならあの娘も当然知っているわ」
「…………」
　お嬢様の仰ることはよく分からない。分からないのに、何故か本能的にこれが「　　」なのだと確信してしまった。
「解ったみたいね。ソレは必ずしも人を良い方向に導くものではないわ。けれどとっても大事なモノであることには間違いないの。それをシロウが教えてくれた。
知ってるセラ？　凛も、セイバーも、桜も、ライダーも、リズも、私も、そして貴女も、この感情を抱かされたおかげでとっても苦労してるんだけど、それ以上にとっても幸せなんだから」
　少し困ったように、そしてそれ以上に幸せそうにお嬢様は笑う。
　そういえばお嬢様がこのように笑われるようになったのはこの国に来て、そして彼と出逢ってからではなかったか。
「……大事な感情、ですか……」
　今日一日の経験を反芻する。確かに様々な異常が私を困惑させたが、それを感じる時は常に暖かい感覚が体に溢れていた。
「そ。じゃあこれでお話はお終い。シロウのケーキも食べたいし、何より新たなライバルが誕生したんだもの、今からその祝杯を上げないとね。いい、セラ？　シロウは私のサーヴァントなの。貴方にも、その他の人たちにも渡さないんだから」
「そう、新参者が、入る余地ない」
挑戦的な笑みを浮かべてるお嬢様と、いつのまにか帰ってきていたリーゼリットがこちらを見つめる。
それに対し、私は――――――――――
「失礼ながらお嬢様にはもっと高貴なお方が相応しいかと。ええ、ですから召使に相応しいエミヤシロウは同じく召使の“私と共に”お嬢様を支えて行くのがよろしいかと」
　冷静に、侍女然とした台詞をもって応えさせてもらった。

「時にお嬢様、エミヤ様は本当に大丈夫なのですか？　何か顔色が青というより禍々しい紫色になっているのですが」
「？　大丈夫でしょ？　リズはけんぽーとかいうのを最近学んだらしいから。ね、リズ？」
「うん、本で読んだから、大丈夫。お前は、もう、死んでいる？」
「きゃぁーーーーーーーーー！！　そ、それは拳法ではありませんし、第一漫画です！　え、エミヤ様！？　エミヤ様！？」
当て身で意識を奪われていたエミヤシロウが、実は首の骨を骨折一歩手前までダメージを負っていてデッドエンド直前だったというのは、また別のお話。

さて
           今日も深い森を抜け、冷たいお城にやって来る、暖かな暇人に
　　　　　　　　　　　　　　　　ありったけの嫌みと
　　　　　　　　　　　　　　　　ほんの少しの感謝と
　　　　　　　　　　　　　ささやかな「愛情」を捧げよう