「あー、アンタ、ちょい待て」 晴れた日。ちょっと近道しようと入り込んだ買い物帰りの路地裏、突然呼び止められて振り向くと、そこには男が立っていた。 「―――――――っ！？」 その男の風貌は明らかに異質だった。 黒い肌と空ろな瞳、世界をあざ笑うかのごとくつりあがった口の端。そしてなによりも顔中に描かれた、奇妙な文様。じっと見つめると吐き気を覚えるような、正体不明の嫌悪感。 「ああ、そんなに驚くな。コレはボディペイントの一種だとでも理解しろ。予想できる通り、この服の下にもあるけどな」 　そう言って男は服を指し示す。服自体はそこらへんに売っているものだ。とはいっても俺はあまり着たことがない様な服である。なんというか、町でたまに見かける流行に敏感なクラスメートがよく着ている、いわゆる「ユルイ」感じ。 　…視界の端についたままの値札を見かけたが、気にしないことにする。 「それよりも、だ。ちょいとコーヒーでも飲んでいかねえか。積もる話もあることだしよ」 　―――――俺はコイツの姿を知っている。正直、思い出したくもないけど。具体的に言うと自分の家の鏡の前で。 『あの二人』が漏らしたことがある、名前で呼びかけた。 「アンタが、アンリか。」 「名前なんていいからよ、さっさと行くぜ」 　言い忘れてたが当然オマエの奢りでな、と無職宿無し一銭も無しサーヴァントは付け足した。 　積もる話というのはつまるところ、取り留めのない話だった。バゼットさんやカレンの話を聞いてはいちいち、へえ、とか、笑える、とか、救えねえ、とか相槌を打ちながら、満足そうに笑うだけ。別に自分は関係ないけどな、というスタンスでありながらやたらと話しに耳は傾けている、俺の周りにはいない性格のサーヴァント。 　本当にコイツが俺の写しなんて、考えられない。いや、やっぱりこの世全ての悪とやらは全然別次元のシロモノだったわけだ。 「―――じゃあ、最近は全然釣れてねえのか、無様なもんだな」 「無様っ……？　言っとくがな、オレはどこかのコソドロニートと違って、働いてんだよ。テメエも物乞いにでもいそしんだら、どうよ？」 　いつの間に青いウェイターも話しに加わったのだろうか。……思い出せない。が、わりと最初からだった気もする。 「ハッ。願い下げ。あの女の飼い犬っぷりが板についてきたんじゃねえのか？駄犬に捕まる魚なんて相当トロイだろうからよ。もう港じゃなくて釣堀、いやペットショップか魚市場に行ったらどうだ。お前みたいな馬鹿面の魚が死んだ目で食われるのを待ってるからよ」 「そいつぁ真っ平ごめんだ。テメエこそそろそろ公園で新聞紙かぶって寝る時間じゃねぇのか？　もっとも、店から出たら客でも神様でもなくなるからな。せいぜい死神に用心しろ。最近物騒だからよ、大人しく心臓ブチ抜かれとけ。そしたら楽に逝けるぜ？」 　しかも隣でやたらと険悪な会話をしているのですが。誰か助けてプリーズ。 「――――――っと、そろそろ、か。店を出るぞ。これ以上負け犬に構ってる時間はねえ」 　立ち上がって店から早々と出て行く自己中サーヴァント。コーヒーごちそうさん、うまかったぜ、と小さく呟きを残したのは、誰かが気づいただろうか。慌てて金を払うと俺も後を追う。 　後ろでは二度と来るなお客様、と聞いたこともない挨拶をする槍兵がいた。 　両手に俺がカレンに届けてくれと預けた買い物袋を提げているのはご愛嬌だろう。多分。 「――――さて、そろそろいいか。未練もねえ時間もねえらしいからさっさとすませるか」 　昼下がりだというのにそこには一人の人影もない。 　それはある意味で、その場所がたどり着いた宝具、あるいは結界といえるのかもしれない。十年前の傷痕。大火災の被害者。―――――――そして、聖杯戦争のサクリファイス。 　今まだ人の集まらないその公園で、サーヴァントは立ち止まる。 「ここなら邪魔はない。つーわけで――――――――」 　こちらを見つめたサーヴァントの目には先程までの冗談じみた表情はいっさいない。服はいつのまにか、本来の、上半身に何もつけず、ぞんざいに布を巻きつけた、体中の文様がやけに禍々しい姿になっている。もちろん、俺も張り詰めた緊張感を感じ取っていた。いつ、襲われても動けるように身構える。 「“自”殺しあおうか、兄弟」 　その手にはいつか見た一対の双剣。異様な形状、異質な文様。片方が剣砕きの役割を持ち、もう片方で攻撃をする二刀剣の戦い方のひとつ。 ―――――――ギィィン！ 　せまる異なった二つの剣を投影した干将・莫哉が弾き返す。その夫婦剣はエミヤシロウがやがて辿り着く型。サーヴァント・アヴェンジャーとはその型こそ違えど劣る要素など一つもない。 剣戟がその公園、否、その無限の荒野――――そう、エミヤシロウの世界を埋め尽くす。折れ、砕け、刃毀れ、削れ、廃れ、削がれ、そして、研がれて。 そうしてエミヤシロウはやがて辿り着くのだろう。今、自分が最も嫌悪しているはずの、全てが奪われたこの１０年前の荒野に。無限の剣を縫い付けてようやく、崩壊を免れている、ツギハギダラケノ、世界に。少年の日に見た地獄と理想の融合、何一つ救えない場所で自分だけが救われた矛盾を補うために。どんな小さな命でさえ救えるように、その無限の荒野に剣の数だけを蓄えて。剣の担い手は一人として居らず、彼にとっての勝利、救うことのできる人間すら一人としていなく。仕方なく自分を傷つけるためだけに剣を握って振るい、その年月を、その生涯を、その意味を、磨耗する。いずれ来る担い手を――――あるいは、人を救うことができると、信じて。 「なんでさっ！なんで戦わなきゃなんないん―――――――だよ！？」 「同じ存在が世界に二人、どちらか一人しか生きられないに決まってるってよっ！いったい誰が決めたんだろうな。ハッ。俺はどうでもいいが」 　目の前のサーヴァントはこの身の写しだ。例え存在が許されたところで、世界は不合理を排斥する。 　―――――――それは、この手に生み続ける幻想と同義だ。 「こんなガラクタを救うために命をかけられるか？正義の味方様はよっ！」 　目の前の自分の幻像が喚く。 　―――――ソウダナニヲシテイル 　―――――キサマハエミヤシロウナノダロウ 　―――――ナラバコソシヌコトデスクウコトガデキルナラバイノチナドクレテヤレ 　剣戟が止んだ。 　昼下がり、――ありえないはずの昼の聖杯戦争のサクリファイスは一時、静寂を取り戻す。 　剣先をだらりと下げている、のは、俺だ。 「俺が死ねば、お前は存在できるのか？アンリ、……マユ」 　確かめなければいけない。 　それが最善ならばエミヤシロウという魔術は発動されなければならない。その身を魔力のカケラとしても。正義の味方として。 　アンリは、虐げられた。全ての人のために。ならばその分だけ人より幸せになる権利があるのではないか―――― 「もしそうならっ。俺は…」 「うわ、ウゼー。ガッカリしたぜ俺」 　半眼で失望の眼差しを向ける、アンリ・マユ。 「―――――っ」 　舌が乾く。言い返せない。どうあがいても言葉が紡げない。 「そんな思考回路捨てちまえ。なんなら魔術師の杖になって永遠に剣を作ってろ。馬鹿じゃねえのかお前。その考えは」 　ふと、アンリの目が閉じられる。感慨深く、何かを思い出しているのだろうか。自分の記憶か、あるいはこの俺の記憶を自分のもののように。 「――――――テメエの親父が、言ったんだろ。そんなものは、正義の味方じゃないって。俺の記憶は偽者だが、本物に馬鹿にされるのは気にくわねえ」 　瞬間。突風が吹いて。 世界が変貌した。それは錯覚だけれど、先程までの非日常に叱咤が飛ばされた気がした。 そうだ、親父は、俺を救っておきながら、正義の味方になれなかったといった。引き換えに、言峰の呪いに犯されて死んで行くことを受け入れて。そんなものは、残された俺が望んだはずもないのに。そのことさえも知っていながら、俺を救うためだけに命を捨てた。自ら、そんな生き方は自分が夢見た正義の味方ではないと、言い切って。 「なあ、“俺”は正義の味方になってくれるんだろう？約束したんだろう？なら貫き通せよ。じゃねえと俺があっちで自慢出来ねえだろうが。俺は正義の味方なんだぜってよ。あー俺はもちろんそんな生き方まっぴらだけどよ。よく考えりゃ大して自慢になりもしねえし。……お、目に光が戻ってきたな。そうだよテメエはそれくらいでちょうどいい」 　思考がやけにクリアになる。魔術回路がいつもより頼もしい、気がする。再び剣先を上げて目の前の敵に意識を向ける。 　アンリは嬉しそうにこちらを見ていた。なぜか俺にはその顔がまるで、出来の悪い弟を褒める兄のように思えた。たなびいた布の束がある姿を思い起こさせる。 「――――そうだ。俺は、正義の味方になるんだ。それはきっと、アイツのような姿じゃない」 　脳裏をよぎったのは、本来目撃するはずのなかった、赤い外套。 　俺は、人を救うために自分を全て犠牲にする生き方をするわけにはいかない。そうしたら、救えるはずのほかの人間を救えない。だから、『俺が描いた』衛宮切継という正義の味方のように、全ての救うべき人のために、生きていなければ。全てを救うために生きる正義の味方。それは砂を手で掬うような行為でも、決して、間違いなんて罵られることじゃない。けれど。 俺が目指すのはあの大きいけれど小さな赤い背中ではなくて、俺をおぶってくれた、薄汚れた茶色の、あのどこまでも広い、背中なのだから。 「それでいい。そうだ、人間はってのは自分が生きていることで他人が死ぬのは目ェ瞑って。自分はそんなこと知らないふりでいい。そんなものは当たり前だ。けど、そんな奴でも代わりに生きていることで誰かを救えるのなら、生きていることに全力を尽くすってのも悪くはないってことだ。そうだ、だからこそテメェラは触りたくないほど汚らしくて―――――」 　アンリの目が見開かれる。おそらく攻撃に移るのだろう。 　俺は負けるわけにはいかないらしい。この戦いを超えていかなければ。 　空はいつしか少しずつ赤らんでいた。もう、帰らなくては。そう、帰らなくてはいけない。そうだ。当たり前のことになんで気づかなかったんだろうか。セイバーがいる。遠坂が、桜が、ライダーが帰りを待っていてくれる。藤ねえは、俺が帰らなかったらきっとわんわん泣くだろう。イリヤも気づいてくれるだろうか。カレンやバゼットはどうだろう。クラスメート達も、悲しんでくれるだろうか。 そんな、当たり前のこと。 　けれどそれが、何よりも大切なことだと、目の前の人間として扱われなかった人間に気づかされた。 「そんで嫌になるほど濁っていて―――――――だけど震え上がるほど、綺麗なんだ」 　言い切ると共に止まっていた時間が動き出す。 　アンリは剣砕きが振り下ろしてきた。本来のスタイルとは違うありえない攻撃。しかし戸惑うことはない。おそらく、互いの全てなど知らない記憶が知り尽くしている。全てを受け止めて全てを防がれるだろう。けれどこの戦いはいずれ終わる。勝者がどちらなのかは、やがて、わかる。 「負ける、もんか――――――」 ――――――ギィン！ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 　折れ、砕け、刃毀れ、削れ、廃れ、削がれ、研がれて。けれどやがて消え去ることは、ない。いつか忘れてしまっても、この身は剣でありながら人なのだ。癒えぬ傷はない。癒えない傷があったとしてもあの騒がしい、“家族”がおせっかいにも直してしまうだろう。だからそうして磨かれた一つの剣は、きっと、後悔に身を苛まれたり、しない。 「ハッハッ。……いいぜ、エミヤシロウ！？正義の味方ならこの世全ての悪ぐらい簡単に倒してくれねえとっ！さあ、超えていけ、この俺の――――――」 　幾度となく繰り返される剣戟。 　冗談のような夕暮れの白昼夢。 　真っ赤に染まった幻の荒野で。 　とある世界の犠牲者が二人踊る輪舞曲。 「――――――――――無限の残骸を、よっ！」 　――――――――ギィン！ 　やがてその演奏は終わるけれど。 　ずっと続けばいいのにと思ってしまったのはどちらだったのだろうか。

by 西宮　晶

さあ、残る席はあと三日（？）
投稿遅いとかいわないで置いてくださいｗ
というわけでみなさんアンリに一票を！
いかがでしょうか、無限の残骸。その生き方を貫くなら俺の屍を超えていけ―――――な話。
『本来ありえないはずの邂逅』がコンセプトのホロウのさらにありえない邂逅。元はアンリ応援SSだったはずなのに出来たら士郎応援の役割も担ってましたとさ。なんでさ。
　アンリ難しいなあ、キャラ把握が。
後、何気に男度１００％。TYPE−MOONの男は本当に格好いい。

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