まったりテレビなぞみながら、 「士郎、お嫁にもらってくれるー？」 　などととんでもない事をなんでもない事のように言う藤ねえ。 　もちろん返答は 「いいよー、オッケー。」 　藤ねえルート、三秒で完!! 藤ねえルートエピローグ「虎なんていらねえよ・冬」 「――と、言う訳なんだが。」 「……と、いう訳、じゃないでしょーが！！」 　怒られた。 「そうですよ。そんなんじゃわたし、納得できません！」 「そーだそーだー！！」 　口々に不満の言葉を漏らす皆。 　ちなみに今現在の状況はセイバー、遠坂、桜、イリヤに囲まれて詰め寄られている所。なんでさ。 「士郎……それはいくらなんでも端折り過ぎだと思います。」 「むう……。」 　とうとうセイバーまで批難の目を向けてきた。 　……とは言ってもなあ。あれ以上どう説明すればよいのやら。 「そもそもどんな話の流れでそんな話題になったのよ。」 「そうですよ。そんな素振りは全然なかったのに。」 　話の流れか……。 　そういえば、何だったっけ？ 「えーっと、あれは確か――」 　――あれは確か、高校を卒業し、数ヶ月ほどたったある夏の日。 　夕食を食べた後、俺は台所で食器を洗い、藤ねえは居間でテレビを見ながらまったりしていた。 　そんないつもの日常の風景の中で藤ねえは 「あー、そう言えばさー。今度お見合いするんだよね〜。」 　なんて、いつものちょうしで爆弾発言をかました。 「はあ？お見合い？誰が。」 「わたしが。」 　まあ、他にそんなことするやつがいる訳でもないので、当たり前の話なのだが。 「藤ねえが？そんな奇特なことするやついるのか？」 「むっ、失礼な。こう見えても学生の時はもてたんですからね。剣道部のアイドルだったんだから。」 　ああ、それは以前聞いた事がある。 　けど。 「ふうん。それにしては男っ気がなかったような気がするんだが？」 「ふんだ。手が届かないからアイドルって言うのよ。」 　つまりあまりお声はかからなかったと。 「……それってもててるって言うのか？」 「がーーーっ！！いちいちうるさーい！！」 　怒られた。 「……で。なんでいきなり見合いなんだ？」 「んー。お爺さまがそろそろ身を固めろって。相手もお爺さまが探してきたみたいで。」 　藤ねえの爺さん、藤村雷画は現役バリバリの藤村組の組長だ。 　気の良い人だが怒ると怖い。 「爺さんが？ふーん。じゃあ今回はほんとに本気なんだ。」 「そうなのよお。写真見たけどわたし好みの渋めの男の人でさ。武道やってるから話も合うんじゃないかって。」 　なにやら愉しそうにニコニコ笑いながら、藤ねえは言う。 　見合いを嫌がっている、とかそういう素振りはないようだ。 「ふーん。じゃあ藤ねえも乗り気なんだ。」 「んー、どうかしら？　合ってみないと相性なんて分からないし。」 　正論だ。 「それはそうか。まあ、藤ねえも今年で26だもんな。そういう話が来ても当然か。」 「まあねー。そりゃわたしも女の子だもの、結婚の二文字にはあこがれるわよぅ。」 「藤ねえ……もう女の子って年じゃな――」 「めーーん！！」 　ずびしぃっ！！ 「ぐあっ！？」 　抜く手も見せぬ藤ねえの右手刀が俺の額に炸裂した。 「女の子。オーバー？」 　にっこり。 「お、おーばー。」 　笑いたくば笑え。 　俺もこんなことで死にたくはない。 「あーでも結婚すると、士郎のご飯食べに来れなくなるなー。」 「そりゃそうだろ。むしろ自分で作らないとだめじゃないか？」 「むう。やっぱりそうなのかしら。う〜ん……。」 　納得がいかないのか、藤ねえはうんうん唸っていた。 　まあ、俺も藤ねえが主婦やってる光景など想像できないのだが。 　家事にいそしむ新妻藤村大河、２６歳。 　……むう、何故か破滅的な光景しか浮かんでこないぞ？ 　と、藤ねえは不意に手をポン、と叩くと、 「あ、いい事思いついた！」 　なんて目をキラキラ輝かせながらのたまった。 　――ぞくり 　背筋に寒気。 　なんていうか。いやな予感？ 　……いや、むしろ確信。 　過去の経験からいうと、藤ねえの思いつく“いい事”なんてろくな事であったためしが無いのだ。 「……聞きたくないような気がするが一応聞いとく。何を思いついたんだ。」 「うん。士郎連れてお嫁に行けば万事解決かなあって。」 「は？」 　ナニヲイッテイルノダコノトラハ 「だってわたしは結婚したいでしょ？　でも士郎のご飯も食べたい。なら士郎について来て貰うしかないじゃない。」 　……なんでさ。 「却下。」 「えー。なんでー？」 　不満そうな藤ねえ……あのな。 「なんでじゃないだろ。俺は藤ねえの召使でも嫁入り道具でもなんでもないんだぞ？なんで付いていかなきゃならないんだよ。」 「むう……に、二世帯同居？」 　なんのこっちゃ。 「そういうのは親子がやるもんだろ。」 「む。」 「そもそも俺と藤ねえは血のつながりも何も無いし。言うなれば赤の他人じゃないか。」 「―――――」 　――あ 　ちょっと……まずった、かな？ 　売り言葉に買い言葉。 　ついつい心にも無いような事を言ってしまった。 　ひょっとして傷つけてしまっただろうか？ 　ほら、いつもなら瞬時に虎に変貌して怒りの咆哮を上げる藤ねえが考え込むような様子で黙り込んで―― 「んー、そうだよねー。わたしと士郎は赤の他人だもんねー。分かってるわよ、そんなことぐらい。」 　――はいなかった。 　藤ねえはいつも通り、いや、いつも以上に明るい声をあげた。 「んー、そうか。そうすればよかったのよ。なんで気がつかなかったのかしらー？」 　なんだか、妙にはしゃいだ様子だ。 　いつも通りと言えばいつも通りなのだが、いつも通り過ぎて、逆に何を考えているのかよく分からない。いつもの事だが。 「藤ねえ？」 「うん？なあに？」 「なあにじゃなくてな……。何を思いついたんだ？またぞろろくでもないことなんだろうけど。」 「えー、ろくでもないことじゃないようー。結婚と士郎とご飯。一挙両得万事解決なすばらしいプランなんだから。」 　……両得なのは藤ねえだけだと思うのだが。 「で？なんなんだよ、そのプランとやらは。」 「簡単なことよ。結婚しちゃえばいいんだから。」 　―― 　―――― 　――――――は？ 「……なんだって？」 「うん。分かりやすく言うとこういう事ね。」 　藤ねえはにっこりと微笑んで言った。 「士郎、お嫁にもらってくれるー？」 「―――――」 　あきれた。 　何を言うかと思えば。 　嫁にもらってくれる、だって？ 　つまり俺と藤ねえが結婚するって事か。 　なるほど。確かに結婚と俺の食事を両立できる。 　戸籍上は赤の他人なのだから、結婚にも問題は無い。 　しかし、そんな重大事を、いともお気楽に聞いてくれたものだ。 　まあ藤ねえらしいと言えば、らしいのだけど。 　それはさておき、とりあえず返答はしなければ。 　分かりきった答えだけれど、一応言っておかないと。 　もちろん返答は。 「いいよー、オッケー。」 　だった。 　 「――と、いうわけなんだが。」 「……あんたね。」 「そんな簡単に決めちゃって良かったんですか！？」 　簡単に決めてよかったかどうか、か。 「うーん……。」 　自信ない。 「……なんで悩んでるのよ。」 「うーん、でもあの時は……ああ答えるのが自然なような気がしたんだよ。」 　それは本当だ。 　あの時のあの言葉には、何の気負いも、ためらいもなかった。 　あれは間違いなく俺の本心だった……それだけは確かだ。 「うー！納得いかなーい！！」 「私もです。ですが、本人が納得しているのであれば、他人が口を挟める問題ではありません。 　それよりも……式は挙げたのでしょう？　ならば、誰も呼ばないなどというのは、あまりにも不義理なのではないですか？」 　叫ぶイリヤをなだめつつ、セイバーが至極当然の疑問を口にした。 　本来なら、結婚式を誰にも知らせない、呼ばない、等という事はありえない。 　だが、それにも理由があるのだ。 「ああ、そのことかそのことなら――」 「いいよー。オッケー。」 　俺の返事を聞いた藤ねえは、 「……えー。ほんとー？やったー。わーい。じゃ、わたしちょっとお爺さまに電話してくるねー。」 　ひとしきりはしゃぐと、電話をかけに行った。 　その後特に何事も無く三十分が過ぎ―― 「……そういや藤ねえ。さっきの電話、何話したんだ？」 「んーっとね。士郎と結婚するから見合いは断ってって。」 「で、爺さんはなんて？」 「そうかって。それだけ。」 「ふうん。」 　カランカランカラン…… 「！！」 　聞き覚えがある、いやな音が鳴り響いた。 　あの聖杯戦争の記憶が頭を過ぎる。 「んー？何、あの音。」 「……藤ねえ、ここを動くなよ。ちょっと見てくる。」 「なによ士郎。様子見に行くんならわたしも……。」 　藤ねえの言葉を無視して部屋を―― 　チャキチャキチャキッ！！ 　――部屋を出ようとした俺の眼前に、複数の銃口が突きつけられた。 「――なんだあんたら？」 　冷や汗を垂らしつつ、銃口の主に目を向ける。 　銃を構えているのは黒服サングラスの男たち。 　警察官には見えないし、ましてや真っ当な職についてるとはとてもとても……って、あれ？ 「あーーっ！？あんたたちうちの組員じゃない！なんで士郎に銃なんか向けてんのよー！？」 　やっぱりかーーーっ！？ 　――これはやっぱあれか？ 　見合いをぶち壊したとか取引を台無しにしたとかうちの娘を傷物にしたとかそんな理由で、指詰めろとかタマもらったとかコン クリ詰めで海にとか―― 「あ、お爺さま！」 　藤ねえの叫びで、厭な想像から、現実世界に引き戻された。 　見れば藤村の爺さんがこちらに向かって廊下を歩いてくる。 　藤ねえの親父さんも一緒だ。 　――やだなーこういう雰囲気。 「ちょっとお爺さま。何なのよこれ。」 「大河は黙ってろぃ！！」 「……。」 　すごい。 　さすがは藤村組の現役組長。 　藤ねえを一睨みで黙らせた。 　あ、でもその視線をこっちに向けるのは正直勘弁してほしい。 「坊主。」 「な、何でしょう。」 　思わず声が震える。 　サーヴァントと対峙したこともあるくせに、と言われそうだが、俺でも怖い物は怖いのだ。 　爺さんは迫力たっぷりに言葉を続ける。 「大河と結婚するそうだが？」 　……やはりそのことか。 　相手が俺をどうするつもりなのかは分からない。 　ひょっとしたらここまでの命なのかもしれない。 　だが。 「はい。」 　既に決めたことだ、迷うことなどない。 　俺は、はっきりと答えた。 「本気か？」 「はい。」 　真っ直ぐ俺を見つめる爺さんの目。 　俺は視線を逸らさずに、真正面からその目を見据えた。 「そうか……おい、野郎ども！！」 「へい！！」 「え？きゃー！！なにすんのよぉ！！」 「藤ねえ！？」 　藤ねえが両腕を掴まれて引きずられていく。 　振り返り、駆け寄ろうとした俺の両肩を、藤ねえの親父さんが押さえつける。 　丁度向き合う形になった親父さんの表情は、いつもと同じこわもての笑顔。 　そしてそのままの笑顔でうんうん、と何度も頷いている。 「……え―――っと？」 　どういうこと？ 　そして混乱した頭のまま俺も別室に連れて行かれ、さらに三十分後。 　俺と藤ねえは、紋付と白無垢で道場に並んで座り、目の前には赤い杯があったりしたのだった―― 「――とまあ、そういうわけなんだ。」 「何よそのハイスピードな展開は。」 「しょうがないだろ？逆らおうにもそういう状況じゃなかったんだから。」 　逆らったら問答無用でコンクリ詰めにされそうだった。 「確かに藤村先生のご家族ならそのくらいやってもおかしくないですけど、でも……。」 　言いよどむ桜の言葉をイリヤが引き継いだ。 「なんで今までわたしたちに知らせなかったのよ！！」 「そうですね。それは半年も前の出来事なのでしょう？ならば、手紙なり電話なり、知らせることも出来たはずです。」 　さらに言葉を続けるセイバー。 　うむ、確かにそれは正論だろう。 　だがそれは出来ない相談だったのだ。 「ああ。それか。それはな。」 　ふう 　思わずため息が漏れる。 「……実は今さっき旅行から帰ってきたばかりなんだ。」 「……は？」 　みな、呆けた視線を俺に向ける。……無理も無い。 「旅行というと……何の旅行ですか？」 「新婚旅行。」 　この場合他にする旅行も無いだろう。 「でももう半年よ？いつ出発したのよ。」 「式の翌日。」 　正確に言えば、翌日に婚姻届を提出したその足で新婚旅行に出発し、帰ってきたのがつい昨日なのだ。 「新婚旅行に半年って……。世界一周でもしていたんですか？」 「あー、やったことについては似たようなもの――なのか？」 　確かに世界中を飛び回る羽目になったからな。 「それなら旅先からでも出せばいいじゃない。」 「ああ、そりゃ無理だ。手紙なんてだす余裕、全然無かったから。」 　というか手紙を出せるような状況じゃ無かったというか、場所にいなかったと言うか。 「そんなに忙しかったのですか？シロウ。」 「忙しい？ああ。確かに忙しかったな。」 　それはもうぼろぼろになるほどに。 「ちょっと待って。あなた達一体、どこに行ったのよ。」 「どこ？最初の目的地はハワイだった筈なんだが……どこをどう間違えたんだろうなー。」 　思わず遠い目になってしまう。 　一体俺が何をした。 「新婚旅行、だったんですよね？」 「少なくとも最初の目的は。」 　逆に言えば“最初だけ”は。 「……な、何があったの？」 「……聞かないでくれ。」 　思い出したくも無いし、話したくも無い。 　出来れば無かったことにしたいがそれは無理な相談だ。 　幸い、ニュースに取り上げられるような事態にはなっていない。 　このまま、皆の耳に入らない事を祈ろう。 「と、ところで藤村先生……あ、もう藤村じゃないんだっけ。えーと……。」 　俺の様子を察してくれたのか、皆は追求をやめてくれた。 「いいよ、藤村先生で。下手に名前で呼ぶと怒るし。」 「じゃあ、藤村先生はどこに行ったの？姿が見えないけど。」 「ああ。なんか今朝方ふらっと出かけていったけど。まったく。掃除片付け俺一人に押し付けやがって。」 　などと話していると。 「ただいまー。」 　噂をすれば影、くだんの人物の声がした。 「あ、帰ってきたみたいですよ？」 　そのままどたどたと廊下を歩く音がして、ガラリと襖が開いた。 「しろー、あのね〜……って。あれ？遠坂さんにセイバーちゃんに桜ちゃんにイリヤちゃんまで？どうしたの一体。」 「いや、どうしたの、じゃなくて。」 　あんたの方こそどこに行っていたのだ。 「先輩と結婚したんですよね。」 　桜が躊躇いがちに聞く。 「えへへ、まあねー。」 「その事、何で今までしらせなかったんだーって。」 「……皆で追求していたところです。大体終わりましたが。」 「なんだ、そっか。ごめんねー。出来れば手紙送りたかったんだけど。」 　少しは責任を感じているのか、藤ねえはすまなさそうに答えた。 　……というか、こんなことになった責任の八割ぐらいは責任があると思うので大いに責任を感じてほしいものだ。 「いえ、その事についてはもういいです。なんだか色々と大変だったみたいですから。……とりあえず、ご結婚おめでとうござい ます。」 「……おめでとうございます。」 「むー。不本意だけど、一応おめでとうと言っておくわ。」 「おめでとうございます。大河。」 　遠坂の言葉をきっかけにして皆口々に祝福の言葉を述べる。 　微妙に棘が混じっているようにも感じたが。 「ありがとね〜。みんな。」 　気付いてるのかいないのか、藤ねえは少し頬を赤らめながら嬉しそうに返礼した。 「ところで今までどこに行ってたんだ？俺一人に片付けさせて。」 「あー、それねー。ちょっとお医者さんまで。」 　医者？ 　はて、大した怪我はしてなかったと思うのだが、……俺と違って。 「医者って……どこか悪いのか？」 　病気か？そうは見えないが。 「んー、悪いと言うか良いと言うか。」 「？」 　妙なことを言う。 「あのね、三ヶ月だってさー。」 　……さんかげつ？ 「……何が？」 「やーねえ、士郎ってば。そんなこと決まってるじゃない。」 　どーん！！ 「おわっ！？」 　突き飛ばされた次の瞬間、目の前に星が散った。 　頭には鈍痛、どうやら何かに頭をぶつけたらしい。 　そのまま視界は真っ黒に染まり、どさりと何かが落ちる音が聞こえた……いや、落ちたのは自分の体。 「……あれ？」 「ちょ、ちょっと衛宮くん大丈夫！？」 「しっかりしてください先輩！！」 「うわーん死んじゃダメー！！」 「……いくらシロウが鈍いとは言え、それはやり過ぎです、大河。」 　意識が闇の中へと落ちていく最中、そんな、声を聞いた気がした。 　…… 　…… 　……夢を、見ていた。 　炎の夢だ。 　いつもの夢なら俺は、炎の中をただ逃げ、彷徨うだけだった。 　しかし、この夢は違った。 　彷徨うのではなく、戦っていた。 　助けられるのではなく、助けようとしていた。 　それは、俺が憧れた、俺の理想の姿…… 　…… 　…… 　……目を開けると、蛍光灯の灯りが目に飛び込んできた。 　すでに外は暗くなり、みなの姿はもうない。 　藤ねえは、というと俺の傍らでテレビを見ながら煎餅を齧っている。 「あ、士郎。おはよー。」 　俺が体を起こすと、藤ねえが屈託の無い笑顔で声をかけてきた。 「……おはよう、じゃないだろ。まったく。帰って早々に気絶する事になるとは思っても見なかった。」 「あははー……。ごめんねー。ちょーっと力が入りすぎちゃって。」 「ちょっとじゃないだろ、ちょっとじゃ……。」 　軽く一つため息をつく。 　あれでちょっとじゃいつか本気で人を殺しかねない。 　だが、彼女がそういう人なのは俺が一番良く分かっている。 　本当に聞かなければなら無いことはそれではない。 「そんなことより……本当なのか？三ヶ月って。」 「うん。ほんとほんと。お医者様におめでとうって言われちゃった。えへへー。」 　俺の問いに彼女は頬を染め、嬉しそうに答えた。 　嬉しい。 　うん。俺も嬉しい。 　だが、その嬉しさとは別に、これからの事も考えざるを得なかった。 　これからは色々とお金がいるようになる。 　ある程度の貯金は無いではないが、稼ぎが無ければ減る一方だ。 　学生の片手間のバイトだけでは追いつかない。 　やはりここは学校を辞めて、就職して、働いて、お金を稼いで―― 「士郎？」 　――藤ねえの声で俺は思索から引き戻された。 　嬉しそうにはしゃいでいた彼女は、いつの間にか真面目な顔に戻り、静かな瞳で俺を見つめていた。 「あ、ああ。すまないぼーっとして。そうだな、とりあえず――」 「学校を辞めるつもり？」 「――――」 　今まさに言おうとしたことを先に言われてしまい、俺は言葉を失った。 「士郎の考えそうなことなんてお見通しよー。だって、ずっと一緒だったんだから。」 　えっへん、と胸をはる藤ねえ。 「そ、そうか……。なら――」 「でも駄目よー？わたしのために辞めるなんて。」 「え？」 　話が早い、と続けようとした俺の言葉をさえぎると、藤ねえは明確に否定の言葉を発した。 　口調こそ軽やかだが、その表情は穏やかで、瞳はまっすぐに俺を見据えていた。 「士郎もまだ若いんだからー。いろんなことを諦めるには早すぎるでしょ？」 「でも、それじゃ……。」 「お金のことなら大丈夫だって。わたしにだって少しは貯金はあるし。ひ孫の養育費ぐらいおじいさまが出してくれるわよ。」 「……。」 　言葉も出ない。 　反論ならいくらだって出来る。 　だが、迷いを抱えたままの反論など、彼女は認めてくれないだろう。 　そしてなにより、藤ねえの思いが痛いほど伝わってきたから。 　だから、何も言えない。 　つまり彼女は―― 「だから……士郎は自分のやりたいことをやればいいんだよ？」 　――そういうことなのだ。 　ずっと一緒にいて、俺の夢をもっとも良く理解している藤ねえだからこそ、俺を縛ることをしたくなかったに違いない。 　俺の結婚した、俺が好きなこの人は、そういう人なのだ。 　だから、こう答えるしかない。 「……ありがとう。藤ねえ。」 　彼女に甘えることはしたくなかった。 　でも彼女の思いがそうなのなら……それを裏切ることは出来ない。 「うん。でも、一つだけ約束して。」 「約束？」 　ほんの少し、躊躇う様な間を空けた後、彼女は言った。 「どういう道を選んでも、どんな事があっても、どこへ行ったとしても……ちゃんと、帰ってくるって。」 「――――」 　それは、誓うような、祈るような、そんな……言葉だった。 「……ああ、約束するよ。絶対、帰ってくる。」 　帰ってこよう。 　どこへ行っても、何があっても、何になっても。 　俺が帰るべき家はここなのだから……。 　END

by 山猫

一年ほど前、ほとんど最後まで書き上げたんですが、
エンディングが気に入らなかったんでお蔵入りになってた一品です。
ほんとは藤ねえと士郎の新婚初夜で藤ねえが、

「不束者ですがよろしくおねがいいたします」

とか三つ指ついて言うシーンだとか。
士郎に抱きついて、

「士郎、ほんとにわたしで良かったの？」

とか言うシーンだとかも考えてたんですが没になりました。
むう、書けばよかったかな。
むろん１８禁で！！（まて）

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