"おやすみの夜　ＳＩＤＥイリヤ" by 蒼兵衛

イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、
　冬の聖女、リズライヒ・ユスティーツァ・フォン・アインツベルンの
　記憶を継いでいる。

それだけではない。
　代々の冬の聖女の記憶までも、わたしは私の中に内包している。
　―――それは、キリツグを愛したお母様の記憶までも。

先代の冬の聖女が、魂の共融を以って次代へ記憶を受け渡す。
　それはユスティーツァの機種交換に於いてのプロセスだけれど、
　誕生と同時に完成しているお母様たちとは違い、
　半ば人という特性を持ち、赤子として誕生したわたしは、
　その継承方法では幼い心が膨大な記憶に飲み込まれ、
　自我を失ってしまう恐れがあった。

だからお母様は心を繋げるだけに留め、
　わたしの心を柔らかな産着のように包みながら、
　心の成長と共に記憶を継承する方法をとった。
　そしてお母様の心は幼いわたしに寄り添い、
　キリツグへの恋慕とそれによって得たわたしへの愛情、
　双方でわたしの心を満たしてくれた。

それ故にわたしのキリツグへの気持ちは、
　普通の人間の子供とは少し違ったものだったのかもしれない。
　父として慕い、同時にアイリスフィールが恋慕する男として、
　イリヤスフィールはキリツグを愛していた。

けれどその至福の時も終わりを告げる。
　聖杯戦争に赴いたキリツグとお母様は、二度とわたしの元に帰る事は無く、
　わたしの身体を包んでくれた温もりは、残らず消え失せてしまった。
　それでもわたしの中に残ったお母様の心は、凍えるわたしの心を暖めてくれたけれど、
　その温もりの残滓は同時に、二度と戻らない温もりへの渇望と、
　本来ここがどんなに寒いのかという絶望を、わたしに思い知らせずにはおかなかった。

―――それから幾許かの時が過ぎ、記憶の継承が終わり、
　わたしの中のお母様も、代々の私の記憶と同列になってしまう。
　それは私が冬の聖女として完成したという事でもある。
　けれど完成したわたしの姿は、キリツグが去った頃といくらも違わない、
　少女のままの姿だった。

そしてやはりその理由も、わたしが人としての特性を併せ持つから。
　キリツグ達と共に人の温もりを失ったわたしの心は、人としての時を止め、
　その理に身体が従ったのだ。

だからわたしが再び人としての時を刻むのは、わたしが人の温もりを再び得た時。
　だけどヘヴンズフィールⅤの聖杯として用意された私に、
　そんな機会は在りえないと思っていたのだけれど―――

「……ね。もっとそっち行ってもいい？」

わたしの部屋のベッドで、隣に横たわるシロウに、躊躇いながら尋ねてみる。

「いいぞー。というか、広すぎて寄り添わないとすきま風が入っちまう。
　俺のせいでイリヤが風邪ひいたら、セラとリズにあわせる顔がないよ」

「そ、そうよね。……じゃあ、ホントに遠慮なしで」

わたしやセラ、リズを思っての言い訳がシロウらしい。　
　ともかくその言に背中を押されたわたしは、シロウの温もりに身体を預ける。
　そして思わずこぼれてしまう笑み。

「……えへへ」
　
　本当に久しぶりにベッドで味わうその温もりは、
　思い出のそれよりも、僅かに熱く感じられた。
　それはわたしに、キリツグが言っていたある物を思い出させる。

「んー……シロウの体温、ちょっと熱めだね。なんかユタンポみたい」

「ユタンポって、また古い道具知っているんだなイリヤ」

意外そうな声を上げるシロウに、わたしは暖かな夜の思い出を語る。

「ええ。キリツグがね、あっちにいる時にお母様に話していたの。
　思ったよりここは寒い、ユタンポが恋しいって。
　その気持ち、今ならちょっとだけ分かってあげてもいいかなあ」

わたしをユタンポ代わりにしながら言ったあの台詞に、
　当時のわたしはむくれたものだけれど、
　寒い夜を越えて、再び温もりを知った今のわたしなら、
　あの時のキリツグに同意してしまうかもしれない。

わたしもシロウをユタンポ代わりにして暖まる。
　実際のユタンポをわたしは見たことはないけれど、
　キリツグが恋しがって、シロウみたいに暖かいものなら、
　きっとすごくいいものだ。

「……いつもはぬいぐるみを抱いて寝たりするのか？」

「ボニファーツィウスやオットー？　うん、時々ね」

抱きつくわたしの姿に連想したらしいシロウの問いに、素直に答えを返す。
　温もりを返してくれない人形に縋る、幼い姿のわたし。
　いつものわたしなら認め難かったろうその事を、
　微睡みにも似た幸福感に捕われているわたしは、あっさりと認めていた。
　そしてわたしも他愛ない問いを、シロウに問いかける。

「そうだ。初めて見るよね、わたしのパジャマ。
　どうかな？　似合ってるかな？」

一人っきりのわたしの部屋では、誰にも尋ねられなかった問い。
　でも今はキリツグみたいに髪を撫でてくれて、
　抱き締めれば温もりを返してくれて、優しく答えてくれるシロウがいる。

「可愛いぞ。童話に出てくるお姫さまみたいだ」

「えへ。今までね、そう言ってくれる人って誰もいなかったから……んー」

嬉しさに、わたしを包むシロウの温もりが深まったように感じる。
　そしてそれを受け続けるわたしの身体もぽかぽかとしてきた。

「お兄ちゃん？」

「ん……なんだ」

「子供の頃、一緒に誰かと眠ったコトってある？」

深い意図で尋ねたものではなかった。
　強いて言えば、キリツグともシロウへの感情とも知れない、
　この温もりを独占できなかったかも、という幼い嫉妬心からのもの。
　けれどそれに対するシロウの切り返しに、わたしの心は凍りつく。

「イリヤこそ、お母さんと一緒だったか？」

その問い返しがわたしに呼び起こすのは、
　お母様を心に宿しながら、もう二度とその温もりを感じることは
　できないのだと思い知り続ける、寒い夜の冷たいベッドの記憶。

その冷たさにわたしの心は凍え、
　強張った身体は、ギュッとシロウの胸の上を握りしめながら、
　その温もりに縋り付いていた。

シロウはそんなわたしの様子に気付くと、
　幼子を宥めるように、わたしの背中を撫でながら謝ってくる。

「……悪い、変なこと聞いた。俺も誰かと一緒に寝る事がなかったから、緊張してる」

不器用な慰めと、撫でてくる手から伝わる温もりに、
　身体の、そして心の強張りが解けていく。
　すごい、シロウにかかれば凍ったわたしも、たちまち解かされてしまう。

「ん……ん、ふふふふ」

そんな考えが可笑しくて、嬉しくて、安心できて。
　小さく漏れた息が、笑みに震えた。

「いつも、一人っきりでベッドに入っていたから、冷たかった。
　今はお兄ちゃんと一緒だから、あったかくてきもちいい……から」

あの思い出を思い返しても、今はこんなに暖かい。

「今はもう夢物語だけれど。
　これから、ずっとシロウと一緒に眠れたのなら、わたしは幸せだったのかな」

本当に夢を見ているよう。
　微睡みの中、この暖かい虚実の世界では答を出せない問いが、ふと洩れる。
　その問いに、シロウはやはりシロウらしい、どこか惚けた答えを返してきた。

「……そっか。けどいつもは困るな。
　俺、寝相が悪いかも知れないし。その度にイリヤを幻滅させちまいそうだ」

「知ってるわ。でも、そんなのいくらでも直してあげるから安心して」

この世界で知りえる貴方のことなら、なんでも。
　その機会が与えられるのなら、いくらでも。

「……ふふ。シロウはぁ、わたしが一緒じゃないと駄目なんだから」

最後の選択に必要とされるわたし。
　だれにも認識されない彼（聖杯）と同位の、唯一の観測者。

まだまだ続けたいわたしとしては、
　できればここにはまだ辿り着いて欲しくはなかったのだけれど。
　そのお蔭でわたしにとって最高のこの四日目を迎えられる事に、
　喜びを覚えずにはいられない。

「ふぁ……そろそろ寝ようか、イリヤ」

あくびを噛みしめながら、小さな声で囁くシロウ。
　もうウトウトしているわたしは、こっくりと頷いて。

「そうだね。シロウの毎日は、これからまだまだ続いていくんだもの。
　それじゃあ―――また明日ね、お兄ちゃん」

シロウの温もりに包まれ、
　この幸せが明日も続くという夢想に包まれながら意識を落とす。

でもその明日はまだ先。
　そしてこの幸福な世界はまだまだ続いていく。

＜ＥＮＤ＞

おやすみの夜 ＳＩＤＥイリヤ

おやすみの夜　ＳＩＤＥイリヤ