夢墜ち姫
「うーん、むにゃむにゃ」 柳洞寺の面々が気を使って用意してくれた部屋は快適だったが、元より馴染めぬ異国の地。畳に敷いた布団の中で何度も寝返りを打ちながら眠っていた。 「そーいちろーさまー」 それでも結界も厳重に張り、敵となるサーヴァント達の動静も掴んでいることで、彼女はようやく安心して眠る日々を送ることができていた。 そんな彼女に囁く声がひとつ。 『メディア、メディアよ』 どこか遠く、距離を感じる声で熟睡する彼女に呼びかける。 「ふえ? 私の本名を……だーれーでーすー」 何度目かの呼びかけてキャスターはやっと薄目を開ける。彼女の起床時間には早く、外はまだ薄暗い。 『見事な低血圧ぶりだな』 そのままぼーっとした顔の彼女に多少呆れたような声。しょぼしょぼとした目を擦りながら、首を左右に動かす。 「ほっといてーって誰!?」 ようやく覚醒したらしく、目を吊り上げると布団から起き上がる。そして寝巻きのまま、枕元にあった杖を手にとって身構える。 『会うのは初めてだったな』 そんなキャスターに対して声は悠然と続ける。 「誰と聞いているのよ」 キャスターは自分の真名を知られていることで警戒の色を隠さない。 『私の名はゼウス。全能神なり』 「ゼ、ゼウス!?」 流石に敵視していた連中の親玉の名前に動揺する。 「今頃になってのこのこと はっ、ゼウスといえば色情鬼。ひょっとしてこの私の美貌と肉体を狙って」 『いや、いらんて。そんな在庫処分品』 ガバと自分の体を抱きしめるキャスターに声は殊更冷たく突き放す。 「キーっ!なんですってなんですって! 宗一郎さまは受け入れてくれたわよ」 文字通り地団駄を踏むが、 『蛮族の末裔とは言え、人ならば慈悲の心はあろう』 声は更に追い討ちをかけた。 「むっきー、なによなによそんな哀れみの目をして! これで毎日のケアは欠かしたことがないんですから ほらみなさいよ、この真珠の肌を」 『ふっ、そんなに自信があるのならその肌、指で押していいか?』 「断固拒否!」 流石にどうにもならないところらしかった。 「で、一体今更何の用なのかしら」 散々寝起きで暴れたこともあって、一息つくとキャスターは改めて用件を尋ねる。 『実は詫びようと思ってな』 「はぁ?」 有り得ない言葉を聞いて思わず聞き返してしまう。 『ワシの部下がおまえにしでかしたこと、その後のおまえの行く末を知って悪いと思ってな』 大竹し○ぶとかマジで御免とか言い出す相手の俗っぽさにキャスターは益々不信感を募らせる。 「何を今更。しかも決して反省とか謝るとか知らないあんた達がなんでまた!? 何を企んでいるというの!」 『神聞きの悪いことを言う。わしはそれほど傲慢ではないぞ。人間なんて塵に対してこうして向き合っているだけでも尊ばれてしかるべしだろう』 声しか聞こえないが、キャスターは相手が間違いなく社長椅子に踏ん反り返っている様子がまざまざと想像できた。 「フン。だからこそ信用などできないというのです。普段から思い上がることしか知らないできた貴方達がいったいどういう理由でそんな…」 『ふむ、実はの』 天井を睨み付けるキャスターに、相手は少し声を落として返事をする。 『ワシがこないだ手を付けたt.A.○.u.のジュ○アちゃんに久々にあったら蛮族国家に対して謝罪の歌を作るんだとかで、その態度にワシも心を打たれてのう。ついなんとなく謝れそうな人間をみつけてあやまってみることにしたんじゃ』 「………」 うっわー、こいつ殺してえとキャスターは思った。その思念はゼウスにも届いた筈だが、元より相手にしていないだけに何の感情も刺激されなかったようだ。むしろその○ュリアちゃんとやらの情事を思い出しているのか、ヤニ下がっていた。 「しっかしタ○ゥーで、しかもジュリ○とはとことん趣味悪いわね」 呪おうにも敵わない相手なので、渋々毒づく程度に収めた。しかも今更あいつらかよ。 『あの良さが分からぬとはな。まあ良いわ、それで詫びの気持ちを込めて、プレゼントを授けた。感謝するがいいぞ』 「はぁ? プレゼントを授けたってそんな勝手に」 相変わらず神らしく一方的な通達をする相手にキャスターは抗議しようとして背中の違和感に気づいた。 「え……」 鏡を見る、すると背中に大きな白い羽根が生えていた。見ているだけで聖なる清らかさが感じ取れる。 「え? こ、これは」 『見ての通り天使の羽根じゃ。これによっておぬしの魔女としての咎は全て消えた。これで聖天女としてこれからを生きるが良い』 慌てるキャスターに声はいつもながらの尊大さで無視して言い放つ。 「良いって、あ、あなたねぇ」 『そう感謝することもないぞ。ではわしも忙しい身。これにてさらばだ』 相手が感謝しきっていると信じきった声で、会話が一方的に打ち切られた。 「あ、ちょっと待」 そこで、目が覚めた。 「………」 目を開くとそこは見慣れた天井。 木の板が張り巡らされただけの光景は、何故か馬小屋を連想させるが、日本家屋に慣れてきていた彼女にとってどこか安心できるものに変わりつつあったので、ゆっくりと上半身を起こしてから軽く安堵の息を吐く。 「な、なんだったのかしら一体」 疲労が溜まっていたのだろうかとこめかみを指で軽く押しながら時計を見ると、彼女がいつも目覚める時間を少し過ぎていた。 「いけない、もうこんな時間」 すぐに準備をしないと既に起きて支度をしているだろう宗一郎が、学校に行ってしまう。 「とりあえず髪を……」 化粧の準備をと布団を跳ね上げるようにして起き上がると、 ばっさばっさ 敷かれていた重みから開放されたような羽音を背中から感じた。 「………」 思わず硬直する彼女の視界に、数枚の羽根が映る。 「……え?」 慌てて張り付くように化粧台の鏡を見ると、夢の中同様に羽が生えていた。 「え? え? なにこれ……? えぇっ!?」 体の動きに反応して背中の羽根が動く。 「え? ええと、え?」 理解が遅れる。 目の前のことが理解できない。 羽根が生えている。 自分の背中に。 朝起きたら。 夢で。 なんで。 どうして。 なぜなぜなぜ。 「こ、これは……」 夢の中のできごとをぼんやりと思い出してみる。 何かエロ中年が出てきて好き勝手ほざいていたような記憶が。 今の自分でも夢を見るんだわと変な感心もしつつ、キャスターはじっくりと自分の背中に起きた現象を鏡越しに見つめる。 「ん……」 軽く動かしてみる。 白鳥が飛び立つように白く大きな羽根が動く。 「んっ」 強く動かしてみる。 文鳥が羽ばたくように白く大きな羽根が動く。 「ん〜」 ゆっくり動かしてみる。 優雅に羽根を散らせながら、手足を動かすように羽根を操る。 鏡に映る羽根を持った自分を見る。 視線に寝起き補正が入っていることもあって、鏡越しに映る姿は天女か聖女のようだった。 「綺麗……」 鏡に顔を近づけて、思わず鏡を抱きしめそうになる。 「うへ、うへへへへ……」 涎を垂らさんばかりににやけきった彼女のその表情は、湖に落ちて死んだナルキッソスを連想させるとかさせないとか。 「……て、もうこんな時間」 鏡に映る自分の背中の羽根と元来の美貌を誇る自分の美しさに暫く見蕩れていたが、宗一郎が学校に出る時間になっていたことに気づいて慌てて部屋を出る。 「宗一郎様!」 羽を羽ばたかせながら、何故か誇らしい気分も持ちながら玄関先に見送りに向かうと、一成と共に出かけようとする宗一郎がいた。何故か羽根は服を着た上からも現出していたが、元々魔術で蝙蝠の羽を生やすことのできる彼女は、背中の羽根が物質的存在ではなく心霊的な何かだと思っていたので変だとは思わなかった。 「あ、あの……その格好は!?」 当然羽根を生やしたまま現れた彼女に驚く一成を無視して、じっとキャスターは頬を赤らめて宗一郎の反応を待つ。 「……」 二十秒近くじっくりと眺めた後、 「すまん。最近のアニメは良く知らなくてな……」 それだけを言うと眼鏡を直し、そのまま「では行ってくる」といつものように学校へと向かった。一成も慌てて後を追うが、褒めてもらえると確信していたキャスターは硬直したまま動けなかった。 「そ、宗一郎さまは一般人だから残念だけどこの羽根の凄さがわからないのよ。そ、そうだ。半人前とはいえあの二人は魔術師。だったらっ」 「というわけで、俺の家に着たのかおまえは」 柳洞寺同様、衛宮家の朝も早い。だが早起きが日課になっている士郎は別として、 「私も起こされたわけね」 部活動もなく低血圧持ちの凛は無理やりおこされたようで、ただでさえ不機嫌そうな顔を更に歪ませながら眠たげに目を擦っていた。 「ええ! すごいでしょ!」 有頂天になりながら衛宮家上空を旋回するキャスターは、朝食の準備中で火を止めたままのフライパンが気になる士郎と、いつもならあと十分は眠れたのにと重い頭を抱えて唸っている凛の様子には気づかなかった。 「これもやっぱり私の魂の潔癖さを神が認めたからに違いないわ。既にして天界への切符を手に入れたというこの事実。羨ましいでしょう」 おぼろげな夢の記憶を都合よく改竄したキャスターは、おーほっほっほと高笑いをしながら胸を張る。テンションが高いのは普段不遇だったからこその反動だろうか。 「ええと、帰っていいか」 「あたしも、顔洗いたいんだけど」 「ふふふ嫉妬。嫉妬ね」 なぜそこまで上機嫌になれるのかも理解できず、ただただそのテンションに引きまくりの二人は、揃ってため息をつく。 「しかし、羽根かぁ」 「羽根、ねえ」 「ふふふ、これも清らかかつ高貴なる王女の身だからこそ起きた現象。今までの私は選ばれし者の試練だったに違いないわ」 これみよがしに二人の周囲を飛び回るキャスターに凛は呆れたように聞く。 「羽根って……あんたね、蝙蝠の羽があるじゃない」 「前から飛んでたよな」 禍々しい姿ではあったが、以前も彼女は飛べていた。原理としては物質的な羽根の力というよりも飛行魔術のイメージ映像に近いものだろうが。 「馬鹿ねぇ。魔術に頼っての飛行とこの神より与えられた天使の翼と一緒にしないで頂戴」 「私には魔術で飛んでいるようにしか見えないんだけど」 「俺も」 実を言うと、さっきから周囲に魔力が充満していた。初めは警戒していたこともあって、屋根ではいつでも矢キャスターにできるようにとアーチャーが陣取り、土蔵の陰からはいつでも飛び出していけるようにと完全武装のセイバーがいたのだが、どこかに行ってしまったようだ。付き合いきれないというところだろう。仕方なくマスターであり魔術師でもある二人は付き合っていた。勿論渋々とだ。 「これは神が私に授けられた贈り物なのよ」 あれだけ虚仮にされたことを言われていたことをすっかり忘れたらしく上機嫌なキャスター。神話の人間だけあって根は単純なようだった。 「なによ、その痛いものを見る目は!」 だが、厳しい現在を生きる二人の少年少女の目には非常にそれが痛々しいものに見える。 「だったら見てなさい。念じれば消えるような羽根じゃあ――― ひゅん、べちん
by M獣
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