箱庭でひとり
増えていく不安の数だけ、出迎えの言葉を考えた。 泣き出しそうになる時には今までの思い出と、これからの未来を胸に灯して待ち続けた。 一瞬の長さに負けそうになる。 背負うと決めた罪の重さに押し潰されそうになる。 悲しいかな、その帰途を信じていても、今ある鼓動はひとつだけ。 ふたつの鼓動が欲しいのに。 隣りに鼓動が欲しいのに。 生きている証がひとつきり。それがまた涙を作る。 けれど負けたくなくて、裏切りの涙と戦った。 溢れそうになる涙を押し返して、明日を待った。 今日を生きたご褒美に、明日には歓びが待っていますようにと夜に祈って。 孤独だとは思わない。淋しさは仮初め。満たされるために渇いているだけ。 再会の涙に潤されるため、私という器は渇いたままで待ち焦がれている。 どれくらい待ったのだろう。 どれくらい待てばいいのだろう。 苛立たしさでは無くて、逸る気持ちがどこまでも膨らんで、明日に求めていたものが今すぐに 来て欲しいと願うようになる。 淋しくて、会いたくて、 揺りかごのような彼の鼓動と、日差しのような彼の温もりに時を忘れて眠りたい。 明日を待つのにも、次の一瞬に期待をするのにも飽きてしまうかも知れない。 そうなったらどうしよう。私は彼を待つことをやめてしまうのだろうか。何も待たずに、生き ていくだけで生きていくのだろうか。 手に入れた意味を放棄して、見つかるわけもない新たな拠り所をもしかすると探して、今で妥 協し、ひとつの鼓動、その片翼に虚しさを覚えながら、どこかへ飛ぼうとするのだろうか。 信じているのに? 信じていても、信じているからこそ、許せないものというのはあるんじゃないだろうか? だってそうだろう。こんなにも待ったのに、待っているのに帰ってきてくれないなんて、もは やこれは裏切りで、それに私が不機嫌になるのはちっともおかしなことじゃない。 「ただいま」が聞きたくて、「おかえりなさい」が言いたくて、昨日を今日を明日を生きていく のは、ひどく疲れる。 望み続けて、待ち続けて、私の心はヘトヘトだ。 今更帰ってきたところで、許してなどやらないのだ。 どうせそのうちひょっこり帰ってきて、私の気持ちなど知らぬのほほんとした顔で悪びれた風 もなく笑うのだ。 ・・・・ああ、想像したら思った以上に腹が立つ。 笑顔で出迎えてなどあげない。何を言ってもそっぽを向いてやろう。おろおろするあの人を無 言であちこち連れ回して、散々我が儘をきかせて、何度も何度も恥ずかしい事を言わせて、茹 で蛸みたいになったところを大声で笑ってやろう。 それで少しは気が晴れる。 でも、ひとつやふたつ言うことを聞いてくれたって根っこじゃ許さないんだから。 一生忠誠を誓わせてやる。私に頭の上がらないようにしてやる。思い切り甘えて、思い切り甘 えさせてやるんだ。 周りがうんざりするくらいに、いつでもどこでもくっついていこう。 どんなに困った顔をしたって離してやらない。 子供みたいに腕に寄り添って、蜂蜜みたいにべたべたと過ごそう。 朝、隣から聞こえる「おはよう」に「おはよう」を返して、 夜、すぐ側で呟く吐息のような「おやすみ」に言葉にならない「おやすみ」を口づけで返す。 今日が終わるのが勿体なくて、明日が来るのが待ち遠しい、そんな毎日。 そんな毎日を、あの人と過ごす。 どんなに心が躍るだろう。どれだけ尊い日々になるだろう。 きっとなんでもない会話さえ愛おしくて、忘れないで憶えておこうとするのだけれど、どうし ても思い出せなくて私は後悔に苛まれる。 そして次の一瞬には倍の歓びが待っている。笑顔でいられぬ時は無い。皺が増えたら大変だ くすっ、と何日ぶりかで笑みが綻んだ。 いつの間にか待たされる怒りは消えてしまっていた。 いや、そんなものは初めから無かった。 拗ねたフリをすれば、あの人がもっともっと優しくしてくれるだろうと思ったから。あんな心 とは逆の事を考えた。 出迎えずにはいられないに決まってる。 玄関まで走って走って走って、その勢いのままに飛びついて涙と一緒におかえりなさいをあげ る。 笑顔を見れば許してしまう。ただいまの一言でまた愛してしまう。 どれだけ時間が経ったって、私はあの人が好きだから。 あの人も私が好きだから。 だから、早く帰ってくればいいのに。 傷だらけでも気にしない。私が全部癒してみせよう。 帰り道を忘れてしまったのか。それなら誰かに聞けばいいのに。 でもあの人は、筋金入りのいじっぱりだから、自分の家の場所を人に聞くなんて恥ずかしくて 出来ないのかもしれない。 そうか。それなら仕方ない。じゃあ、もう少しだけ待ってあげよう。 ガラガラと玄関の開く音は、今日も違う人だった。 明日になれば、あの人の笑顔が私を包み込んでくれる。 暖かくて、広い胸に飛び込んでいける。 「おかえりなさい」を言う私。 「ただいま」と笑うあの人。 それだけでいい。それだけで幸せ。 もう、色々言うことを考えていたのに待たされ過ぎて忘れてしまった。 でもいいや、その時になればなにか言える。ううん、言葉なんかなくてもいい。触れあえる喜 びと、今日への感謝でいっぱいになるから。 それより多くは望まない。 そうして、花を見せよう。私が育てた沢山の花を。 帰ってくるのが春だといい。一番花が綺麗な時に、帰ってくると自慢が出来る。 春じゃなくとも、夏でもいいし、秋でもいいし、冬でもいい。季節毎に美しく咲く花をもっと 沢山、沢山育てればいい。 いつあの人が帰ってきてもいいように。いつ帰ってきても、花と私を褒めて貰えるように。 そっちが勿体付けた分、こっちだってそれ相応の準備はしているのだから。 待つだけの女じゃない。私は明日を待つ時間で命を育む。 奪ったものを返すことは出来ない。私の手で未来の数が増えるなら、それが償いになるなら。 そうして、この贖罪の時間が少しでも短くなるのならば。 待つことは多分私の罪滅ぼし。だからあの人はまだ帰ってこない。まだ償いきれていないか ら。 私が綺麗な体になったら、あの人が帰ってくる。 それをいっぱいの花と、私が出迎える。 「おかえりなさい」と「ただいま」を言う間もなく抱き合って、互いの温もりを分かち合う。 昨夜夢見たその時を、今夜も夢に見て眠ろう。 明日には、鼓動の数はふたつになるのだ。 早く、帰ってこないかな・・・・・・・・。
by 碧山羊。。
ハッピーエンドじゃない!? うわ駄目だ俺駄目だー、書き終わったらハッピーになってなかった。 おのれノープランめ。 結果発表ではハッピーになってるといいですねー。 首吊りは勘弁・・・・。
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