"アーチャーの手甲" by 永野

全てが終わる夜。
　無限に増殖する骸の軍勢を相手に、凛とアーチャーは疲弊していた。
　押し寄せる終末の軍勢が橋からこぼれ落ち、川を渡るようになったときに冬木大橋は落とした。
　未遠川東岸、新都側の浅瀬で２人は戦闘を続行中。
　凛はアーチャーが投影した宝石剣ゼルレッチを振るい、光刃で残骸を薙ぎ払う。
　ブチブチと筋肉が断裂し、右腕は裂けた肉の塊同然。
　ガンドを撃つため温存していた左腕を使っても、焼け石に水だろう。
　治癒魔術で再生させようにも、魔力の増槽だった宝石は使い果たし、体内に蓄積していた自前の魔力も底を付く寸前。
　現在の彼女の技量では、並行世界から引きずり出した魔力を単純な破壊エネルギーに変換するのがやっと。再生などという精密作業に転用することは不可能だ。
　満身創痍のアーチャーは、路（パス）が通っているのに魔力がほとんど提供されていないことから、凛が本当の限界だという事実を突きつけられた。
「潮時だな、撤退するぞ」
　アーチャーは凛を守ることに専念し、残骸との戦闘方針を掃討戦から防衛戦に切り替えた。
　手数を減らさぬまま、斬撃より、受けと払いの割り合いが増加する。
「どうするのアーチャー？　固有結界は勝手に切れちゃったでしょ。あなたも魔力切れのはずよ？」
　アンリミテッド・ブレイド・ワークスで、一度は残骸の大半を殲滅したものの、結界消滅と同時に、軍勢は再び増殖した。
　しかし、凛の表情は明るい。アーチャーへの信頼が、不安よりも遥かに勝っているからだ。
「切り札は最後まで取っておくものだ」
「映画の悪役がよく言うセリフね」
「正義の味方ではないのがミソだ。凛！　すまんが１０秒、時間を稼いでくれ！」
「分かったわ」
　前後左右から軍勢が押し寄せ、津波のように上からも骸が降り、足元の水面からも残骸が顔を出す。
　赤い魔術師は、裂けて役立たずになった右手から引き剥がすように、宝石剣を左手に持ち替え、終末の軍勢を薙ぎ払う。
　アーチャーは手の甲に付いている、円盤状の複合セラミック装甲のカバーを外した。
　装甲を外された内部には３つの重なる円盤が、それぞれ互い違いに回転している。
「リミッターカット。概念武装“運命の転輪（ホイール・オブ・フォーチュン）”フルドライブ！」
　ルーンを刻まれた左右合計６つの円盤は高速回転し、祈祷車効果で高速連続呪文詠唱。　オーバーロード状態になった概念武装が、圧縮されて半ば物質化した魔力をアーチャーに送り込む。
　アーチャーの赤い外套は一級品の概念武装。外界に対する守りであるが、限界を無視すれば回転鋸のように、世界から魔力を切り取れる。
　それもそのはず。本質的に鋸であるため投影不可能な宝具、乖離剣エアを単純化したものだからだ。
　世界を切れぬはずは無い。
「アーチャー、手、手！　肉が！　骨が！」
「問題ない。君の腕に比べれば無傷に等しい。それより脇を見ろ」
「だああっ！　キリがないっ！」
　光ともガスともつかない物質化した魔力がルーン・ホイールの隙間から噴出し、肉を焦がし、骨を灼く。魔力供給の過負荷が、アーチャー自身の再生能力の限界を超えているのだ。
　前腕部が黒く焼け焦げ、炭化した指をボロボロと落としながら。アーチャーは力強い言霊で呪文を振動させる。
「――――I am the bone of my sword. （我が骨子は捻じれ狂う。）」
　アーチャーは背に、刃の如き白く長大な翼を投影し、浮揚した。
　その数、三対六枚。
『「“堕天の偽翼（イカロスⅡ）”」』
　使用者に飛行能力を与える飛行宝具“飛天の翼（イカロス）”にアーチャーが独自の改良を施した物だが、オリジナル同様、恒星や惑星の影響力が高いと著しく出力が低下する。
　夜明けが近いため、出力低下で魔女の箒程度しかない飛行能力を補うため、筋肉の隙間から肩甲骨にまでフックを伸ばしたメインの一対の他、魔術回路に魔力のパスだけを接続して物理的には周囲に浮遊する二対の補助翼を増設。剣属性以外の投影魔術を不得手とするアーチャーは、ペルセウスの翼のサンダルなど、より高位の飛行宝具の投影に高確率で失敗する。
　不必要な賭けに出ることは、アーチャーの流儀に反する。質より量を選んで具現化したのだ。
　それは地味で堅実。派手な外見とは裏腹に、打率は高いがホームランは出ないという選択だった。
「凛！　退くぞ！」
「了解！　Welt, Ende（事象、崩壊 ）！」
　凛は宝石剣を軍勢に投げ、呪文で炸裂させた。
　アーチャーは巨大な猛禽類の如く、凛をかっさらって飛翔した。
　朧な階段が消滅しつつあるビルの屋上へと撤退中、凛は悲鳴をあげた。
「アーチャー！　腕、腕！」
　黒焦げになった弓兵の両腕は、肘から先が消失していた。
「この身はサーヴァント。主のためなら腕など惜しくはない」
「え？　だったら、どうやって私を運んでるのよ？」
　凛の両腕もズタズタに裂けており、何かにしがみ付くことは不可能だ。
「わざわざ六枚も偽翼を投影したからな。魔女の箒よりは飛行用浮遊力場が強力だ」
　凛は磁石に吸い寄せられる鉄片の如く、アーチャーにくっついていた。
　アーチャー一人ならば真昼の直射日光を想定しても偽翼四枚で充分だが、主の輸送を考慮し、偽翼を増設して具現化したのだ。
「アーチャーってば、天使みたいね」
「本業は、単なる世界の掃除屋だがな」
「サーヴァントは副業だって言うつもり？」
　軽口の応酬すら億劫になった凛は、欠伸をした。
「あ～あ。今回は本当に疲れたわ。アーチャーの腕……すぐに生えてくるわよね」
「勿論だ。凛、しばらく休め」
　凛はアーチャーの胸で、胎児のように身を丸めた。
　屋上に降り立ったアーチャーは、凛を起こさぬよう四枚の補助翼をコンクリートの床に敷き、主を横たえる。
　主翼の一対を結界内に収納し、無限のグラデーションで変化する東の空を眺めながら、アーチャーは日の出を待った。

日の出と同時に残骸の軍勢が消滅してゆくのを眺めていると、脳裏にありえざる記憶の断片が浮かび上がった。
　それは衛宮士郎と呼ばれていた、生前に得た経験知。
　アーチャーは沈思黙考し、状況を認識した。
「アヴェンジャーめ、ルーン石のピアスだけを残すことに失敗して、己の世界全部を垂れ流したか」
　いつの間にか、凛の両腕は綺麗になっており、喪失していた己の両腕も元通りになっている。
　未遠川を見れば、落としたはずの冬木大橋も戻っていた。
　アーチャーは、己が存在しているという矛盾を許容する。
　そして、眠る凛の顔を愛しげに眺めていた。
　いつまでも、いつまでも。