epilogue＋／色散りて 　そうして、また春になった。 わたしは、縁側で穏やかな風に揺れる椅子に座りながら、過ぎゆく時に褪せてしまった感覚で、忘れかけていた季節の巡りを微かに感じる。 どこからか迷い込んできた櫻の花びらが、ふわり目の前を舞って。 足を踏み出せば、届く距離。でも、わたしにもうその仮定は無い。 時間は残酷なまでに優しい。 年をとればとるほど、記憶も感情も安らかに巻き戻ってゆく。 そんな精神（こころ）を抱えて、器（からだ）は穏やかに朽ちて行くだけだというのに。 …そういえば間桐の櫻、結局その咲き誇る姿を楽しむ事は叶わなかった。 そう、あの時から実に二十年。それだけの時間をかけて、やっとわたしはあの家に再び入る事が出来たのだった。 無論、わたしが十数年住み慣れて一度だって親しんだ事のない家は廃墟と化していたけれど。 驚く事に、櫻の木はまだ生きていた。 間桐の魔術影響が及んだ土のせいか、見るからに枯れ朽ちていたけれど、芯は力強く。 多分、あれは生きて咲きたがっていた。 それから、数日に一度。頑張って足を運んでは、わたしはなんとか樹木の気持ちを解そうとした。 それが功を奏したのかどうか、夏には実に青々と生い茂ってみせてくれるまでになった。 けれど、咲く事なくその蕾は土に帰ってしまう。 それでも、少しずつ、最近は咲く寸前まで膨らむようになったのだ。 あと数年在ればきっと満開に咲けるようになる、と思うのは未練が過ぎるというものだろうか。 負うものは余りに多く、抱えるものは余りに少ないわたしだけれど、心残りがもう一つ。 ―約束の日の為に、年に一つずつ、花を育てる事にする。 そんな、あの日から守り通してきた小さな決意も今年は達せられそうにない。 　年月は瞬きほど。 この衛宮の家を出なくなって久しい。歩く事さえままならなくなったのは何時の事だったか。 衣食の世話は、ずっと遠坂の跡継ぎが見てくれた。 だけど、もう、誰もこの家を訪れる事は、無い。 あれは一昨日の事だったか。姉さんが死んだ、と伝えられた。 原因は第二魔法の暴走。年甲斐もなく、若き日に挑んでの事だろう。本当に、姉さんらしい。 だから、わたしは、この家に住み込むといって聞かない教え子に、あの戦争で誰もが求めていた魔法を、一度だってわたしが望んだ事のない契約（まほう）を、渡した。 「先生、見てて下さい。ええ、濡れ手でこんな大それた幻想を掴んだからには、誰にも届かないような、最高に素敵な夢を叶えて見せますから」 あの子だって、分かってる。 わたしが、もう、長くはなく。ましてや人の助けなくては三日と保たない事を。 だけど、それを承知で、一寸の躊躇無く大見得をきってみせるところが、いかにも姉さん似というか、なんというか。 危なっかしくて、馬鹿正直で、わたしにはもったないぐらいの教え子だったけど。 きっとあの子なら、立派に遠坂の名を継いでみせるだろう。 そして、間桐の血はわたしで終わらせる。 この余りにも不毛だった五百年（れきし）が、どうかわたしと安らかに逝けますように。 　目蓋を閉じて、開く。 かつて様々な人達が通り過ぎたこの屋敷に今はわたし一人。 不思議なものだ。目の前の事は靄がかかったように思い出せないのに、あの頃の喧噪は今でも鮮明に見える。 先生、姉さん、剣のサーヴァント、騎兵のサーヴァント、ホムンクルスの少女。 喧嘩、揉め事は日常茶飯事。でも、ご飯の時間になるとみんな仲良く集まって。 夜の戦争の役者達とは思えないくらい平和な日常を作り出して。 そんな幻覚の中、わたしは一人の少年の姿を見つけて声をかける。 それで彼は、わたしが家族に他ならないと、当たり前のように視線を返すのだ。 それが嬉しくて嬉しくてちょっぴり複雑で。 これ以上の幸せなんてある筈無いのに、ついその先を望んでしまう。 そんな呆けたわたしの隣で、彼は今日も己の分以上の雑務をこなそうとしていて。 本当に彼はどこまでも善い人すぎるから、誰かが傍に居て―――あっ。 …箸を、落としてしまった。何やってるんだろう、わたし。こんな事で壊れたら、どうしようもない。本当のわたしは誰にも醜いだけだから、上手に笑顔を纏わないと。大丈夫、何でもない。まだ間に合う。拾って、持ち上げて、一息ついて、落として、拾って、持ち上げて、一息ついて、落として、拾って、持ち上げて、一息ついて…その後、どうするんだっけ？ ―あ、れ、音がした。行儀悪い、みっともない、頑張らなきゃ、…でも、何が？ 「桜、大丈夫か。今日は、量多めにつくったからな。無理しないで、もう寝た方が」 「　　の言うとおりだ、桜。貴女はもう少し日々の生活を気楽に過ごしたほうがいい」 「んー、桜ちゃん。ここは大人しく　　に任せちゃいなさい。全くだめよー、　　。桜ちゃんは我慢がきいちゃうタイプなんだからねー、ちゃんと見ててあげないと」 「そうよ、全く　　だけじゃなくて、サクラも世話が焼けるんだから」 「サクラ、　　はああ言ってますが、大丈夫ですか？」 「あっ、すみません、ぼけーっとしちゃって。あはは、わたし、最近多いですね、こういうの。あ、それはそうと、片づけは任せて下さいね。出来るだけお水を使わないように洗うにもコツがあるんですよ？せんぱ………。え、うそ」 誤魔化すように言葉を続けて、息を呑む。あってる。せんぱい、であってる。ずっと慣れ親しんできた呼称だ。何ら問題も違和感もある筈ないのに。周りの声がよく聞き取れないとか、環境から意味が汲み取れないとか、そんなことはどうでもよくて。 あれ、えーと、焦点が合ってない？ 視覚に限らず、存在そのものに。 ああ、わたしは、先輩に身勝手な夢を重ねていただけで。そもそも、こんな過去なんて無かった。微妙に重なってるのは、失くしたのに偽造して汚してるから。 あ、そうか、わた、し、名前、一番大切な人なのに、名前、もう、喪くしちゃった？ あああああああ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、守ってくれるって言ったのに、ごめんなさい、選んでくれたのに、ごめんなさい、自分のサーヴァントを殺してまで、ごめんなさい、何でも望みを叶えられたのに、ごめんなさい、わたしが居なければ理想になれたのに、ごめんなさい、いやだ助けてお願い戻して全部わたしのせいだ… わたしの罪を貴方は許す、といったけれど。貴方との約束を果たせない罪はどうやって― 　丘には一面の櫻の花。 ―違う。過去に生きる事も謝って逃げる事もあの人の望んだ事じゃない。 さあ、購いの時を。 到底、負いきれる筈もなく、世界中の人に憎まれてしかるべき罪を消す事は出来ないけど。 それでも、ここまで生きたのは何かしら意味があるはずだから。 行動原理も、行動理由も、存在意義もとうに喪くしたわたしだけれど。 この身は、あの人がたった一つの理想を棄ててまで守ろうとしたものだから、せめて最後くらいは相応のものにならないと。 思い出す。残ってる限りで、きちんと。 わたしの家族。わたしの家。わたしの出会った人。わたしを大切に思ってくれた人。わたしが殺した人。わたしのサーヴァント。わたしを守ってくれた人。 そして、もういないその人達に言葉を。 「わたしは、…生まれてきて本当に良かったです。確かに、つらい事もたくさんあったし、ひどい事もたくさんしてしまったけど。ごめんなさい、ありがとう。みんなが何を思って生きて、何を思って死んだのか、わたしには届くはずもないけれど。わたしは、幸せ、でした」 奪って奪って奪って。それを返す事が叶わないというのなら、せめて、自分の大切なものを守り通さないと。 わたしの大切な人が、好きだと言ってくれた、それを。 幾多の死骸の上で、見てくれる人が誰もいなくても、わたしはこの桜を咲き誇らないと。 「だから、わたしは。最期まで笑ってます」 それが、沢山の人を犠牲にして何十年かけてようやく辿り着いたわたしの答だった。 購いの花。 約束の花。 笑顔で育てようと決めた花。 そうだ、家で育てて生けた花は全て引き取ってもらったけど。 一つだけ残ってる、今でも見える、窓辺に飾ってある一輪の花が。 姉さんが、大空洞で摘んできたという何時だって咲きっぱなしだった小さな花。 きっとあれが咲いていたから、わたしはあの日からずっと泣かずにいられたんだ。 だから、信じていられたんだ。絶対に叶わぬ約束と知って、果たされる事を待ち続けた。 何故だか、その花があの人と重なって。 ああ、そっか。わたしはいよいよ死期が近いらしい。 映る風景は、まるでわたしの髪の色のように、桃色というよりは光の白に染まった櫻吹雪。 　懐かしい坂道からは、あの頃の姿のまま、少年が手を振って― だから、少しだけ錯覚してしまった。本当に、今更だけれど。 櫻は、儚く華やかに一時のユメ。けれど、夏には生命の緑で空を覆う。 そして、なにより、人々は、そこから、新たに歩む元気をもらうのだから。 わたしにも、この世界のみんなに何か与えられるんじゃないか、って。 そんな過ぎた幻想を最期に抱くのも悪くないかもしれない。 「…………」 ―どうしてだろう。こんなに透んだ心持ちになれたのに。もう未練は全部終わらせたのに。 未だわたしは白昼夢の中にいる。憧れて掴みかけてわたしが粉々にしてしまった黄金の日々に。 わたしはきっと数え切れない程のこんな情景を体験して、数え切れない程のこんな情景を踏みにじった。 そんな長い夢から漸く醒める今なら、それが素直に受け止められる。その重さが直に分かる。 「…………」 ―いや、そんなもの分からない。失ったものの重さなんて分かっていい筈がない。 だけど、理解しようと思った。理解すれば、その先に進めると、間もなく逝く身でそう信じたのだ。 だというのに、どうして、わたしは、この夢をもう少しだけ続けたい、なんて思う？ 「……ぃ…」 夢の中の、少年は、ゆっくりと、わたしに向かって、歩を進めて。 ―ああ、そういう事か。 死に際に満開の櫻の花を見るなんて、それはまるで天国のよう。 もっとも、わたしは天国にも地獄にも行けないだろうけど。 この人がわたしの死神だというなら、それは至極妥当な話に思えた。 「…だ…ま」 耳に掠めた音、ずっと待ち望んでいた言葉。なんて、皮肉。 よりによって、最期の最後に、こんな幻聴を聞かなくても。 意識は微睡みに。夢の中で、目を瞑る。あとは静かに心臓が止まるのを待とう。 「ただいま」 呼吸が止まる。心肺はその機能を停止し、精神は言葉を忘れた。 魔術回路は、その機能を消失し、単なる神経に成り果てた。 後は、魂である第二要素が自ら行使する虚数概念に没するのみ。 ―そんな経験は当然、初めての事だったから。 　死に至るソレとは少しだけ異なるものだと気付くのに、いくらか時間がかかった。 「…ぁ。……あ、ああ」 震えながら。でも、ある種の確信を持って目蓋を開く。 心臓はもうその鼓動を再開した。けたたましく早鐘のように感情を送り出す。 その瞬間、わたしは色を失った。それは、間違いない。 だったら、これは何という奇跡なのだろう。 「え、うそ、そんな、はず、ないのに。どうして、そんな」 否。奇跡などでは断じてなく。 視界いっぱいに広がった少年の笑顔は、否定しようのない現実だった。 要するに、わたしは、少年にキスされて死の淵から呼び戻されたらしい。 それは、どんな魔法とファンタジーの御伽噺なのだろう。 主役としか考えようのないお姫様は、年老いた醜いお婆さんだというのに。 でも、こんなの、あまりに都合が良すぎる。 あんなに透き通った気持ちになれたのは、所詮、上辺でしか無かったのか。 それに、正直、頭に来た。さんざん待たせておいて、こんな格好良すぎる不意打ち。 だって、そんなの勝手すぎる。やっと、わたしは、わたしとこの世界を肯定できて。 たった一人で、精一杯、幕を、降ろそうと、わたしは― 「どうして、ってさ。ずいぶんと遅くなったけど。約束は、守らないと」 ―わたしは、頑張らないで微笑む事が出来るよう少し頑張って。思いっきり泣いた。 それからの事は、たった一言に尽きる。 わたしは、わたしの大切な人から、最高の幸せをもらった。 「桜、結婚しよう」 「――はいっ」 outerlude／夢の少し後 「はい、お待たせしましたー。…ど、どうでしょう」 正直に言って、わたしはもの凄く無理をしていた。 勧められて着てみようとはしたものの、先ず、鏡に向かおうとして絶望した。 結果として、わたしは鏡を見ずに、一人で着付けをする事になった。 無論、ややこしい手順は全てカット。お化粧も最低限。 一番シンプルな構造のものを用意してもらったとはいえ、そこからして無茶苦茶だ。 ただ、ここまで年をとってしまうと恥という感覚さえ薄れてしまっているのが救いというか、何というか。 いや、両手が上がらないのは本当に参ったが。 「………」 ほら、絶句。 予想してたとはいえ、その反応は流石に傷付きますよ？ 「あはは、自分の事はよくわかってますから」 そう言って気付く。 そういえば、ここ数十年、数少ない古い知り合いとしか付き合ってなかったから、忘れていたけど。 到底、その言葉遣いさえ似つかわしくない、というよりは最早、滑稽である事に。 でも、きっと、これくらいが丁度良いのだろう、今のわたしには。 そんなわたしを目の前の人は― 「…いや、なんというか。悪い、桜が綺麗すぎて言葉が見あたらない」 ―そんな風に評した。 「せんぱ…、いえ、あの、ずっと呼びたかった名前があるんです。そう呼んで良いでしょうか、士郎、と」 「そうだな、桜も随分と立派になったからな。むしろ、先輩は桜の方だ。うん、これからもよろしく、桜」 「―はいっ、せ…、士郎！」 本当に小さくなってしまった丈で、背一杯背伸び。 自然な流れで薬指に指輪をつけさせてもらう。 そんな中、指が触れあったくらいでどきどきしてしまうのは、自分でも微笑ましいものであるのだが。 「わ、綺麗、です。…もの凄く奮発しちゃいました？」 「あ、遠坂には内緒な。魔術用にはうってつけというか。…実は、正直に言うと、投影による贋作なんだ、それ。…悪い、こんなものしか用意できなかった」 「ふふふ、その方が嬉しいです。想いが形になるって、本当だったんですね。それに、贋作なんかじゃないです。世界にたった一つだけの大切な本物です」 幸せとしか表現のしようがない、純粋な幸せ。 色々な物を置き去りにして、それをいつまでも続けと願うのは罪なのだろうか。 お爺さまがあれだけ不老不死を求めた気持ちも分かる気がする。 「さて、みんなが待ってる。そろそろ行こうか」 「はい、わたし達の幸せをみんなに見せつけ―――え。あ、士郎」 けれど、所詮は拙い白昼夢。 少年の姿であるが故に、この人は当然の綻びを口にする。 「士郎、姉さんも藤村先生も、もうみんないな…」 「いいから、桜」 少し強引に手を引かれた。 ここで歩んでしまっては全部無駄になると分かっているのに、優しい嘘に呑まれてしまえばいいと思う自分がいる。 と、其処に、駆けてくる人影。それを見て、この夢は紛れもない現実だと悟った。 「せんせーい、どうです、おどろきましたー？私の魔法」 ずたーっと、幸せ一杯の新婚さんに割り込んでくる不埒な弟子一人。 「えへへ、第二魔法と第三魔法、これ以上ないってくらい見事に成功しましたー」 「といっても、平行世界というよりは共鳴世界で、天の杯というよりは空の杯だったりするんですけど、まあ、細かい事はお気に為されずにー」 …幸せに浸りきっていた思考が、唐突に凍結した。 わたしは、魔術師と名乗るには呆れる程に知識が無く、殊、魔術協会についてはさっぱりなのだけれど。 今、この子、さらっととんでもない事言わなかった！？ 「………」 そうか、しかし当たり前だけど、姉さんも魔法、渡してたんだ。 つまり二つの魔法を同時に操る６人目の魔法使いがここに誕生してしまったわけで。 何か最強っぽい香りがするのは気のせい、と言う事にしておきたい。 「まあ、聖杯と宝石剣。共に犠牲になりましたけど」 当の本人はと言えば、こちらの狼狽ぶりなど意にも介さず、自分勝手に言葉を続ける。 舌をぺろっとだして、まるで悪戯を自慢げに告白する子供みたいに。 間違いない、この子、姉さんより数段上手だ…！ 「そうね、共鳴世界全ての魔術協会から追われる事になるでしょうね。全く我が事ながらとんでもない跡継ぎをとったものだわ。…ま、面白いからいいけど」 と、完全に支配権を一人に牛耳られたその場を律するように、字義どおり凛とした声。 「ね、姉さん！？」 少年と同じく，あの日の声姿形のままで。 赤い不敵な笑みを纏った魔術師が其処にいた。 「遠坂、久しぶりだな」 「いえ、はじめまして、ね。衛宮くん？数十年と無機物として過ごした気分はどうかしら」 「…っ！じゃあ、姉さんが大空洞で拾ってきたあの花が」 「ええ、おそらくそれで間違いないでしょうね。士郎の魂をイリヤスフィールが再生したものよ。それにしても、一輪の花、とはね。あの時のイリヤに器の形まで指定する力は無かったでしょうから―くっ、ぷぷっ、はは、あはははははははは！本当にどういう精神構造してるのよ、士郎」 「…む。しかし、遠坂に摘まれた時はわりと本気で死ぬかと思った。義体、用意してくれたのは感謝してるけどさ。もう少し早く転移してもらえると」 「ぷっ―あっははははははははははははははは！士郎、違う、違うってば。本当に適応能力だけは高いというか何というか。普通、この状況にいたら疑問を持つでしょうに。桜も幸せ者よね。いい、わたしは貴方が知ってる遠坂凛じゃないの」 「なんでさ。何でも知ってそうな物言いといい、見計らったようにおいしいシーンをかっさらおうとするタイミングといい、どっからどう見ても俺の知ってるあかいあくまそのものだぞ」 「…ふうん、士郎ってば、わたしの事、そんな風に思ってたんだ―って、いけない、いけない。わたしまでのせられるところだったわ。だから、わたしは、桜にサーヴァントを殺された無様な遠坂凛じゃないし、あかいあくまでもないってコト。順を追って説明するけど、長くなるから終わるまでツッコミはなし。」 少し、置いてけぼりにされた感覚。 話の内容はさておき、本当に姉さんとこの人は、背を預けられる戦友みたいな関係なのだな、と。 妬みとかじゃなくて、ちょっとだけ羨ましくなった。 「えーとですね、要するに、ここにいる凛先生様は共鳴―ある種の平行世界の遠坂凛、ということになります。時間のズレについては、そうですね、桜先生の精神的な時間の遅さが聖杯に影響したぐらいに思って頂ければ結構です。だから、此処にいる凛先生様は若いんですね。衛宮士郎の魂が義体に定着するのにやたらと時間がかかったのは、お二方とも気付いてないようですけど、桜先生の笑顔のせいです。そもそもあの義体は眠る事をその機能の主としてますから。こっちの世界の凛先生様が桜先生の死期が近いのを知って、無理矢理転移させて成功したのはいいものの、肝心な所でミスって死んでしまったわけです。多少なりとも妬みが入っていたから失敗したんだと、私はにらんでますね。最期まで独身でしたし。哀れ。しっかし、びっくりです。あの強欲ばーさんにもっこんな可憐な時代があったんですねー」 そして、故意か天然かどどーっとこの不思議事態に説明をつける、まるで空気を読まない弟子一人。 あ、珍しく、姉さんがどういう感情を表せばいいか、困ってる。 なまじっか情報の処理が追いついてしまっただけに心中、複雑なんだろう。 ホント、どういう師弟関係だったんだろう、この二人。 「で、なんで、平行世界が共鳴しちゃったかっていうと、私の偉大なる魔法のおかげです。えっへん。あ、共鳴ってのは、どこぞの平行世界で起きたウインチェスター事件みたいなものですね。で、共鳴条件は第五回聖杯戦争と言う物語におけるバッドエンドにしてみたり。共鳴っていうよりは共感っていう方が近いかもしれませんね。この物語、生存率が滅茶苦茶に低いですから。物語として成り立ってないですんで、この魔法は、例え結末がバッドエンドでも頑張って生き残ったご褒美として、死線をくぐり抜けた苦労話を敵味方仲良く語らってお祭りでもしてくれぃ、という戦争を知らない世代からの粋なプレゼントだったり。えへへー。…や、ややや、よく考えたら私、お邪魔虫？えー、それでは、ごゆっくりー」 言い終わるや否や、だだーっと走り去る常人には到底理解不能な弟子一人。 かくして、情報の暴風雨は過ぎ去った。 あれは、自分が居ない方がいいと知りつつもネタばらししたくてしょうがなかった困ったさんだったのだろう、多分。 \"役者は揃えました。どんな色に染めるのも自由ですから。世界は貴方の物です\" ただ、最後にそんな幻聴も聞いた気がした。 「………なに、アレ」 「………なにって、紛れもなく姉さんの後継ぎです」 「あー、よく分からなかったけどさ。要するに、此処にいる遠坂は聖杯戦争に負けたのか？」 「なっ、本気で言ってるの、衛宮くん？わたしは完膚無きまでに勝ったわよ、聖杯戦争に。―皆殺しで、ね。だから勝者だけどバッドエンドってわけ」 「そっか。そりゃまた、…凄まじいな」 流石にみんな、あの嵐にあてられたのか、暫し沈黙。 と、姉さんが真剣な顔でわたしに向き直った。 「桜？」 「は、はいっ」 鋭い意志の通った声。 わたしは、何十才も年下の姉に萎縮する。 うん、わたしは姉さんに褒められたり叱られたりしたかった。 今、それがどちらに転ぶかは分からないけど、望んだ関係は此処に。 「これだけのものを巻き込んだからには、幸せになる覚悟はできてるのでしょうね？」 にやり、と。わたしが憧れた遠坂凛のままで、わたしを祝福した。 …多分、姉さんとしては待ちかまえていた言葉で、最高の見せ場の筈だったのだろう。実際、わたしも感動なんて言葉じゃ足りないくらい感じ入ってしまったし。 しかし、当然のようにそんな余韻は平和そのものたる喧噪に掻き消された。 「あら、リンったら。みっともなく他人の幸福をひがんじゃって。…あと、反論するのもばかばかしいけど、アインツベルンにとって精神の転移なんて造作も無い事よ、宝石が無いと立ち行かない誰かさんと違ってね。多分、シロウから人の形が消失してたからわたしはそうしたのよ」 「イリヤ！…そうか、良かった。イリヤが此処に居るってことは、イリヤも長生きできるってことなんだな」 「ふぅん、ひがむ、ね。それは貴方も同じじゃない？イリアスフィール」 「いいんだもーん。シロウが誰と結婚したって、シロウはわたしのお兄ちゃんなんだもーん。聖杯にそうお願いしたから、いつまでも一緒だもーん。ねーシロウ？」 言葉のままの勢いで容赦なくダイブするイリヤさん。 ちっ、と姉さんの舌打ち。やっぱり、ここまでオチがついて姉さんらしい。 「そうね、リンも特別にお義姉さん、って呼んであげてもいいかな」 「…はぁ、わたしもえらい弟子と義妹を抱えてしまったものね。あれ、じゃあ、士郎は義弟？」 「やっぱり癪ね。わたしはシロウのお姉ちゃんだから、リンは義妹でいいわ」 「ふん、言ってなさい。その代わり、義妹だって言うからには家族として扱って貰えるんでしょうね？資金面の援助とか宝石類の提供とか（ボソッ）」 「悪い事はいいません、リン。ちびっ子の姉は…最悪最凶です」 加えて、わたしにとって別の意味で欠かせない人がもう一人。 わたしの我が儘に付き合い、最後までわたしを守り続けてくれた人。 「おめでとうございます、サクラ。貴方のサーヴァントとして、心よりお祝い申し上げます」 「ら、ら、ライダー！？どうして貴方、此処に」 「そのような結末も有り得たと言う事です、サクラ。申し訳ありません、わたしは貴女を守るどころか…」 「ううん、いいの。だって、こうしてお祝いにきてくれたのでしょう。だったら、それで十分。それに、もうマスターとかサーヴァントとかは無し。そういうの抜きでライダー、ううん、メドゥーサとは仲良くやっていきたいの」 「…！そう、ですね。…サクラ、告白すると、わたしは貴方の事を妹のように思っていました。姉達がわたしを余りにも楽しそうに可愛がり苛めていたので、姉で在る事に憧れていたのかもしれません。サクラ、これからもよろしくお願いします」 そうして、交わされたこれからの約束。 そのこれからはすぐに終わってしまうかも知れないけど、長さが問題なんじゃないから。 「士郎、桜、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。…桜、今のあなたなら安心して士郎を任せられる。わたしとしても心強い限りだ」 「セイバー！」 「せ、せ、セイバーさんっ！」 「セイバー…、そっか。俺も、アルトリア、って呼んだ方が良いか」 「いえ、士郎。わたしは、アルトリアでもアーサーでもなく、貴方の剣である事が好きだった。…わたしが戦うために剣を持つ事はもう二度とないでしょうが、その呼び名は心地良い。もし、再びお役に立てる事があるなら、いつでもお呼び下さい」 「セイバー、じゃあエクスカリバーは」 「ええ、アヴァロンに置いてきました。確かに、あそこにはわたしの望んだものがありました。けれど、あの場所はわたしを必要としていませんでしたし、なによりあの場所は自らの足で辿り着く地です。だから、今度は祖国を契約や祝福無しに復興させよう、と」 「そうか。セイバーが夢見たのはみんなの笑顔だったんだろ。だったら、その笑顔があれば大丈夫だ」 「ええ、セイバーさんは強いですから、きっと再び辿り着けますよ。わたしが保証しちゃいます。ええと、それで、お話の流れをきってしまうんですけど、…ごめんなさいっ！わたし、貴方を殺し、黒に染めて、あまつさえ自らのマスターに」 「桜、その事についてはわたしも聞きました。けれど、少なくともわたしに関する事で桜が気に病む必要はない。勝者が敗者を使役するのは当然の理です。加えて、あの時のわたしは剣のサーヴァント以外の何者でもありませんでしたから。例え、士郎と殺し合う事になっても、其処には誇りを持って挑んだ筈です。それに、わたしがいた世界では、わたしは聖杯を手に入れるために、結果として士郎を死に追いやっていますから。責められるべきは寧ろわたしの方なのです」 「いや、それは、きっと、そっちの俺が不甲斐なかっただけだ。セイバーは、悪くない」 「あはは、わたし達、責任の奪い合いしてますねー」 それぞれがそれぞれの戦争に負けて生き残って、あくまで交わす言葉は爽やかに。 そんな中、わたしだけが紛れもなくお婆さんの姿で。 「はん、桜、幸せそうじゃんか」 「兄、さん」 「ふん、あれはおあいこ、ってことにしてやるからさ。しっかし、まあ、衛宮もよく桜なんかと結婚する気になったよな。これでやっとせいせいしたさ」 「何言ってるんだ、慎二。強がってるのが見え見えだぞ」 「ああ、桜、あの櫻はお前が引き取れよ。まったく、大人しく朽ちていけばいいものを、意味もなくしぶといね。加老不死になってより醜くなった爺さんと同類だね。まあ、そういう弱者の無駄な足掻きも嫌いじゃないけどさ」 「…」 かつて強い感情を抱いたこの人にも思う所は少なく。 初対面のように感じる心がこの人となら上手くやっていけそうだと、告げた。 「んー、こんなところで立ち止まちゃって、みんな待ってるわよー。で、言われたとおり人集めてきたけど、なになに、やっぱりお花見かしら。いいわねー、櫻と虎と酒、うむ良きかな良きかな」 「いや、藤ねえ、俺たち結婚するんだ」 「あらー、それはえらく楽しげな前座よね。―って、なんですってぇぇええええええ。そんなのお姉ちゃん許しま………。そうよね、士郎も桜ちゃんもそんな歳よね。切嗣さんにも報告しなきゃ…ちくしょー別に悔しくなんかないもーん。ふんだ、ばかー」 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。 そうは言うけれど、今目にしている風景は寧ろ逆さまで。 「おう、衛宮に間桐、いやー、しっかし、結婚までいくとはね。なかなかやるじゃないか、間桐も。…まあ、実典が荒れに荒れそうで手放しには喜べないんだけどね」 「む、間桐さんか。衛宮にはもっと、善悪を正せる奥方が似合いだと踏んでいたのだがな。悪い組み合わせではあるまい。結婚とはな、相寄り合う事ではなく相高め合う事だと知れ、喝」 「え、衛宮ー。…と、とりあえず、いい罵り言葉が思いつかないけど、なんかむかつく！」 「あー、うわぁ、お婿さんとお嫁さんだー」 「ほう、衛宮は後輩お姉さん系が好みであったか。これだから男女の仲は面白い。君の良縁を願った甲斐があったというものだ。わたしに感謝するといい」 そうこうしながら、行き着いたのはわたしにはあまり縁のない丘の上の教会。 其処には、わたしとは縁の少なかった人達もいて。 「ふむ、適任が他に見当たらないのでは仕方あるまい。この教会でよもやこの連中の祝儀などとはな」 「って、エセ神父、なんであんたが此処にいるのよ」 「ご心配なく、式の進行は滞りなくわたしが務めますから。…消えなさい、この中華かぶれの欠陥品のクソ親父が」 「何を言うのです、カレン。こと祝し送り出す事に関しては、貴方より言峰の方がずっと適任でしょう」 「どっちも変わらねえって、バゼット。罪とか赦しとかは思いっきりアンタら親子の範疇だろ？だいたい、アンタらは意思の在り処が遠すぎて俯瞰しかできない不感症のくせに、サドマゾでやたら他人と関わりたがるからタチが悪いんだよ。善悪とか幸福の判断なんてめんどくせー事は他人に任せとけばいいだろうに。ひひ、それにしても、エミヤのダンナ、やるじゃんか」 「ふ、過ぎた幸福は身を滅ぼすぞ。なに、私としては手間が省けて一向に構わないのだがね」 「しっかし、婚姻に式とはねぇ、また揃いも揃って大仰なことやるもんだ。ま、酒が飲めれば文句ねえけどよ」 「我の祝儀とは、感心感心。愚民共よ、良い許す。目障りな神共はもうおらんからな。貴様らで思う存分、我とセイバーを祝すが良い」 「おい、レッド、ブルー。あんた達はゴールドを連れて外で演舞でもしといてくれ」 「本当に、自分の事ながらいやになっちゃいますね。なんなんですかね、あの滑稽な程の唯我独尊っぷりは。はい、お兄さん、お祝いのダイヤモンドです。桜さんへどうぞ。どうせ、何十年と草花に堕していたお兄さんにそんな経済力は無いでしょうから」 「もっきゅもっきゅ。ふむ、時にこれは何の宴であろうか」 「■■■■■■■！」 「あら、なかなか様になってるじゃない、坊や。まあ、わたしと宗一郎様には及ぶべくもないけど」 「は、内心、桜殿の花嫁姿が羨ましくて仕方ないのだろうキャスター。なに今からでも遅くない。お主達も式を挙げてみてはどうだ」 「衛宮、間桐、祝辞を言う。おめでとう」 いつかの果て無き呪詛は数え切れない祝福となってこの身に返った。 救われた？―まさか。ただ、この人達はそういう在り方を選んだだけだ。 それは、償うとか、許されるとか、そういう事じゃなくて、もっと当たり前に見過ごされるような重いもの。 だから、蹂躙され蹂躙したあの事実も、受け入れるとか忘れないとか、そんな事で済まされることじゃなくて、ただこの存在に刻み込むように。 ―そうして、式は始まった。 「愛は寛容にして慈悲あり、愛は妬まず、愛は誇らず、高ぶらず、非礼を行わず、己の利を求めず、憤らず、人の悪を念わず、不義を喜ばずして、真理の喜ぶところを喜び、おおよそ事忍び、おおよそ事を信じ、おおよそ事望み、おおよそ事耐ふるなり。愛はいつまでも絶えゆることなし」 神父の説教とオルガンの音が教会内にただただ荘厳と響いている。 沢山の真心に見守られる中、慢性的に襲い来る浅い微睡みに眩みそうな意識を抑え、ふと気付けば式も終盤に差し掛かっていた。 「誓いの言葉を」 声が、現実が、遠い。 ふと気を緩めれば、此処にいる意味さえ忘れそう。 どんな情念もこの老体では長く持たないと、そういう事なのだろうか。 あとは、わたし達の言葉を残すのみとなった。 「俺は、…ずっと正義の味方を夢見てた。そんな事しか知らないから頑なにそんな理想を守り続けてきた。守るために、あの聖杯戦争では救う事よりも戦う事に魅せられた。分かり易い敵を倒す、なんて事に終始して、何も為せやしなかった。その敵を救うなんて発想は微塵も無かった。それこそが、あの聖杯に巣くった永遠に救われぬものを作った原因だっていうのに。結局、平等に全ての人を救うなんて夢見ていながら、真実、その意味を少しも理解してなかったんだ。当たり前だ、この身は剣を、戦い殺すためだけの物を複製するしか能がなかったのだから。確かに、幸福という結果を得た事もあるようだけれど、それは俺の見える範囲だけの話だ。俺が救おうと心から決めた数少ない相手だけだ。何の事はない、破綻した理想を抱えていたからアーチャーになったんじゃない。自分がそういう理想を抱えてると、そう思いこむ事こそが破綻していた｣ 士郎の言ってる事が、分からない。分からないけれど、そのおかげで、わたしは此処にいるのではないか。 この世に、矛盾なんていくらでもある。徹底すればきりがない。 士郎は人としてはその極限まで迫ってた。もうあれ以上は人として成り立たない。 今頃気付いた。その欠けてしまった左腕に。 この人は、違う。違うけど、同じだ。 「…そう、正義の味方なんて理想は間違いなく切嗣のものだ。俺の根源はそんなところにはない。俺は、ただ泥臭く愚直なまでに誇り貫き通された理想、そんなものに憧れる事しかできないんだ。例えばそれは、最期まで民の幸せを願い続けた王の夢とか、子供のような心を持ちながら理不尽な現実を直視し続けた魔術師の夢とか、生きる事に絶望するしかない環境の中でも誰も嫌わず微笑んでいようと決めた少女の夢とか。そういうのは、良いとか悪いとかじゃなくて、どうあっても美しい夢だから。そういう夢は叶わなきゃ嘘だ。…だからさ、俺はそういう夢を守りたい。自分も一緒にそんな夢を織り続けたい。そう思うんだ、桜」 だから、それでは。 士郎が憧れた切嗣の夢は叶えられない。 だって、それではどうやっても救われない人が一人だけいる。 「ただ、その夢には自分の夢も含めようと思うんだ。―これでいいんだよな、エミヤ」 唐突に、ばくん、と鼓動の音がした。 たったそれだけで、周りの風景は急速に現実感を増して。 \"もう意味さえ解らない文字の羅列。最期まで覚えていた、果たされるべき、小さな希望\" この夢の背景に、士郎の言うエミヤの存在を見た気がした。 ―ああ、そっか。これはそういう夢だったんだ。 「士郎ー、桜ー、いつまでも幸せにー」 そろそろタイムアウト。 口元からだらしなく黒ずんだ血が流れているかもしれない。 でも望む人がいるなら、満開の桜を咲かせないと。 「皆さん、今日はお集まり頂きありがとうございます。皆さんには助けられたり迷惑かけてしまったり、本当に色々とありましたね。昔、わたし達は戦争をしました。互いの望みと存在をかけて殺し合いました。そこには、個々それぞれの想いがあったと思います。皆さんが、今、あの戦争をどう捉えているか、わたしには分かりません。…でも、わたしは、こうやってみんなの生きてる姿が見れて、本当に嬉しいです。本当に、ありがとう、生きててくれて。もう、みんなとは会えないと思います。でも、みんなそれぞれの世界で頑張ってたって分かったから。わたしはもう一人で、」 \"これだけのものを巻き込んだからには、幸せになる覚悟はできてるのでしょうね？\" 「…二人で頑張ってゆけます。だから、だから、ここでお別れです。―お土産楽しみにしてて下さい、ね」 其処で、わたしは、語る言葉を、予め定められたように失くす。 なんとか保てたはずだ。とうに言霊から見放された身でも、何か価値はあったのだろう。 例え、この夢が正しい現実でなくても荒唐無稽な物語でも、泥み慣れきった停滞の中、刹那に感じた景色や感情は真実だった。 そうして、大円団のまま舞台の幕は下りた。 //solid apatheia -Another Heaven\'s Feel- [どのくらいの間、わたしは、留まっていたのだろう] 夢から醒めて、独りぼっちになった。 虚空に満たされ、無感動の世界に溶けてゆく。 [長く、彼女は仮生状態にあった] 結局、わたしの答なんて矛盾だらけだ。 そこからも色が落ち、「　」へ還って行く。 でも一つだけ名付けるとするなら、わたしはこの存在を幸せと呼ぼう。 [告白すれば。わたしは、ずっとあのままで良かったのだ] けれど存在そのものに善悪はなく、それは移り気な色で変わってしまうと言うのなら。 無差別に命を奪ったわたしには、その反対も出来るはずなのだ。 [だから、存在さえ関わらなかった人達のために、奇跡でも叶えてみないと] 飽きたんじゃない。刹那の快楽を否定するんじゃない。 ただ、そうあって欲しいと、無色の心がそう望んだのだ。 だから、わたしは自らの存在において人の積み上げた歴史を壊す事にした。 [どうかこの願いが、誰にあっても美しいものでありますように] 今、自分がどんな表情をしているかは分からない。 きっとしわしわのぐちゃぐちゃだ。 だけど、願わくば、見た人が思わず微笑みを零さずにはいられない。 そんなものでありますように。 fete／over night 「ずっと見てみたかったんですよ、一生に一度しか咲かない血染めの桜を」 いつか見た記憶を肴に片手に一瓶、櫻を前にひとりごちる。 あんな幸せすぎる死に顔を私は知らない。 まあ、元々、虚数をその属性とする人だ。本当のところは分からないが、我々実数に住まうものにとってみれば、間違いなく桜先生は死んでしまった。 あれから、この世界ではいくらかの時が経過しているらしい。 聖杯戦争の関係者は全員死亡し、もうこの街から聖杯戦争の跡は完璧に消え去った。 …いや、実を言うと、全くの真逆なのだが。 話は少し遡る。 まず凛先生が死んだ理由だが、桜先生の夢に出てきた私が言っていた事は事実と微妙に異なる。 抑も、この世界の衛宮士郎は死んでなどいない。 いや確かに衛宮士郎の精神は完璧に死に絶えていたのだが、それでも、意味のない約束を守るために衛宮士郎はその肉体を保っていのだ。夢を織る機械と化してまで。 本当に化け物としか言いようがない話ではあるのだが。 それで、その肉体を回収した凛先生は、その夢を叶えるために他の世界の衛宮士郎を連れてくる事にした。 機械はあくまで無機物。役者には成り得ないから。 ただ、一人の人間をそのまま平行世界から連れてくるなんて到底無理な話だから、できるだけコンパクトに収まった衛宮士郎が必要だった。 その長きにわたる無謀な探索の結果がアレというわけで。 だから、凛先生のミスとは第二魔法の失敗などではなく、自分もその夢に参加したかったのに自分の死期を数日ほど読み誤って、参加しそこねたことなのだろう。 それで、私はといえば、あの時、桜先生が死ぬ前に、凛先生があちこちに開けて遺していった穴を使って、色々な聖杯戦争の結末を覗いて回った。 一つだけ望みを叶える奇跡なんて古今東西ありふれた御伽噺だけど、やっぱ目の前にあったら見ないわけにはいかないわけで。 で、一つ思ったのだ。 聖杯戦争とは、つまるところ理想のつぶし合いだったわけだが。 その実、彼等の理想は聖杯を必要とせず否定されるか超えられる運命にあった。 それはそれで結構な話なのだけれど、ほら、そういうのってつまらないじゃない？ どうせ奇跡を起こすなら、馬鹿馬鹿しいほど徹底的に。 世界を手の平に収めるような余裕さで、あきれるほど優雅に。 誰にも到達不能と錯覚させるような唯一無二の幻想を見せてみろ。 そういう意味で衛宮士郎は実に惜しかった。 ただ、ヤツは自己がどうしようもなく希薄なくせに、あまりに人間的すぎた。 聖杯戦争がもう一度起これば都合が良いのだが、残念な事にたった一つの例外を除いて、聖杯戦争のシステムはどう転んでも第五次で終わってしまう。 つー事で、私は個々人のできるだけ高い到達地点を見つける必要があった。 回収できたのは、以下の７つ。 遠坂凛の聖杯戦争における勝利。 イリヤスフィールの願望と小聖杯の接続。 セイバー自身の意思によるアヴァロンからの帰還。 間桐臓硯、悲願の達成。 言峰綺麗に対するアヴェンジャーの解答。 ギルガメッシュによる原典の神殺し。 衛宮士郎の根源的な自己言及。 あとは、それらの事実を適当に織り交ぜて、エミヤの夢の中であの聖杯戦争で一番弱かった人に見せれば良かった。 あとは、成り行き任せ。正直、桜先生が何を選ぶか想像がつかなかっただけに、その未来は非常に興味深かった。 まあ、肝心の答を出すのが他人任せな当たり、実の祖父や母譲りではあるなとは思う。 私は傍観するのが好きなだけで、断じてサドマゾなどではないが。 ちなみに、衛宮士郎以外の配役は本物ではないが、ただの幻覚というわけもない。 サーヴァント召喚に近いものをやったものだと思ってくれればいい。 ここら辺の事は、かなり適当にやったので、やってる自分もよく分からなかったのだが、転移の応用とかきっとそんな感じだ。 つと、回想に一息入れて、開けた最期の瓶を一気に飲み干す。 今年の櫻は既に散り際。 もう一分も残っていないが、こういうのもなかなか乙なものだ。 ―さて、あの夢がどうなったかというと。 「しまったなー、こうと知っていれば、ほっんと、もっと出鱈目な事を望んどけばよかった。でも、まさか数百年たってるとは思わなかった。私、そんなに旅行にかまけてたっけ？」 いや、だって、何かの冗談だと思ったのだ。 かの聖杯を手にしてしまった時は。 これはエミヤの夢に呑まれたんじゃないよなー、とか思いつつ、とりあえず第二魔法と第三魔法とか叶えてしまったのがまずかった。 いや、アレは厳密に私とは異なる存在といえ私が第二魔法と第三魔法を使えると言った以上、適当におおぼらを吹いて悉く現実にするのが私の信条だったりするので、しょうがないんだけど。 で、なんでそんな事態になったかっていうと、実は私に限った事ではなくて。 どうやらあの時、大聖杯が消失したらしい。 聖杯を世界中の人の手にもたらして。 いうなれば、幻想である聖杯が聖杯という幻想を叶えてしまったのだ。 いくらなんでも無茶が過ぎるというか、古今東西どんな御伽噺集めても有り得ないというか。 あーいやクリスマスの豪華版みたいなものと思えばそうでもない…かな？ ただし、このサンタクロースは年齢制限無し、善悪判断無しの徹底した見境無しらしい。 全く以て凄まじいお土産があったものである。 あえて推測を試みると、大聖杯に桜先生の夢を通したエミヤを叶えさせて、固有結界を世界中に展開、個々の願いはエミヤが叶えてる、ってとこだろうか。 ま、どー考えても滅茶苦茶な事に変わりはない。 いやしかし流石の私もあそこまでの幻想は想像つかなかった。 無駄に大袈裟な空想には自信があったんだけどなー、ちくしょー。 かくなる上は、一刻も早くこの幻想を凌駕してみせないと二人の師に申し訳が立たないのだが、なかなかに厳しい。 ただ、このエミヤが世界中の人々を救ったかというと、それはかなり微妙な話だ。 人は一生に一人分の生しか背負えない。それは、どうしようもない真実。 どんな世界でもたった一人しか選べなかった衛宮士郎がその良い例だ。 だから、こんなのは救済とは言わない。ただの自然災害のような物だ。 誰もの望みが叶った所で、誰もが幸福になるわけじゃない。 むしろ、残酷な話なのだろう。自分の理想を直に見てしまうのだから。 実際、あの日から今日まで色々な事例を見てきたけれど、それはそれは惨々たるものだった。 けれど、美しいものもあったのだ、誰にでも。 それは、無限に存在する平行世界のうちたった一つだけの結末かもしれない。 それでも、その事実だけで、どんな存在にも在るべき価値があると、私はそう思うのだ。 気まぐれな突風にあおられて、残っていた花びらは一気に空へ舞った。 今年の櫻はこれで終わり。 気が向いたらいつかまた見に来よう。 ―さて、これからどうしようか。 いい加減、他人の人生を見て回るのも飽きたし。 ここは一つ固有結界でも織り上げてみようか、それもいい。 大祖父のお供をするのも悪くないけど、あの爺さん、どうしようもない道楽者だしなぁ。 ま、暇で暇で死にそうだったら、他の魔法使いにでも喧嘩売りにいこう。 いや、このご時世、魔法使いなんてザラにいたりするのだが。 んーそうだ、平行世界旅行しててずっと引っかかってた事がある。 未来の可能性は無限大、ってのはわりかし本当で、どんな人でもあらゆる色に染まり得る。 けれど、かたや英雄として崇められ、かたや絶対悪として憎悪され、全く他人の評価なんて適当なものである。 といっても、それはその色が自分に向く感情を染めているだけなの話で、存在の在り方としては変わりない。 じゃあ、色なんてなくてもいいのかってーと、そういうわけでもない。 色鮮やかなものは見てるだけで心を楽しませてくれるものだ。そこに意味とか価値なんてなくても、グッバイ退屈ライフイズオールびゅてぃほー、である。 えー要するに何が言いたいのかっていうと。 そんなに沢山の道があるのに人は一つしか未来を選べないって事で。 上から見てしまえば、そこに確固たる理由はなくて単なる確率に過ぎなくなってしまうんだけれど、んな事はどーだっていい。 そう、私は体験してみたい。私の思いつく限りの幻想を。あらゆる色を陽のあたる所に。 幸い、時間はいくらでもある。 同じような事の繰り返しであることは百も承知だが、そんなもので潰れてしまうくらいなら所詮、私の人生なんてそんなものだったということだ。 まあ、何処かのアヴェンジャーのようにいつか無限を超えてしまう事があるかも知れないけれど、それはそれで構わない。 その時、私が全ての過程に胸を張れればそれでいい。 きっと走ってる間は楽しくて楽しくて仕方がないだろうから。 ―さあ、空に乱反射する光の中へ、私の運命を探しに行こう。 The losers of the Grail war opened Gates of heaven. It was special gifts for everybody in the world. Now,a immortal Magi dives into infinity fantasy. The solitary war is breaking out newly,everytime,everywhere. Her fate will be her fact,absolutely. ...What does her magic bring to the world? We can\'t know her story at all. But,we can imagine. So,we will close this story and walk in our story. //extra[unknown] 願いは成就した 夜は間もなく明ける 虚ろも叶え、全ての理想郷は此処に 幻想の黄昏は此処にあり 日常はとうに無限を呑んだ 空の原型は夜に還れ 望むだけの可能性を手に ありふれた己を前にして 汝、自らを証明せよ

by もろは

fate/stay night 桜ルートNormal End「櫻の夢」のささやかなアフターストーリーです。
「色散りて」→「夢の少し後」→「fete/over night」の三部構成となっています。
一応、展開はfate/stay nightの［問題提起→解答編→応用編］に近い構成です。
色々な人に楽しんで貰えるよう、様々な要素を詰め込んだつもりですが、特に桜ルートが嫌いという人に読んで欲しいＳＳです。
自分もどちらかというと正義の味方エンドの方が好きな部類だったのですが、書きながら読んでる内に桜ルートの印象が大分変わったので。

イメージしたＢＧＭは、
「色散りて」：新たなる夜明け
「夢の少し後」：再会→last piece→静かなる声
「fete/over night」：追憶の彼方→優しい風景→(無音)→extra
です。聞きながら読むといい感じかもしれません。

えー誰の応援ＳＳかは読んでからのお楽しみという事で〜
投票フォームに名前ないとか寧ろ誰も覚えてないとかそういう事言わないっ

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