教会の珍客
何も守れないと思ってた――。 何も残せないと思ってた――。 ◇◆◇◆◇ まるで、記憶が一瞬飛んだような錯覚だった。 視界には、うらぶれた教会の内装が広がっている。 寝静まった宵闇が耳鳴りを誘う。 「ここは……何故僕がここに?」 衛宮切嗣は思う。 疑念があった。本来“無い筈”のモノが、存在しているからだ。 ――即ち、己という亡者が存在破綻を告げている。 「それにしても、ちょっと見ない間に随分と様変わり――」 歩き出そうとして、その大仰で親切な違和感に気が付いた。 足元の感覚が無いので、視点を真下に下げると、脛から下が綺麗さっぱり欠けていた。 「なるほど。臨死体験ならぬ、幽霊体験か……。どおりで……夢にしては都合の良いわけだ」 死んだ人間が、気安く生き返るわけがなかった。 「意外ですね。現状を、そんなふうに受け入れられるなんて……。普通驚きませんか?」 部屋の奥から声がした。 「驚くって、何にだい? 僕が幽霊になっている事? それとも、“出番の無い”僕が此処に居る事?」 フランクに、廃れた教会の主に切嗣は声をかけた。 「どちらもです。どうやら……貴方は聞くところと違い、わりと無頓着なんですね」 銀髪の修道女は、幻滅したそぶりで話しかける。 「はじめまして、で良いのかな、お嬢さん? 僕は貴女とは会っていないけれど、貴女は僕を知っているみたいだね」 「初対面で間違いありません。貴方の事はそれなりに名が通っていますので、表層的なものなら知ることができます」 眼前の男が死者であると承知で、銀髪の修道女は悠々と事情を説明する。 加えて、 「尤も、人伝には、貴方のその怠惰な一面は語られてはいませんでしたが」 余計な一言も付け足した。 「それは申し訳ありませんでした。貴女の期待を汚すような真似をしてしまって」 自然な振る舞いで、切嗣は紳士的に非難に侘びる。 「女性に対して、すべからく友好的な態度を示すのは聞いたとおりですね」 銀髪の修道女は、ほだされなかった。 「おや、予想外の反応。もしや気になる人でも居ましたかな?」 切嗣の洞察眼が冴えた。 「そんなことはどうでもいいです。まったく……ご自分の矛盾に少しは関心を持ったらどうなんです」 拗ねるように照れた反応を、銀髪の修道女はしてみせた。 その表情をほのかに楽しみつつ、切嗣は修道女の問いかけに応える。 「まあ確かに……、自分で言うのもなんだけど、未練も執着も無い人間はそう簡単に幽霊をやったりしないだろうね」 我が事を他人事のように、切嗣は考察してみる。 「端的に言いますと、――私が言うのも可笑しいですが――貴方は成仏できないから亡霊をやっているのではなく、誰かの変調が招いた幻影として存在のが正しい見方です」 「つまり?」 「貴方は幽霊ですらありません。ただの都合あわせの幻なんです」 どうやら切嗣は、幽霊ですらないらしい。 「それは困るなあ。こうしておぼろげながら、僕は存在してるのに」 あきらかに困っていない口調で、切嗣は訴える。 「先程も言いましたが、貴方は齟齬を埋めるためにいまこうして居るのです。でなければ“関わりようのない”貴方が存在を持つ事はありませんから。こうして存在する事自体、途方もない偶然――全くの異例なのです」 「異例って、どうして起こるのさ?」 「おそらく…………大本がそこまで侵攻しているのでしょう、自分の中に矛盾が在ると」 銀髪の修道女は、そうとしか答えなかった。 「だとすると、僕はいったい何なのかな?」 そこまで説明されると、切嗣はいっそう自分の正体が気になった。 「ですから、貴方は綻びを誤魔化すための“さらなる綻び”なんです」 物分りの悪い生徒を根気よく諭す教師のように、修道女は答える。 「そもそもの綻びって?」 自分の存在する理由。切嗣はそれが知りたかった。 「いま彼は――衛宮切嗣の夢を見ているんです。衛宮士郎が知っている貴方を、本来知る筈のない彼が知るために急遽用意された《構成要素》なのです、貴方は」 何かが切嗣の思考の歯止めを掛けていた。 「彼……て」 あと一歩で、全容が解る。 「忘れたのですか? あの戦争から死ぬ瞬間まで、貴方はずっと“彼”に蝕まれていたではありませんか」 ああ――思い出した。 「…………なるほど。ここは現実ではないわけね」 「そうです」 同情も嘲笑も無い声が、切嗣の回答を肯定する。 「なら“あの子”はなんで僕の事なんかを知ろうとするのかなあ」 静かに湧き上がる新たな疑問。 「貴方を知ることで、彼は“衛宮士郎の持つ正義”を行おうとしているのでしょう」 解りきった事のように修道女が答える。 「彼は“誰かの為に助けようとする”行為を持っていませんので、衛宮士郎から“救助の術”を得ようとしているのです。そのために彼は、衛宮士郎が持つ“救助”の根幹を辿るために、衛宮士郎として貴方を思い出しているのです」 まさか、と思った。 「僕がかい? 人助けなんて善行が、全く相応しくないこの僕が? そんな選ぶほどの男なのかなあ?」 自分の人生を思い返してみても、心から感謝される事など数えるほども無かった筈だ。 「ひとりだけ、心の底から貴方に助けられた人が居ます。文字通り、身も心も」 「――――」 その人は知っている。同時に自分も助けられた。忘れるわけがない。 ただ……それは、 「良いのかい? 僕は士郎しか助けられなかったし、士郎がああなった原因を作ったのも僕だ。参考にできるほど立派な功績なんかじゃない。むしろ真似るものじゃない」 たったひとりしか助けられなかった自分は、正義の味方には到底及ばない。 「それで良いんです。彼が助けようとしているのはひとりだけですから、“確実にひとり救えた”貴方を、彼は参考に選んだんだと思います」 修道女は、切嗣はひとりしか救えなかったと言い、切嗣はひとりを救う事ができたと言った。 「ひとつ聞いて良いかな?」 「なんでしょうか?」 どうしても確かめたい事だった。 「士郎は、助けられたのかな?」 「はい、貴方のおかげで彼は救われていました。思想を受け継ぎ過ぎて、周りが心配するほどに」 その言葉を聞いた切嗣は、困ると同時に、何か満たされる感覚を味わった。 「そっか……。彼が士郎を選んだのなら、それは仕方がないね、うん」 ようやく、納得ができた。 「そうですか。たとえ人ならざるモノでも、迷いがあるなら救いの手を差し伸べるのが私の務めです。迷いが解決したのなら、幸いです」 祈るように、修道女は眼を閉じた。 「…………」 切嗣は、その修道女をまじまじと見つめていた。 「……何か?」 「いやなに、君を見てると、なぜか昔の知り合いを思い出してね」 「その人と私に何か共通点でも?」 「うん、聖職者なのに慇懃不遜なところが特に」 「…………素敵な褒め言葉、ありがたく頂いておきます」 眉根を寄せながら、修道女は礼を述べた。 「ところで僕は今後どうしたら良いのかな?」 いまになって気が付いた。 「どのみち貴方は夢の鏡像です。夢は現実では何もできませんし、一夜かぎりの存在です。此処で朝と共に朽ちるのが妥当でしょう」 情け容赦の無い私見だった。 「それじゃあ、お言葉に甘えるとしますか」 だが切嗣も、知人に似た少女の性格にはもう慣れていた。 すると切嗣の脛から上が、乾いた土塊のように崩落しはじめた。 カレンも、切嗣すら、その光景に慄かなかった。 「これは……?」 「どうやら彼が目を覚ますみたいですね。だいぶ早いですが、夢の終わりのようです」 予想していた返答を修道女は口にする。 「また登場する、なんてことはないよね?」 「おそらく二度とないでしょう。こうして貴方が存在した今夜は、偶然で括るには甚だしいほど日にちを刻んでいますから」 「万単位かい?」 「億です」 切嗣は絶句した。 身体は胸から下まで崩れていた。こうして胸から上が浮いている事すら、切嗣はなんだか可笑しかった。 名前すら知らない少女とは、ここで永久の別れとなるだろう。ならば、最後に印象深い一言を切嗣は残したかった。 「ねえ、そこの君」 「なんですか、幻影さん?」 「気になる人が居るのは、何も恥ずかしがる事ではないよ。誰かに興味を持つのは、自分以外に関心の無い人間にはできないことだからね」 「――――」 切嗣の言葉に、銀髪の修道女はしばし呆気に取られていた。 いよいよ首から上も、消えて無くなろうとしていた。 「それではさようなら、お嬢さん。貴女のおかげで退屈じゃない夜が過ごせたよ」 最後にそう言い残して、偽者の幽霊は跡形も無く消え去ってしまった。 「…………」 銀髪の少女は幽霊が居た場所を見つめ、 「どういたしまして」 静かに慎ましく、そう応えた。 (了)
by アロワナ太郎
「挑戦」という言葉を『hollow』では意識した聞いて、「切嗣VS士郎」という少年漫画的師弟対決(もちろん弟子が師匠を超える結末)を想像してしまいましたw
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